第51話 王都の民を守れ
南市街へ向かう途中、私たちは角飾りの兜をかぶった放火兵を一人捕らえた。
兜は地下の角人族を真似ているが、内側には王太子直属隊の装備番号が刻まれていた。腰の油壺も、王立武器庫の封印付きだ。
男の外套から、放火地点を記した小地図が見つかった。
狙われているのは空き家ではない。地下軍の進路から見える住宅街、地上の救護所、そして避難鐘の塔。火をつけた後、「角持ちが南へ逃げた」と証言する役まで割り振られている。
私は地図と装備をその場で市民へ掲げることはしなかった。怒りの群衆の前へ捕虜を出せば、証言を取る前に殺される。
代わりに、地上の消防隊長と独立記録院の二人に刻印を確認させ、複写を各避難所へ送った。王家の偽装だと信じない者がいても、どの倉庫から出た油か、後で自分たちが検証できる形にする。
それでも、火の中から逃げる市民に刻印を確かめる余裕はない。
「奈落の軍が来たからだ!」
「魔物が町を焼いている!」
叫びが広がり、私たちを見る目に恐怖が集まる。
地下兵の側でも、怒りが弾けた。
「助けに来た俺たちへ石を投げるのか!」
一人が、市民を追おうと隊列を外れた。
私は彼の前へ立った。
「戻って」
「地上人は、何も知らなかったと言えば済むのか。俺の村が枯れた時、こいつらは祭りの灯を見ていた!」
「知らなかったことだけで、被害が消えるとは言いません」
私は彼の怒りを、誤解だと切り捨てなかった。
「でも、石を投げた一人を殴っても、あなたの村へ水は戻らない。いま軍規を破って市民へ向かえば、前線任務から外します。被害の訴えは記録係へ。賠償の審理で、あなた自身の言葉として残して」
兵は拳を震わせた後、列へ戻った。
命令に従ったからといって、憎しみが消えたわけではない。それでよい。感情まで忠誠させる権限を、私は持っていない。
南市街の火は、三つの街区へ広がっていた。
木造の商家が密集し、細い路地には避難の荷車が詰まっている。王都の常設消防水槽は、建国祭と治癒装置への魔力供給を優先したため、半分以上が空だった。
宮殿へ進む第四班から、突入許可を求める通信が届く。
『いまなら外門を破れる。王太子直属隊の主力も市街へ出ている』
ここで宮殿を取れば、指揮系統を止められるかもしれない。
だが、その間に南市街が焼ければ、王家を捕らえても何千人もの生活は戻らない。
「宮殿突入は延期。封鎖を維持し、放火命令と星脈炉の記録を外へ出させないことだけを優先してください。全救助班を南へ」
好機を逃す判断だった。
失敗すれば、王太子を逃がした女王として責任を負う。それでも、燃えている人々を勝利のために後回しにはできない。
私は王都の古い水路図を広げた。
南市街の外には、洗濯場へ水を送る開渠がある。水量は少ないが、完全には止まっていない。三街区先には、まだ燃えていない石造りの市場広場がある。
水を炎の上へ直接転送しても、熱風で散り、路地の奥まで届かない。
必要なのは、火の進路を切ることだ。
「市場広場から人と荷車を出して。石畳の排水溝を全部開けてください。開渠側では、水門を一段だけ上げる。全部開けると下流が枯れます」
地上の水路番が走る。
私は開渠の分水口と、市場広場を囲む排水溝の入口を接続した。
冷たい水が石畳の四方へ溢れ、広場の周囲に浅い水の帯を作る。そこへ消防隊が濡らした布と土を重ね、燃える街区との間に防火線を築いた。
火を消したわけではない。
四つ目の街区へ広がる道を止めただけだ。
残る三街区から、人を出さなければならない。
黒鱗の守護獣が、南門の前で低く鳴いた。レグナに残っていた個体が、獣守たちと共に王門を通ってきたのだ。
私は銀環へ、燃えている場所、崩れそうな壁、人の声がする位置だけを送った。
瓦礫を退けろとは命じない。
獣はしばらく炎を見つめ、自分から石壁へ向かった。鱗で火の粉を受けながら、崩れた梁を押し上げる。
地下兵と王都の消防夫が、その腹の下を通って住民を運び出した。
別の守護獣は水の帯から離れず、火に怯えて近づかなかった。獣守は無理に進ませず、補給路の見張りを頼む情報だけを送る。協力する獣と、しない獣がいる。それも選択として扱った。
救助の途中、閉ざされた町内門から百人近い住民が見つかった。
門には内側からではなく、外側から王家の封印鎖がかけられている。
近くの詰所で押収した命令板には、『奈落軍侵入時、市民の無秩序な移動を禁じ、指定広場へ留め置く』とあった。避難鐘を鳴らす命令も、王太子府が差し止めている。
王家は市民が逃げ遅れたのではなく、逃げられないようにしていた。
私は封印鎖の接続だけを外し、門を開けた。
中から出てきた老人が、咳き込みながら私の外套を見た。
「地下から、来たのか」
「ええ」
「星脈炉は、地下の余った力で動くと聞いていた。水がなくなることも、人が弱ることも……知らなかった」
私は「ならば罪はない」とは言わなかった。
「これから、知った後に何をするかを決めてください。今は市場広場へ」
夜半、防火線がようやく安定した。
死者は出た。家を失った者も多い。奇跡的な全員救助にはならなかった。
救助記録には、助けられなかった場所も記した。
南第三路地では、梁の崩落が早く、地下兵二人と地上消防夫一人が中へ入れなかった。家族三人の死亡が確認された。別の家では、救助の順番を巡って住民同士が争い、重傷者の搬送が遅れた。
王家の放火だったと証明しても、亡くなった者は戻らない。地下軍が救ったという物語だけで、その夜を塗り替えてはいけない。
私は死者、負傷者、焼失家屋、救助側の判断を、地上と地下の記録係に二重で残させた。
火災後の配給では、地下軍の手柄を理由に優先を求めない。家を失った市民と、王都で負傷した地下兵を、同じ被害基準で並べた。そこでも不満は出たが、所属ではなく必要度で配る最初の試みになった。
それでも、第四街区と施療院へ火が届くのは防げた。
施療院から来た救護人が、私を探して駆け込んできた。
「大奇跡装置が不安定です。星脈炉の供給が乱れ、治療を受けた患者たちの体内へ、逆流が起きています」
装置を止めれば、借り物の力で状態を保っている重症者が危険になる。動かし続ければ、過剰な魔力が患者を壊す。
「マリエルは?」
「装置の前にいます。宮廷魔導官は、聖女として奇跡を維持しろと命じています」
借り物の聖女は今、自分の地位と、目の前の患者のどちらを残すか迫られていた。




