040 僕と兄上と、きょうだい
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僕にとって、兄上の言葉や振舞から受ける影響は良くも悪くも大きい。兄上がローズ嬢への恋に落ちた翌日から、僕は自発的に勉強(調べもの)をするようになった。
“恋”についての物語を読み漁り、廊下の片隅でひそひそと語らう使用人の男女を観察し、王宮での催し物で繰り広げられている貴族達の色恋の駆引きを見比べた。
大抵の場合、最初の挨拶の後に花やカードといったささやかな贈り物をして、気のある事を匂わせるようだ。そして回数を重ねるごとに、豪華に情熱的になっていく。ただ、挨拶の口付けやダンス以外での触れ合いはいい顔をされず、正式な婚約者同士でなければ、二人きりで過ごしたり、それ以上の事は許されないらしい。
……ローズ嬢に初めて会った日の兄上の態度はどうなのだろうか? ホーリーが止めたところからいってダメなのだろう。婚約者でもないし。
どこかに兄上と同じような恋のカタチがないか、僕はわりと必死に探した。でも、それらしいものを見つける事は一向に叶わない。
世界を救う旅に出た王子は、途中で好きになった村娘に「必ず迎えにくるから結婚しよう」の言葉をかけても、護衛に付いていた密偵に「四六時中彼女を見張るように」との指示を出す事はなかった。
友人達とお酒を飲みながら「どうしても彼女と結婚したいのだ」と、頬を赤く染めて熱っぽく語っている貴族の跡取り息子は、「その為に私自身の魔法で、彼女に似合う花の品種改良から行っているのだ」と続けて告白するような事はしない。
生まれて初めて女の子を好きになって、その日の夜の内に、彼女の動向を探るために公にできない種類の人間を手配する。僕と二つしか変わらない十一歳の一国の王子が。これがはたしてよくある事なのか?
頭のどこかでは「止めるべきだ」という声がする。心のどこかでは「ムリだよ、だって兄上だよ!? でもせめて誰かに相談くらいは……」という声がする。「では誰に?」となると言葉につまってしまう。
グラスや、おそらくは父上もこの事は知っているだろうが、止めてはいない。「母上は?」と思うと浮かぶのはあのセリフ。
「恋には人それぞれ色々なカタチがあって、同じものは二つとないの」
こう、先に言われてしまうと、母上も兄上の行いを認めてしまうのではないかと、相談する事をしりごみしてしまう。
結局、僕のとった行動は、兄上をただ見守るだけだった。「将来、絶対に後悔するぞ!」と叫ぶ頭の中の声は痛いほどわかっているが、「どのみち手も足も出ないのだ」と僕は心で予感する。
最終的に兄上を矯正する機会を失った僕は、たっぷりの後悔と、ちょっぴりの母上への恨み言を口にする事になるのだが、それはまた別の話。
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「自発的に勉強し始めたのはいいけれど、それが男女の機微とは……。ローレルもそういう年頃なんだね」
僕の変化を見ていた兄上が、ホーリーに相談する声を聞いてしまった。何のためにあんな事をしているのか、知ろうともしないで。僕の兄上に対する不安を、兄上自身に察してほしいのだけど。それってムチャな事だろうか?
