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第39話 奈落の女王

採石場の三つの作業鐘が、一斉に鳴り止んだ。


 次に聞こえたのは、岩壁が崩れる音だった。


 獣冠の信号が最大出力へ上がったことは、星脈炉の地下鍵からも分かった。黒い波が水脈網の上を走り、レグナの南に集められた守護獣へ突き刺さっている。


 目標を示す細い線は、私の境界魔力を追っていた。


「都市の中にいれば、獣は壁ごと来ます」


 私は現場図の上で、北の乾いた河原を指した。


「住民を西区へ。私は河原へ出ます」


「囮になる気か」


 ラウルが険しい顔をした。


「獣を市街から離すための目標にはなる。でも、一人で待つつもりはありません」


 採石場から河原までには、古い石切り場の柵と二本の水門がある。獣守たちは、守護獣が黒環へ逆らう間隔を知っている。地下技師は、ガレスの移動制御台と獣冠の接続構造を図へ起こしていた。


 ラウルたちがガレスへ届くまで、私が三体の進路を遅らせる。その間に技師が制御台の外殻を開く。


 誰か一人が死ぬまで耐える作戦にはしない。柵が二つ破られたら撤退し、河原の下流へ目標線を移す。負傷者が三人出た時点でも中止する。


 私は条件をミハルに記録させ、河原へ出た。


 三体の影が、崩れた採石場から現れる。


 先頭の守護獣は、額の黒環から煙を上げていた。脚は私へ向かっているのに、首は何度も横へ逸れようとする。二体目は自分の前脚を地面へ食い込ませ、引きずられた跡を残していた。


