第44話 地下を敵にした王国
水脈核に接続された古い連絡門が、夜半に三度警告音を鳴らした。
王家式の起動信号だった。
侵入に備え、防衛要員が槍を構える。私は治療所から届いたラウルの容体報告を畳み、連絡門の前へ向かった。
門の向こうにある座標は、王都の宮廷魔導部から古代設備へ資材を送るための保守水路だ。記憶庫襲撃以降は閉じられていたが、内部から正規の整備鍵が使われている。
「開けるとしても、人一人分。出口は拘束区画へ」
私は防衛代表とオルドの承認を確認し、連絡門と石壁に囲まれた検査室を短時間だけ繋いだ。
青い光の中から、一人の男が転がり出た。
宮廷魔導技師の灰色衣。肩には深い切り傷があり、片手には黒い命令箱を鎖で巻きつけている。
ヴァルターだった。
防衛要員が即座に彼を押さえ、命令箱を取り上げる。男は抵抗せず、荒い息の間から言った。
「原本を……焼かれる前に、持ち出した」
「治療を。拘束は解かないで」
私が命じると、ヴァルターは顔を上げた。
「助けるのか。私は、あの装置を外した」
「知っています。だから治した後、証言してもらいます」
救命と赦免は別だ。
私は黒い箱へすぐには触れず、ミハルの副記録員、オルド、地上の独立記録院と連絡できる照合員を呼んだ。箱の錠、蝋封、鎖の切断面を先に記録し、ヴァルターの持ち出し時刻を本人の供述と門の起動履歴の両方へ刻む。
王家の大印があるから本物なのではない。
紙の繊維、命令番号、作成時の認証魔力、同じ日に発行された別命令との連番。それらが一致して初めて、王家自身が否定しにくい原本になる。
三人の立会人の前で、命令箱を開いた。
最初の文書は、遠隔維持装置の位相環撤去命令だった。
『深層任務完了後の帰還人数を十三名に制限し、境界術師リディア・フェルゼンを生体維持役として残置する』
その一文を見た瞬間、指先から熱が引いた。
事故の可能性に備えた非常案ではない。
任務を終えた後、私を残す。最初から目的として書かれている。
下部には、レオナードの個人魔力紋。そして、国王オズヴァルトの承認印。
二通目には、対象選定表が添えられていた。
境界術の必要性。政治的後援の弱さ。遠征隊内で頼みを断りにくい性向。婚約者エドガーによる説得、または物理的な拘束の可能性。
私が人として何を望むかではなく、どれほど使いやすく、捨てた後に騒ぎが小さいかだけが評価されている。
吐き気がした。
それでも、文書を握り潰さなかった。
「読めない箇所は、読めないまま拡大複写して。私の解釈を書き込まないで」
三通目は、投票札の差し替え手順。クレマンの職務印と、私の登録見本を使った認証偽造の指示がある。
これで、投票偽造と装置撤去が、クレマンやヴァルター個人の独断ではなかったと確定する。
ヴァルターは治療を受けながら、途切れ途切れに供述した。
「位相環を外したのは私だ。正常な装置だった。殿下の命令書と国王印を見て、国家機密だと自分へ言い聞かせた。……帰還後、環を兵器へ組み込む作業も監督した」
「あなたの供述は、命令された行為と、自分で選んだ行為を分けて記録します」
「わかっている。保護と引き換えに、無罪にしてくれとは言わない」
彼を味方とは呼ばない。王家に殺されかけたから逃げてきただけかもしれない。それでも、原本の来歴を知る重要な証人として、生かして審理へ渡す。
命令箱の底には、折り畳まれた古代設備図があった。
水脈核、記憶庫、獣冠、星脈炉を示す四つの紋。そのすべてから伸びた線が、王都直下に描かれた巨大な円環へ集まっている。
『王門』。
地上と地下の王が、古代には共同で開閉した広域門。図の端には、地上側座標を破壊するための王太子府の作業命令も綴じられていた。
私は図を別封し、まず命令原本の複写を地上へ送る手順を組んだ。
一斉に全文をばら撒けば、王家は偽物を混ぜて真贋を曖昧にできる。独立記録院へ全文の認証写し、商人組合へ位相環命令、地方神殿へ生体維持役の選定表。三者が共通番号を照合してから、同時に受領を公表する。
だが、証拠を公表するだけでは、いま地下へ入っている地方軍の槍は止まらない。
私は捕虜名簿を開いた。
灰橋口と記憶庫で拘束した王国兵の出身地は、六つの地方へ分かれている。その多くは、地下収奪の真相も、帰還事故の計画も知らされていなかった。
「各地方軍へ、別々の条件を送ります」
防衛代表が眉をひそめた。
「捕虜を餌にするのか」
「人質にはしません。地下侵攻を停止し、撤退経路で民間人を攻撃しないと公開宣言した部隊には、同じ地方出身の捕虜を第三者立会いで返します。応じなくても、捕虜を殺しはしない。その点も明記します」
王家への忠誠を捨てろとは要求しない。
まず、地下と戦う理由が虚偽だったと確認し、侵攻を止めることだけを求める。
最初の返信は拒絶だった。
『王家の原本と称する文書を信用しない。捕虜を即時解放せよ』
私は反論せず、該当地域の捕虜三人が生きていること、負傷の治療記録、本人の短い手紙を送り返した。
二通目は保留。
三通目で、北方第二軍が進軍停止を宣言した。
『原本の真贋を独立記録院が確認するまで、新たな地下攻撃へ参加しない。捕虜交換と負傷者収容の協議を求める』
最初の捕虜返還は、地下と地上の境にある乾いた検査坑で行った。
双方が十歩手前で武器を置き、地方神殿の救護人が捕虜三人の本人確認と健康状態を読み上げる。北方第二軍からは、地下で拘束されていた家族を持つ兵士の名簿と、これ以上灰橋口へ進まないという指揮官印が渡された。
捕虜の一人が地上側へ歩きかけ、途中で振り返った。
「俺たちは記憶庫で、何を焼けと命じられていた」
同行した王都直属の監察官が「黙れ」と怒鳴った。
北方指揮官は、その監察官の腕を掴んだ。
「いまは我が軍の兵へ命令するな。答えは、こちらで聴取する」
王家への反乱を宣言したわけではない。ただ、自分の兵の証言を王太子府へ渡さないと決めた。
その小さな決裂が、原本の複写より早く各地方軍へ伝わった。
続いて、西部守備隊が灰橋口から後退した。王都直属軍との間で、命令系統の争いが起き始める。
地下の味方になったわけではない。
ただ、王家の嘘のために死ぬことを、組織として拒んだのだ。
一方で、南部軍は撤退条件を拒み、王都直属軍と共に侵攻を続けた。原本を見れば全員が正義へ目覚めるわけではない。王家から得る地位や、地下資源の分け前を失いたくない指揮官もいる。
私は離反した軍だけを「善良」と呼ばず、残る軍だけを「洗脳された」とも呼ばなかった。それぞれが情報を得た後に何を選んだかを、部隊名と時刻付きで記録させた。
王国という一枚の壁に、初めて地方軍の形をした亀裂が入った。
夜明け前、私は王門の付属図を水脈核の地図へ重ねた。
巨大な円環は、王都の真下と地下中央域を結んでいる。
王家が三日後に壊そうとしているものは、私たちが地上へ出るための、最後の大きな道だった。