「それを言うならリンデンもだけれどね」
ホーリーの呆れを含んだ声に、僕もこっそりとうなずく。今は魔法実技の時間で、兄上とホーリーは魔力回復のための小休止中。僕とローズ嬢は、魔力制御に挑戦中だ。
兄上の目は、今日の訓練開始からホーリーと話をしている今も、訓練中のローズ嬢に向けられたままだ。
「「「あ」」」
僕と兄上とホーリーの声が重なる。ローズ嬢の体がふらりと揺れて、その場に手をついて座り込んでしまった。おそらくは魔力枯渇だろう。
兄上は誰よりも早くローズ嬢の元に駆け寄って、ここぞとばかりにかいがいしく世話を焼く。最近では見慣れてきた、お年頃の兄上の恋のカタチだ。
「大丈夫か?」
兄上に目を向けながら隣に立ったホーリーが声をかけてきたけど、何を言いたいのかわからなくて、僕は首をかしげてしまう。
「その……、ずっと一緒だったリンデンが離れてしまって、寂しいのではないかと」
そうか。兄上をローズ嬢にとられたみたいで嫉妬する……なんて展開もあり得たのか。僕にはその発想はわかなかったな。主に兄上自身の行いのせいで。
「『大丈夫か』どうか声をかけるべきなのは、僕じゃなくてローズ嬢の方だと思うんだ。うーん……。この言い方がいいのかわからないけど。何と言うか、かわいそう、ローズ嬢が」
「オイ、どういう意味だ、それは。聞き捨てならないぞ」
「だって。いいの? アレ」
僕とホーリーの視線の先。兄上はまず魔法で小さな水球を生み出して、ローズ嬢の手をていねいに洗った。すりむく程ではないが、手のひらの一部が赤くなっているようだ。状態を確認した兄上は自らの手に青の魔力をまとわせて、赤くなっていた部分にかざす。
「まだ痛みますか?」
「いいえ。ひんやりしていて気持ちがいいです」
「そう。良かった」
兄上はにっこりと笑顔を向けた後、どんなささいなすり傷も許さないと言わんばかりに、ローズ嬢の小さな手を握ったまま念入りにチェックをしている。
「あの……。ありがとうございます。もう大丈夫ですから」
ローズ嬢は、第一王子の手をわずらわせてしまった事と、手をずっと掴まれたままでいる事に困った顔をしながら、とりあえずお礼の言葉を口にした。本当は「離してほしい」とも言いたいんだろうな。
「ローズ嬢への治療は私自身の修行にもなります。ですので気にしないで。むしろ私に協力すると思って、これからも手当ては全て私に任せてください」
ローズ嬢が断れない性格と立場なのを知った上で、その言い方はズルいと思いますよ、兄上。
「他に怪我などはしていませんか? 足首をひねったりとか、膝を擦りむいたりとかは」
「あ……あの……」
「……止めてくる」
兄上が治療の魔の手を他にも伸ばそうとして、ローズ嬢が身をちぢこませて、ホーリーが間に割って入る。コレも最近見慣れた光景だった。
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兄上はグラスに頼み事をした翌日から、自身も積極的に動き出した。僕と一緒に禁書庫に入って、まずは向き不向きや能力・適正に関するヒントがないかから調べ始めた。
その時初めて知った兄上のユニークスキル。兄上が【閲覧資格】と仮称した存在からの助言――スキルからのアドバイスというものが、僕には想像もつかないのだけど。大図書というくらいだから司書のようなヒトがいるの? 兄上の頭の中に??――に従って、欠損した部位を再生させる魔法と、死者を蘇生する魔法を改良の対象として選んでいた。
どちらもかつてドラゴン達から伝えられ、総魔力量の低下した現代のヒト種では扱えない、最上級の回復魔法らしい。
復活を目指す魔法の種類が決まったのだからと、兄上はその足で回復術師団の本部に足を運び、老齢の回復術師達に弟子入りをした。相談役として在籍し、魔法の効率化や新しい薬の開発、後進の育成を日々の業務として行っている彼らは、兄上の計画に即座に賛同してくれたのだった。
この事がきっかけで、回復術師団はこれ以降、兄上や僕の味方をしてくれる事になる。
ついでに、木属性の魔力を持つ兄上は薬師達への協力を申し出て、しっかり温室の一つを使用する権利を確保。薬となる草花の育成はもちろん抜かりなく行うが、他の植物に紛れこませるようにしてコツコツとバラの品種改良も手掛け始めた。
