第40話 二つの侵攻
「地上のガレス軍残党は?」
『およそ百二十。王家の承認を信じ、降伏命令を拒否しています。レグナ東門と補給庫の間で戦闘を継続』
「灰橋口の王国軍は?」
『三個中隊。地下避難路の地図を持ち、中央都市側へ進行中!』
女王就任の記録板は、まだ封印の蝋さえ固まっていなかった。
地上ではガレス軍が王家製武器を使い続け、地下では王国軍がガレスから得た地図を使っている。二つの侵攻は別々に見えて、同じ取引から生まれていた。
戦力を一か所へ集めれば、もう一方の民間人が取り残される。
「部隊を分けます」
私は現場図へ印を置いた。
「レグナ側は現地防衛班と、獣守の判断で協力を望んだ守護獣に任せる。目的は残党の武装解除と住民避難。ガレス本人の拘束記録を全員へ送り、王家の自治証書と武器引渡し記録も公開してください」
獣守が銀環を通じ、採石場にいる三頭へ選択肢を送った。地下へ戻る水路、地上に残るなら安全な谷、戦いから離れる北の荒野。命令ではなく、位置と危険だけだ。
二頭は地下へ戻る道を選び、黒鱗の一頭はレグナの外れに留まった。負傷者を運ぶ荷車とガレス残党の間へ伏せたが、私たちの指示には従わない。
守護獣が地上側へ残ったという決定も、私の戦力配置ではなく、その獣自身の選択として記録させた。
「あんたは地上に残った方が、兵は従う」
防衛班長が言った。
「だからこそ、私は地下へ行きます。地上側には指揮できる人がいる。灰橋口の避難路を組み直せる境界術師は、私しかいません」
勝利を見せる場所ではなく、住民が逃げる暗い道を選ぶ。
ラウルが立ち上がった。
「俺も地下へ行く」
「腕の傷は?」
「動く。足枷も、星脈炉の工具で片方だけ外せた」
両手首の拘束具は残っている。それでも、灰橋口の地形と古い避難規則を知るのは彼だ。
私は同行を認めた。ミハルは地上側へ残し、ガレスの拘束、王家との取引、女王選任の記録を守らせる。
水脈核側から、フィアが灰橋口近くの打音標を送ってきた。私はレグナの取水口と地下の枝水路を十秒だけつなぐ。
通るのは私、ラウル、治療師一人、防衛要員三人。
地下へ戻った時、灰橋口の天井は赤い信号火で照らされていた。
避難民が中央都市へ向かう狭い道へ殺到し、荷車が横倒しになっている。後方では王国兵の号令と破砕音が近づいていた。
「リディア!」
人の間を縫って、フィアが駆けてくる。
別れた時より顔色がよく、足の包帯も外れていた。けれど、再会を喜ぶ暇はない。
フィアは地下語で、三方向を指した。ラウルが訳す。
「東の避難路は王国兵に塞がれた。北は崩落。西の旧水路だけ、まだ通れる。ただし入口がこの広場から二層下だ」
私はフィアの肩へ一度触れ、目の高さを合わせた。
「西の水路までの音を送れる?」
フィアは頷き、石を二つ取り出した。
記憶庫からも、灰橋口周辺の古い座標記録が送られてくる。水脈網に残る現在の打音と、記憶庫の過去座標。二つを合わせれば、崩落で消えた道を避け、旧水路へ短い避難境界を開ける。
問題は人数だった。
一度に大勢を通せば、境界が揺れて転倒者が出る。王国軍が追いつくまでの猶予は半刻もない。
「水場ごとに分けます」
広場には三つの給水槽がある。私は各槽と西水路の三つの足場を別々に対応させた。
「子どもと歩けない人は第一槽。荷物を持てる人は第二槽。降伏した兵士と守護獣は第三槽。順番は各班が決めて、同時には入らないで!」
守護獣を人と同じ狭い門へ入れれば事故になる。第三槽の境界だけ幅を広くし、通過中はほかの二つを閉じる。
最初の一団が動き始めた。
フィアは三つの石音を使い分け、接続先の足場が空いたことを知らせる。ラウルは地下語と地上語の両方で順番を叫び、荷物を捨てられない老人には、後で回収札を渡すと説明した。
一人の老女が、両腕で木箱を抱えたまま動かなかった。
「これは荷物じゃない。灰橋で生まれた子と、死んだ者と、結ばれた者の名だ。置いていけば、また消される」
箱には集落の出生、婚姻、死亡の記録板が詰まっていた。人だけ先に逃がせばよいとは言えない。名前を失わせれば、記憶庫で見た二十七人と同じ傷を、私たち自身が作る。
「記録箱は人の門へ入れません。第三槽が空く一回を、物資搬送に使います」
私は箱へ封印番号を付け、受取側の記録守にも同じ番号を打たせた。老女は控え札を受け取ってから、ようやく第一槽へ向かった。
救うべき生活は、呼吸している身体だけではない。
王国軍が広場へ現れた。
「奈落の者を逃がすな!」
先頭の兵士が槍を構える。その後ろには、地下で奪った避難路標識が束ねられていた。
だが、全員が攻撃してきたわけではない。
「レグナで、市民を助けたのは本当か」
一人の兵士が、槍を下げたまま尋ねた。
「本当です。投降するなら、あなたたちも避難門を通れます。ただし武器は置いて」
私は広場の端にある空の資材坑と、兵士たちの前の石枠をつないだ。
「武器だけを、この枠へ投げてください。人は通しません」
最初の槍が投げ込まれ、資材坑の底へ落ちる音がした。
二本、三本と続く。
隊長が叫んだ。
「命令違反だ! 撃て!」
後列の弩兵が矢を放つ。
私は矢が通る高さの空間と、同じ資材坑の壁際をつないだ。飛来した矢だけが境界を越え、坑の中へ突き刺さる。
人間そのものを落とさない。
次の斉射までに接続位置を変えなければ、敵は高さを読んでくる。フィアの打音を聞きながら避難門を維持し、空いた感覚で矢道をずらす。
頭の中で、三つの水場と二つの矢道が重なった。
鼻から温かいものが落ち、石床へ赤い点を作る。
「残り四十人!」
ラウルが報告する。
王国軍の後方から、見慣れない兵器が運び込まれた。
三日月形の金属環を中心に据え、長い針を境界へ向ける装置。
帰還門でクレマンの荷袋から見えた位相環と、同じ規格だった。
「境界固定杭、発射!」
青白い針が第一槽の避難門へ突き刺さる。
空間が固定され、閉じることも接続先を変えることもできなくなった。門の途中に、子どもを抱いた三人がいる。
「引き抜く!」
ラウルが固定杭へ走った。
「待って、境界ごと裂ける!」
彼は杭そのものではなく、床へ打ち込まれた支持脚へ鎖を巻いた。防衛要員と一緒に脚を傾け、針の角度を門から数寸だけ外す。
私はその隙に、第一槽の接続を閉じた。
三人が西水路側へ転がり込み、門は無人になってから消えた。
王国兵が二射目を準備する。
「三人、通過!」
フィアの確認の打音。
第一槽にはなお次の組が待ち、第三槽にも降伏兵が残っている。門のこちら側にいる避難民は、まだ数十人に及んだ。
「退くよ!」
ラウルが固定杭から鎖を外そうとした時、兵器の中央環が逆向きに光った。
発射されていない。
杭と位相環の間に残った接続を利用し、王国兵が魔力だけを送り込んだのだ。
青白い光が杭から噴き出し、ラウルの脇腹を貫いた。
彼の身体が、音もなく石床へ崩れた。




