第8話 枯れた地下都市
閉ざされた鉄格子の前で、私とラウルの手首に淡い光が灯った。
熱も震動もない。二つの光は約束の履行を告げるように一度だけ明滅し、輪郭をほどいて消えた。
期限付きの同行契約は、ここで終わった。
それでもラウルは立ち去らなかった。フィアを盾にせず、鉄格子の前へ進み出る。
門番は三人。長槍の穂先が、まっすぐ私へ向けられていた。彼らの視線が、地上の紋章を残した私の装備、フィアの傷ついた足、ラウルの両手首と片足に残る黒い枷を順にたどる。
先頭の門番が地下語で鋭く問いかけた。
意味は分からない。だが、怯えと怒りが混じっていることだけは声で分かった。
ラウルが短く答える。言葉が交わされるほど、門番たちの表情は険しくなった。
「何と言っているの?」
「あんたは地上の斥候で、水路を壊すために来たのかと聞いている」
門番の一人がフィアの足を指し、さらに強い口調で何かを言った。
「その子をさらったのも、あんたかと」
私は息を呑んだ。
「違う。フィアは瓦礫に挟まれていて――」
説明しかけた私の脇を、小さな影が通り抜けた。
フィアだった。
彼女は痛む足を引きずって鉄格子へ近づき、両手で鉄棒をつかんだ。そして門番たちへ、自分の言葉で懸命に話し始めた。
瓦礫を持ち上げる仕草。六本脚の獣を示す指。私の手を取り、自分から歩いたことを表す足取り。
ラウルは口を挟まず、フィアが話し終えるまで待った。
「助けられた。魔獣から一緒に逃げて、自分であんたについてきたと言っている」
門番たちの槍が、わずかに下がった。
疑いがすべて消えたわけではない。ただ、少なくともフィアの意思だけは届いた。
次に彼らの視線はラウルへ集中した。
年長の門番が、枷を見て顔色を変える。無意識に背筋を伸ばしかけ、すぐに歯を食いしばった。敬意と怒りと恐れ。相反するものを、同時に向けているように見えた。
彼は何かの呼び名を口にしかけ、途中でのみ込んだ。
ラウルが何者なのかは分からない。
だが、彼の名だけでこの門が開くことはなかった。
鉄格子の内側で、突然、石の割れる音がした。
配給所へ伸びる水管の継ぎ目が弾け、細い噴水のように水が噴き出す。
広場に並んでいた住民たちが一斉に動いた。空の器を差し出す者、子どもを押しのけまいと抱き寄せる者、わずかな水を巡って怒鳴り合う者。
門番が水管へ駆け寄り、厚い布を亀裂へ押し当てた。別の一人が上流の弁を回す。噴き出す勢いは弱まったが、配給所へ届く水まで止まった。
鉄格子の下を、一滴だけ水が転がってきた。
私の靴先へ触れる。
反射的に境界感知を通した。
その水滴には、水管を流れてきた魔力の癖が残っている。亀裂、上流の弁、門の左右に延びる三本の乾いた支路。見える範囲の構造を一つずつたどった。
漏れたから水量が減ったのではない。
亀裂へ届く前から、流れそのものが細すぎる。
しかも三本の支路に残った魔力は、どれも本来の流れから外れ、都市の外側へ引かれていた。さらに上へ。遠すぎて行き先までは読めないが、同じ方向だ。
「ラウル。亀裂を塞いでも、水は戻らないと伝えて」
通訳を聞いた門番が、地下語で怒鳴り返した。
「地上人の戯言だそうだ」
「なら、見えるようにする」
私は鉄格子の下へ膝をつき、乾いた支路から流れてきた白い粉を三か所に分けた。
水を生み出すことはできない。遠くの水脈を直すこともできない。
今ある残留魔力と、粉の境界を短い間だけつなぐ。
指先へ魔力を集めると、視界の端が暗くなった。まだ回復しきっていない身体が、これ以上使うなと訴えている。
それでも三つの粉の筋を、同時に浮かび上がらせた。
青白い光跡が水路に沿って走る。
三本は別々の方向へ流れるはずだった。だが、どの光も途中で不自然に折れ、都市の外側、その上方を指して伸びた。光は源へ届く前に途切れたが、方向だけは誰の目にも明らかだった。
「水が自然に枯れたわけじゃない。外へ引かれている。水路を動かす魔力ごと」
断定できるのは、そこまでだ。
誰が、何のために、どこへ吸っているのかは分からない。
門番たちは光跡と、止まった配給管を見比べた。やがて上流の弁をわずかに開く。亀裂を布で塞いでも、水管の内側には雫ほどの水しか戻らなかった。
私が示した流出と、同じ結果だった。
都市の奥から、壮年の角人族の男が足早にやってきた。腰に水路図の筒と、いくつもの弁鍵を下げている。水路管理者のバシュルだと、門番が呼んだ。
門番から説明を受けると、男は地上語で私へ尋ねた。
「今の光は、お前が見せたのか」
「ええ。吸われている方向なら追えるかもしれない」
男は私を信用したわけではなかった。険しい目のまま、乾いた水路へ視線を落とす。
「地下全域へ水を回す古代設備を、水脈核と呼ぶ。そいつが止まりかけている」
広場の一角で、空の器を抱えた住民同士が言い争っていた。どちらも自分の集落へ先に水を回せと訴えているらしい。
別の場所では、若い男が拳を振り上げ、周囲へ何かを叫んでいる。
「ガレス派だ」
バシュルが苦い顔をした。
「地上に奪われ続けるくらいなら、今すぐ報復へ出ろと言っている。あの言葉へ傾く者は、日に日に増えている」
奪われる水と魔力。空の器を抱く子ども。
怒りが生まれるだけの理由が、目の前にあった。
「私は境界術師よ」
私は管理者を見据えた。
「吸収の方向を追える可能性がある。一晩だけ調査させて。監視をつけていい。歩ける場所を制限しても構わない。何も見つけられなければ、夜明けに出ていく」
「信用しろと?」
「信用しなくていい。今見せたものと、次に出す結果だけを確かめて」
管理者は黙り込んだ。
空の配給管。住民の列。消えかけた三本の光跡。
それらを順に見た後、門番へ命じた。
「一人分だけ上げろ。三人とも監視をつける」
鉄格子が、人一人くぐれる高さまで軋みながら持ち上がった。
歓迎ではない。水が尽きるまでの短い猶予が、私へ与えられただけだ。
槍を持つ門番に囲まれ、私たちは都市へ入った。
通路の両側から、いくつもの視線が刺さった。地上人だと声を荒らげる者もいれば、先ほどの光跡を指して囁き合う者もいる。年老いた女がフィアの足へ巻く新しい布を差し出したが、私と目が合うと怯えたように手を引いた。
感謝も期待も、まだ私へ向けられてはいない。それでよかった。今は水の行方を見つける方が先だ。
バシュルはそのまま門脇の中継所へ私を連れていき、壁に埋め込まれた古い圧力計を示した。
針が、小刻みに震えながら赤い領域へ落ち続けている。
目盛りと減少速度を見比べ、私は息を詰めた。
管理者が告げる。
「急げ、地上人。水脈核は夜明けまで持たない」