フォレスト王国で一般的に手に入るバラは、城の庭師を通じて確保。カーティス公爵家の庭に、珍しい品種の物が豊富に揃っている事を確認した兄上は、ホーリーに「わけてもらいたい」とお願いをしていた。カーティス婦人から母上に花束を献上してもらい、更に母上から分けてもらった切り花を魔法で苗木にしてから温室で育て始める。
なんでそんな面倒な手順を踏む必要があるのかさっぱりわからなかった僕は、ただただ兄上の行動力に驚かされるばかりだった。
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ローズ嬢が魔術師団で修行をするようになってから、およそ二年。【魔力操作】や【魔力制御】のスキルを身に付けてレベル上げも順調な事から、そろそろ社交を始めようと話が持ち上がっているようだ。
まず母上が主宰するお茶会に、カーティス婦人と共に参加する。その席に、たまたま父上が顔を出すのだそうだ。これまでは魔力暴走を恐れて、陛下の御前に上がる事は叶わなかったが、いよいよ解禁となる。
そして、兄上曰くここが大事なポイントなのだそうだが、最初に参加するのが母上主宰のお茶会だという事。ローズ嬢がこちら側の存在であるというアピールになるとともに、兄上との婚約が現実味を帯びるらしい。
お茶会参加に向けて礼儀作法の特訓の為、魔法の修行を少しの間休むと、カーティス婦人やローズ嬢から申し入れがあった。その事がきっかけとなり、僕と兄上とホーリーの授業も、しばしの休みとなるらしい。
高位貴族家の一部で不幸事が重なった為、城内の人事でゴタゴタがあり、魔術師団団長もそちらに集中したいとちょうど良かったみたい。
そのトラブルに関連してか、ここしばらく兄上は忙しなく動き回っていた。グラスと盛んに打ち合わせをしたり、指示を出して情報を集めたりしている。
何故そんなに焦っているのか僕にはわからなかったが、とても聞ける空気じゃなかった。でも、ローズ嬢の元へ母上から招待状が届いたと耳にしてから、兄上の機嫌は回復した――かのように、パッと見は感じられる。笑顔で浮かれているように見えるのだが、どうにも空回りしていて兄上らしくない。……お茶会が無事に終わってくれたら、兄上も落ち着いてくれるのだろうか?
ローズ嬢のサロンデビューが、いよいよ間近に迫ったある日の昼食後。急に魔法の授業がなくなったので、温室へと向かう兄上に続いて廊下を歩く。途中、僕はチラリと兄上の顔色を窺うが、今日の表情は一段と強張っていて、つい息を吐き出してしまった。
不意に、前を進む兄上が立ち止まった。下を向いて歩いていた僕は兄上の背中にぶつかってしまい、謝ろうと顔を上げたところで、前方から誰かが近付いて来ているのに気付く。
この距離からでも目を引く、特徴ある紫碧色の髪の毛。王宮内を歩く者の中で、その髪色を持つのは国王である父上ともう一人――。
「アコナイト」
小さく――本当に小さな兄上の呟きを拾ったのは、たぶん僕だけだろう。その言葉を耳にして、僕は改めて人物に目を向ける。「本当にアコナイトだ……。何故?」と、僕は内心混乱してしまった。
王宮は広くて人の出入りも激しい。父上の私室部分、母上・兄上・僕の居住区画、王妃とアコナイトの居住区はそれぞれ離れていて、普段顔を合わせる事はまずない。催し物の時に、父上を挟んで同席する事はあるが、アコナイトや王妃との接点ははっきり言ってそれだけだ。
もっと小さい頃に「挨拶くらい」と思って、顔を合わせようとした事はあった。けど――
「アコナイト殿下! 危険ですから近付いてはなりませんぞ」
と、ハデなおじさんに牽制を受けて以来、疎遠。アコナイトがこちらの区画にやって来たのは、初めてなんじゃないかな? 多分……、いや、絶対。
ぞろぞろと取り巻きを従えながら、僕たちの方に近付いてきたアコナイトは、兄上の少し前で歩みを止める。年齢と身長に差があるからサマにはならないが、おそらくは彼なりに精一杯の背伸びをして、兄上と僕を下から見下すように背を反らす。「フンッ」とハデなおじさんそっくりに鼻で嗤い、それから口を開いた。
