041 僕と兄上の筆談
041話・042話で、作中の大部分は
「」 声に出しての会話
『』 筆談
となってます。
※一部例外もありますが。
それを踏まえてお読み下さい。
20160601
筆談部分の区別を明確にする目的で、『』に「。」を追加しました。
★★★
勉強部屋に入った兄上と僕とグラスの三人。
「じゃあ、書取りでもしようか、ローレル」
兄上はさっきとは打って変わって、朗らかに話しかけてきた。誰かに聞かれたらマズイ事をやり取りする場合の合図に、僕はうなずいて紙やペンの準備を始める。
兄上も――これからの話に必要なのだろう――数冊の本をテーブルの上に置きながら、お茶を淹れているグラスに指示を出した。
「長くかかるだろうから、軽食か、もしくは夕食をこの部屋で摂れるように手配を頼むよ。後、補足を頼みたいから、先生として今日だけは同席してほしい」
「畏まりました」
三人でいくつかの準備や手配を終えた後、頭を寄せ合うくらい近付いて、並んでテーブルに向かった。
「まず、大前提としてなんだけれどね」
真ん中に座っている兄上がそう切り出しながら、サラサラとペンを走らせた。
『元々、父上は母上と結婚する予定はなかった。かつては公爵家出身の婚約者がいたんだよ。』
「え゛!?」
「知らなかっただろう」
「初めて聞きました」
『ランドルフ公爵家の令嬢だったそうだよ。』
兄上は、驚く僕の顔を見ながら問いかけた後、さらに続きの情報を書き出した。どこかで聞いたような家名に、僕は首を傾げる。
『ランドルフ公爵は、今の魔術師団団長だね。』
「あ!」
魔法の先生の名前と姿を思い出して、僕はうなずいた。
『彼の令嬢は父上の一歳年上で、シード学園の魔法実戦コースに所属。魔法実技では、入学当初から常に首位に立っていたらしい。』
兄上はそこまで書き記すと手を止めて、僕の方に顔を向けて口を開く。
「王家――特に国王は有事の際に儀式を行って、防衛の為に結界を張る必要がある。当然の事ながら相当量の魔力が必要だ。だから王や王族の配偶者を選ぶ時は、魔法の才能や魔力量も重要な判断基準となる」
僕は兄上の言葉に「大丈夫、そこまではわかった」と、首を縦に振る。
僕の様子を見て安心したらしい兄上は、お茶を一口飲んでから、再びペンにインクを付けて紙に向かった。
『父上と同年代では、頭一つ抜けた素質を持っていた令嬢は、健康で家柄も申し分なく、物心つく頃には父上の婚約者と定められた。二人の仲も良好だったそうだよ。ただ、学園の演習で魔物討伐に出た際、上空から翼竜の奇襲を受けて父上は重傷を負ってしまったそうなんだ。父上や仲間を助ける為に闘ったランドルフ公爵家の令嬢は、相討ちとなって命を落とした。』
「……」
僕は、はっと息をのんだ。いつだったか魔法の先生が言っていた言葉を思い出す。「娘に子供が生まれていたら、お二人と同じ年頃だったかもしれません」と。……あれは、この事を言っていたのかな。
『父上のかつての婚約者は未来の国王を支えるべく、努力を惜しまない方だったそうだ。シード学園在学中に各分野で将来性の高い人々と仲良くなり、父上を含めて交流を持っていた。その中の一人が、父上の二歳年下で、文官コースの才媛と名高かった私達の母上だよ。
大切な人が自分を庇って命を落とした事に酷く落ち込んだ父上を、慰め・励まし・立ち直らせた事で、父上は母上との結婚を決意したんだって。』
父上と母上のなれそめを初めて知って、僕は「はー……」と息を吐き出しながらも考えた。もし結婚しなかったら、兄上も僕も生まれていなかったかもしれない。もしその婚約者さんが今も生きていて王妃になって、母上はやっぱり側室で……そうしたら兄弟同士、今より仲良くできていたのかな?