 ガレスの軍勢が、その後ろから進む。王家製の盾と射出器を並べ、中央には黒い制御台がある。


 台の上で、黒銀の王冠を被ったガレスが獣冠へ両手を置いていた。


「王家に選ばれた王が、地下の獣を焼いて地上人へ差し出すの?」


 私が声を飛ばすと、ガレスは歯を見せた。


「地上人の女が、地下のためを語るな!」


 制御環が回る。


 三体が走り出した。


 一つ目の石柵へ、守護獣の肩がぶつかる。私は柵の基礎と上流の空の水門を接続し、衝撃だけを分散した。石は砕けずに横へ滑り、獣の速度を落とす。


 二体目が脇を抜ける。


 獣守が長い角笛で低い音を送った。命令ではない。普段、危険な崩落を知らせる合図だ。


 守護獣の耳が動き、前脚が一拍だけ遅れる。


 黒環がその抵抗を焼く。


 私は三体の動きから、二つの波を拾った。


 一つは獣守の角笛へ反応する、古く穏やかな往復の波。獣と獣冠が位置や危険を伝え合うためのものだ。


 もう一つは、外から一方的に突き刺さり、逆らう身体へ痛みを返す鋭い波。


「二系統あります!」


 地下技師へ合図する。


「外殻を開いても、全部切らないで! 太い黒線と、内側の銀線を分けて露出させて!」


 ラウルと防衛要員は河原の側面を進んでいた。ガレス派の盾列へ正面から突っ込まず、乾いた水路を使って制御台の真横へ回る。


 ガレスがそれに気づき、王家製射出器を向けた。


「撃て!」


 破城杭が水路へ放たれる。


 私は二つ目の水門を開いた。水はない。代わりに、杭が進む直線と、下流へ向かう空の放水路を数秒だけつなぐ。杭はラウルたちの頭上を外れ、無人の河床へ突き刺さった。


 視界が白く明滅した。


 同じ操作はもうできない。


 三体目の守護獣が二つ目の柵を壊す。撤退条件まで、あと一つ。


「リディア!」


 フィアの声が、水脈の通信口から聞こえた。


 彼女は地下で、獣冠の信号を打音へ変えていた。強制波が弱まる一瞬を、短い三打で知らせる。


 コン、コン、コン。


 ラウルがその拍子に合わせ、制御台へ鎖を投げた。鎖が手すりへ絡み、台が大きく傾く。


 防衛要員がガレスの部下を押し退ける。殺し合うのではなく、制御環から引き離すための乱戦だ。


 ガレスは王家製の短槍を抜き、ラウルへ振り下ろした。残った手枷の鎖が槍を受ける。火花が散り、二人の足元で制御台の板が割れた。


 地下技師が外殻へ工具を差し込む。


「王家の装甲板が古代環へ溶着されている! 剥がせない!」


 私は三体の守護獣から目標線を切り、制御台へ向かって走った。


 獣冠の黒波はすぐに私を捉え直す。背後で足音が近づく。


 ラウルがガレスの腕を押さえ、防衛要員二人が制御環の回転を止める。技師が装甲の継ぎ目を示した。


 王家製装甲と古代の獣冠。


 後から溶かして一体化させているが、本来は別の設備だ。


 私は継ぎ目へ両手を当て、二つの金属が『同じ外殻である』という境界だけを切った。


 黒い装甲板が床へ落ちる。


 内側に、銀色の細い環と、そこへ食い込む太い黒環が現れた。


「全部切れば、獣との意思疎通も失われます!」


 技師が叫ぶ。


「切るのは黒い方だけです」


 銀環から届くのは、獣の位置、傷、警戒、渇き。言葉ではないが、互いに返る流れがある。


 黒環は、それを覆って命令へ変え、拒絶した身体へ痛みを返していた。


 二系統が重なる境界は、髪の毛より細い。


 フィアの三打がまた届く。


 強制波が弱まった瞬間、私は銀環を残し、黒環だけを獣冠の中心から切り離した。


 音が消えた。


 三体の守護獣が、河原の途中で止まる。


 次の瞬間、切断された黒環の魔力が、制御台へ逆流した。ガレスの両腕を黒い光が走り、彼の身体が床へ叩きつけられる。


 私は反射的に、黒環とガレスの生命の接続まで切ろうとした。


 だが、すでに逆流は彼の魔力回路を焼き、そこで止まっていた。生命を奪うほどではない。意識はあり、呼吸もしている。


「殺すな」


 私は防衛要員へ命じた。


「獣冠から離し、拘束してください。治療も受けさせます」


 ガレスは起き上がろうとしたが、腕に魔力が集まらない。指揮権だけでなく、獣冠へ流していた力の大半を失っていた。


 守護獣たちは、命令が消えても私へ駆け寄ってはこなかった。


 一体は採石場へ戻り、もう一体は傷ついた脚を舐める。先頭にいた黒鱗の獣だけが、河原の中央で私を見た。


 私は銀環へ触れたまま、退路と水場の位置だけを送った。


 従えとは言わない。


 獣は水場へ向かわず、私と拘束されたガレスの間まで歩いてきた。そこで巨体を横たえ、ガレス側へ角を向ける。


 誰に命じられたのでもない位置だった。


 夜、レグナの旧取水所で地下評議会の臨時会合が開かれた。


 水脈を通じて各集落の代表が意見を送り、現地代表が印を置く。ガレス派を支持していた集落の一部は欠席し、地上人を女王にすることへ反対する声もあった。


 オルドが非常時代理の終了と、正式な選任条件を読み上げる。


 水脈核の復旧。記憶庫の保全。星脈炉地下鍵の共同復元。そして、獣冠の強制機能を壊し、守護獣へ選択を返したこと。


 代表印は、賛成、反対、棄権に分けて記録された。


 全員一致ではない。


 外縁集落の代表が、最後の投票前に問いを挟んだ。


『お前は王都の灯を消し、その後、地下の水を地上の病院へ回した。女王になれば、また地上人を優先するのではないか』


「最初に灯を一括で消したのは、私の誤りです。地上の施設を選別できる情報を集めず、早く成果を出そうとしました」


 私は水面越しの代表たちへ、直接魔力の再接続と、評議会承認を得た地下貯水の使用を分けて説明した。


「今後、地下の共同資源を地上へ使う時は、緊急救命の上限と事後審査を先に定めます。私一人では決めません。ただし、目の前の人が地上人だからという理由だけで見殺しにする約束もできません」


 問いかけた代表は、しばらく黙った後、条件付き賛成の印を置いた。別の代表は反対を変えなかった。


 その違いも、消さずに記録された。


 それでも、定足数と複数種族の賛成要件を満たした。


「リディア・フェルゼン」


 オルドの声が水面から届く。


『奈落の女王として、地下の境界設備と対外交渉を預かる意思はあるか』


「あります。ただし、五装置を私個人の所有物にはしません。操作記録、任期、解任手続き、各集落の拒否権を、評議会と決めます」


『その条件も含め、記録する』


 頭に載せる冠はなかった。


 黒鱗の守護獣が取水所の入口に伏せ、地下の代表たちはそれぞれの場所から印を送る。


 支配するためではなく、選ばれた責任を引き受けるため、私は奈落の女王になった。


 就任記録を封じる前に、北の水面が赤く点滅した。


『王国軍、灰橋口から地下へ侵入!』


 王家はガレスに与えた地図を使い、別の入口から奈落へ攻め込んでいた。

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