「ずが高いぞ。みぶんの差を思いしれ。なにさまのつもりだ」
「……」
僕はちょっと感動していた。ひょっとしたらアコナイトとは一生口をきく事がないんじゃないか、くらいに思っていたから。……発した言葉はずいぶんアレだけど。
「これはこれは、失礼致しました」
兄上はにこりと微笑んだ後、僕の体を引っ張って廊下の端に寄せ、頭を下げさせるよう、やや強めに頭上を手で押してきた。すぐに兄上自身も、僕の横に並んで立って頭を下げる。僕を庇うように、「抑えろ」と言うように、僕のお腹の上に左手を添えてきた。
今僕が見ているのは、兄上の横顔と爪先と廊下の模様。そして、視界の端に別の足が入り込んだ事から、アコナイト達がわざわざ僕達の前に移動してきたのがわかる。
「お前の双子のきょうだいは、なんという名だったか、ウィロウ」
「ローズといいます」
――ピクリ。と、僕も兄上も反応してしまう。
「みらいの王たる私にたいして、いまだにあいさつすらしてこないなんて、身のほどを知らない女だな」
「もうしわけありません。顔はまあ、見れなくもないですが、魔力が多いだけのぐどん(愚鈍)な姉でございます」
「――!」
僕は息を吸い込み、反射的に詰め寄って抗議をしようと、体に力を入れた。だけど、僕が実際に動くのよりも前に、お腹に置かれた兄上の手によって制される。
「フンッ! 誰がイチバン上なのか、会ったらたっぷりときょういくをほどこしてやらないとな。行くぞ」
足音と、気配が完全に遠ざかるまで、僕は頭を下げ続けた。目は見開いたままだけど、何も入ってこない。……兄上の顔は、とてもじゃないが見る勇気がなかった。
廊下の向こう側に気配が消えて、兄上は漸く体を動かした。壁に凭れかかり、僕を留めていた手で前髪をかき揚げる。
「ご挨拶だったねぇ……」
そう口にした兄上の表情は――悔しさと悲しみと怒りと憐れみと不信と苦しみと焦燥と納得とで――複雑に彩られながら……不思議とスッキリとした空気を醸し出していた。
★★★
当初は温室に向かう予定だったが、兄上は何も言わずに行き先を変えた。僕も黙って後ろに付いて歩いていく。進んでいく内に、父上や母上達と一緒にお茶を楽しむ為の部屋に近付いているとわかる。
扉の見える位置まで来ると、丁度グラスが出てきたところで、兄上と僕の姿を見て驚いた様な表情を浮かべた。
「ただ今お迎えに上がるところでした。陛下がお待ちです」
「ええ。私もそのつもりでした」
兄上はそれだけを沈んだ声で答える。
グラスの取次ぎで部屋の中に入ると、すでに父上と母上は奥のソファーに並んで腰掛けていた。兄上と僕は手前側のソファーにそれぞれ座る。父上も母上も兄上も僕も、いや、この部屋にいる誰もがみんな表情は冴えない。
プラムがお茶の用意をしようと動き出すが、兄上は無言で首を振ってそれを止める。父上も小さくうなずいた為、プラムは頭を下げてから壁際に控えるようにして立った。
「リンデンよ」
「はい」
「カーティス公爵家の令嬢の件だが……、アコナイトと婚約させる事となった」
「え……?」
「そうですか。予想はしていましたが」
「え!?」
父上の言葉に取り乱したのは僕だけで、兄上は静かに落ち込んで返事をしていた。
「え、え!? だって、兄上、その……」
僕は「いいの!?」と続けて口にするつもりだったのだけれど、兄上は自分の唇に人差し指を添えて僕の言葉を封じた。喋ってはいけない事はわかっても全然事態が呑み込めない僕は、父上・母上・兄上の顔をオロオロと見比べる。
兄上はそっと僕の肩を抱いて、ゆっくり頭を撫でてくれた。
「大丈夫だよ、ローレル」
「兄上……」
声にはしないが、目で「いいの? 兄上はそれで本当にいいの?」と必死に問いかける。
兄上は僕の視線を受けて微かな笑みを浮かべると、父上・母上・僕の三人に見えるような位置で、口をパクパクと動かした。
『か く ご が い る』
――覚悟? 覚悟とは一体なんの事なのですか兄上? 兄上!
「陛下の御心のままに」
「兄上!?」
父上に対して穏やかに答えた兄上は、僕の手を引いて早々に部屋を後にする。そして、いつかの日みたいに勉強部屋に向かって歩き出したのだった。