考えこむ僕の方を見た兄上は、母上によく似た柔らかい微笑みを浮かべながら、貴族名簿を開いて見せてきた。
『堅実な仕事ぶりで評価が高い、ヒューイット伯爵家が母上の生家だ。今も、母上の父親と兄弟達が、財務の官僚として出仕しているよ。』
「……会った事、ないですよね? 紹介された記憶がないです」
『あの家はあくまでも文官なんだよ。娘が国王の側室になったからといって、それを口実に出世をしようなどと、変な色気を出さない。官僚としては有能でも、貴族家としての権勢は然程強くない。母上や私達の後ろ楯として表に出てこないのは、“社会勉強”から守りきる力がないから。下手に弱味となって足を引っ張りたくはないと、分を弁えているからだよ。その気質は母上にもよく表れているよね。』
「気質ですか?」
「ローレルの読んだ物語の中にもあっただろう?」
兄上は皮肉をにじませた笑みを浮かべて、文字を書き付けていく。
『自分の産んだ王子を王座につけようと、形振り構わずに他の妃や王子と争うオンナ。もしも母上がそういう行動に出ていたとしたら、私もローレルも母上自身も、とうの昔に消されていたよ。父上の治世を乱さない為に、私達の安全の為に、母上は影の薄い側室を自ら演じているんだよ。』
兄上の書いた『演じている』の表現に、僕は「え!?」とビックリしてしまう。
僕の知っている母上は、いつもたおやかで優しく微笑んでいて兄上に似ていて……いや、兄上が母上に似ていて……アレ? 二人が見た目だけじゃなく中身も似ているのだとしたら、それヤバ……
「ローレル?」
「え! あれ!? 僕声に出してた?」
兄上のコワイ声に、僕は慌てて辺りを見回す。目が合ったグラスが首を振って否定してくれたので、「ほっ」と息を吐いて安心……いや、兄上への恐怖がよりいっそう強くなった。
「話が飛んだな。えーと、まぁ何が言いたいのかというと。そろそろ魔力がずば抜けて高い配偶者を、王家として迎える必要があるという事さ」
……母上も王妃も、魔法の才能が高いという話は聞いた事がない。父上がそういった結婚をしないのであれば、子供である僕達の番という事だ。そして、年が近くて魔力量が多くて魔法の素質に恵まれているというと、真っ先に思い浮かぶのはローズ嬢しかいない。
「だから兄上は『予想をしていた』と言ったのですか?」
「五分だと思っていたけどね」
五分? 兄上の言葉にパチパチとまばたきをしていると、お茶に口をつけた後の兄上がさらに言葉を続ける。
「今、十歳前後の侯爵家以上の令嬢で、魔法の才気で特に有望なのは二人。カーティス公爵家のローズ嬢と、マクローリン公爵家のオーキッド嬢だ」
兄上はそこでいったん言葉を止めて、また紙に文章をつづり始めた。
僕はその間、グラスにお茶のおかわりを淹れてもらい、「ふー、ふー」と冷ましながら、兄上の書く文字を追いかけた。
『地力の面で圧倒的に上回っているのはローズ嬢の方だ。ただ魔力暴走の危険が常につきまとう事で、皇太子の婚約者候補からは除外される筈だった。だけど、周囲の予想よりも早く、暴走を抑えるスキルを身に付けてしまったんだ。正直、もっと後にしてくれた方が良かったんだけどね。』
僕は兄上のその表現に「ムッ」としてしまい、ペンと紙をうばって、ちょっと乱暴に文字を書きなぐっていく。
『ローズ嬢はがんばっていたじゃないですか! 一日も早くスキルを身につけたいと、必死だったじゃないですか!! 自分自身の魔力に怯えて、家族を傷つけたくない、使用人達を傷つけたくない、外に出て友達だって作りたいって。
僕や、兄上の事だって、傷つけるわけにはいかないと、いつも緊張で震えてて。あんなに一生懸命修行していたのを!』
「……兄上は、僕以上に、知っていたはずです」
「それは、もちろん」
『彼女の尊い努力を、私はすぐ近くで見守ってきた。ただ、アコナイトに他の令嬢が婚約者として宛がわれた後だったら、なお良かった。それが私の偽りない本音だ。』
