第58話 英雄像を壊す日
白いリディア像をどう扱うか決める集会に、本人は出席しなかった。
地上の市民が作り、祈り、嘘を広めた像だから、まず地上側が責任を引き受けるべきだと、リディアは判断を委ねた。
王都広場の仮設議場で、ネラは市民席の一番前に座っていた。
像の撤去を求める者。裁判の証拠として残すべきだという者。新しい碑文へ替え、像そのものは維持したい者。
意見は割れていた。
「あの像は王家の嘘だ。今すぐ砕け」
火災で家を失った若者が叫ぶ。
「だが、私たちはあの像の前で家族の無事を祈った」
老女が反論する。
「嘘だったとしても、あそこで支えられた気持ちまで偽物だったとは言わないでおくれ」
ネラは、老女を責める気にはなれなかった。
王家の発表を信じた市民全員が、同じ程度に罪を負うわけではない。与えられた物語の中で、誰かの勇気に縋りたかった者もいる。
けれど、慰めになったからといって、本人の拒絶を消した像をそのまま残すこともできない。
石工組合の代表が、第三案を出した。
「笑って死んだ聖女像は下ろす。石は捨てず、広場の共同水路へ作り替える。台座には、消された二十七人の名と記録を刻む」
議場がざわめく。
「なら、中央には生還した女王リディアの新しい像を置こう」
商人の一人が提案した。
「鎖を断ち、王家を倒した姿で。今度こそ本当の英雄として」
賛成の声が上がる。
ネラは立ち上がった。
「反対です」
視線が集まる。
彼女は、リディアの侍女だったという理由で、正解を知る代弁者になったつもりはない。本人から、この案を止めろと頼まれたわけでもなかった。
それでも、地上で彼女の生活を見ていた一人として言わなければならない。
「私たちは一度、リディア様を都合のよい『笑って死ねる聖女』へ作り替えました。次は『決して迷わず王家を倒した女王』へ作り替えるのですか」
商人が言い返す。
「だが、彼女が王都と地下を救ったのは事実だ」
「功績を記録することと、本人を一つの姿へ閉じ込めることは違います」
ネラは、帰還後のリディアを思い出した。
泥に汚れ、痩せ、怒り、ネラの顔を見て少しだけ緊張を解いた女性。
王都の灯を一度すべて消し、自分の誤りを公表した。ラウルを失うことを恐れ、女王の役目とは別に好きだと伝えた。完璧な解放者ではない。
「リディア様は、怖い時には怖いと言う方です。間違えれば、間違えたと記録する方です。新しい像が勇敢な姿だけを残せば、またその人間らしさを削ります」
市民席から、別の声がした。
「では、何も称えるなというのか」
「称えることを禁じるのではありません。像に本人の答えを代わりに言わせないでほしいのです」
長い議論になった。
像を残す案には、王家の宣伝物を温存するという反対が出た。完全に粉砕する案には、嘘を作った事実まで見えなくなるという懸念が出た。
消された一人、オーウェン・グラートの曾孫が発言を求めた。
「二十七人を一つの『犠牲者碑』へまとめることにも不安があります。祖父から聞いたオーウェンは、聖人ではない。怒りっぽく、賭け事で家族を困らせた。それでも、同意せず残された」
彼女は持参した家族記録を机へ置いた。
「立派だったから名前を返すのではないはずです。都合のよい被害者像へ揃えないでください」
その指摘で、碑の設計も変わった。
二十七人の名を同じ短文の下へ並べず、一人ずつ独立した記録板を作る。残る情報量に差があることも隠さない。悪評や処分歴がある場合も、置き去りへの不同意とは別欄にする。
像の一部は、宣伝がどう作られたか示す資料として記録院へ保存する。微笑む顔の小片と旧碑文を、崇拝の対象ではなく、建立命令、彫刻依頼、国葬放送の記録と一緒に展示する。
水路も、名の刻まれた石へ水を流して浄化した形に見せないよう、碑の横を通す設計へ改めた。
細部を決めるたび、当初の美しい完成図は複雑になった。
けれど、その面倒さこそ、一人ずつ違う人生を扱うために必要だった。
最終的に、市民投票で石工組合案が選ばれた。
ただし、元の像が何だったかを隠さない。
解体前の像、旧碑文、建立を命じた組織、国葬で語られた言葉。それらを独立記録院へ保存し、広場の新しい説明板にも記す。
翌朝、石工たちが像へ足場を組んだ。
最初に外されたのは、微笑む顔だった。
群衆の中で泣く者がいる。怒号も拍手もあった。
ネラはどちらにも加わらず、作業記録へ時刻を書いた。
像は地面へ投げ落とされなかった。石工が継ぎ目ごとに分解し、表面の彫刻を削って、広場を巡る水路の縁石へ加工する。
聖女の頬だった石。祈る手だった石。笑顔を固定していた白大理石は、人々が水を汲み、座って話すための形へ変わっていく。
台座の正面には、二十七人の名が刻まれた。
ローデン。姓が記録に残っていない箇所は、推測で補わず欠損のまま示す。
エルナ・ヴァイス。バルド・ケイン。セシル・ノーラ。オーウェン・グラート。
名前、年齢、職業、本人が残した言葉、地上の公式報告との差。生存、死亡、不明の区別。
二十七人を、同じ顔の犠牲者へまとめない。
リディアの名を、二十八人目の死者としては刻まなかった。
別の欄に記す。
『リディア・フェルゼン。帰還門に残ることを拒絶し、置き去りにされた。地下で生還。地上の公式発表と共同証言の虚偽を告発し、消された二十七人の記録保全に関わった』
その下には、彼女の功績だけでなく、王都の一括停電を命じた誤りと、その後の訂正手続きも参照記録として記した。
新しい聖女像にしないためだ。
完成の日、共同水路へ初めて水が流された。
星脈炉から切り離され、地上と地下の水路管理者が共同で流量を決める、小さな公共水路だった。
老女が、かつて像へ捧げていた白い花を持ってきた。
彼女はしばらく迷い、二十七人の碑の前ではなく、水路の脇へ花を置いた。
「祈った自分を、なかったことにはしないよ」
老女はネラへ言った。
「でも、あの方が笑って死んだとは、もう言わない」
ネラは頷いた。
壊したのは石像だけではない。
誰かの拒絶を、美しい犠牲へ変えれば安心できるという、地上の記憶の形だった。
広場に立つ中心像はなくなった。
代わりに、二十七の異なる名と、流れる水と、記録を読む人々が残った。
だが、その水を誰がどれだけ管理するかを巡り、地上と地下の代表はすでに新しい議論を始めていた。
王家を失った後の国を、次はどの形で繋ぐのか。