僕は、兄上が書いたキレイな文字から顔を上げて、兄上の横顔を見た。
焼き菓子を口いっぱいに入れて噛みしめている兄上は、アコナイトから“ご挨拶”を受けた後のような表情をしている。
僕も一つほおばりながら、質問を書き出した。
『もう一人の令嬢では、だめだったのですか?』
「色々な要因が重なってしまったんだよねぇ……」
唸るように答えた後、兄上はペン先にインクを付けようとして――伸ばした手を止めて天井の一角を見上げる。
「グラス。私とローレルに果実水を持ってきてほしい」
「畏まりました」
兄上の指示を受けて、グラスはすぐに部屋を出て行く。僕も最近では、こんな風なやり取りに慣れてきた。“影”からの報告があるのだろう。
兄上は改めてペン先をインク壺に浸すと、紙に情報を書き連ねていった。
『王妃の実家 内務系派閥 グリム侯爵家。
母上の実家 財務系派閥 ヒューイット伯爵家。
現・宰相 シルヴェスター公爵家。
現・財務大臣 カーティス公爵家(ローズ嬢)。
外務大臣 マクローリン公爵家(オーキッド嬢)。
魔術師団団長 ランドルフ公爵家。』
「魔法の授業がなくなっているし、城内がゴタゴタしている事はわかっているよね? ローレル」
「はい。兄上」
「現在、宰相を勤めているシルヴェスター公爵が、そろそろ息子に後を譲りたいと準備を進め始めていたんだ。ただね……」
兄上は口元に左手をあてて、言葉を探すように言いよどむ。
右手に持った羽ペンを二度・三度とさ迷わせて、少し考えるようなそぶりを見せた後、今までよりも心なしか小さな文字で書き始めた。
『宰相補佐をしていた長男が、王都内で暴漢に襲われて死亡。
領地の運営に携わっていた次男を急ぎ呼び寄せるも、道中で賊の襲撃を受けて死亡。
留学中だった三男は、帰国の途で船が難破して消息不明。
子供達の相次ぐ凶報にシルヴェスター婦人が倒れて、回復しないまま死亡。
唯一の望みの綱だった長男の妻とまだ幼い孫は、亡くなったシルヴェスター婦人に代わって、領地管理の采配をしようと公爵領への移動中、馬車の事故でやはり死亡。』
「……」
僕は言葉も出なかった。そんな大変な事になっていたなんて!
「シルヴェスター公爵は大変ショックを受けて、宰相位の返上を願い出た。事情が事情なだけに、陛下も引き留める事ができなくて、受理される事になった。後任をどうするか、という話になるよね」
『誰もが次の宰相は、シルヴェスター公爵の長男だと思って動いていた。けど、直系の子や孫がいなくなってしまった。そこで宰相に立候補したのが、“自称・シルヴェスター公爵の腹心”グリム侯爵だ。ローレルがいつも心の中で“ハデなおじさん”と呼んでいる人だよ。』
兄上の書いた文章に、僕は「ぎょっ」とした。なにかと兄上にイチャモンをつけてくるハデなおじさんの人間性で、宰相ができるのか? という事と、なんだかんだ言って兄上に僕の心の中が筒抜けだという事に。後者の方が心の動揺がより大きい事をごまかすように、僕はペンを手に取った。
『ムリじゃないですか?』
『もちろん。陛下をはじめとして、高位貴族家の賛同は皆無と言っていい程得られなかった。数度の話し合いの場が持たれて、カーティス公爵が宰相に就任する事になった。なってしまった。ほぼ同じ時期にローズ嬢の魔力暴走の心配が低減した為に、一気に妃候補に躍り出る事となる。』
――コンコン。
ノックの音がして、ワゴンを押したグラスが入ってくきた。そのまま流れるような動作で、飲み物や、軽食を用意し始める。
配膳中の音にまぎれこませるように兄上が呟いた、小さな悲しげな声が僕の耳に届いた。
「私は焦ったよ。彼女の、母上主宰のお茶会参加を、なんとか早める事ができないかと。でも、今の私の一存で、どうにかなるものではないのにね」
そう口にした兄上は、何かに耐えるように、目を閉じてうつむいていた。




