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第38話 王家が選んだ地下の王

王家の使者が差し出した王冠は、ガレスの角に合わなかった。


 地上の職人は角人族の頭部を正確に測ったことがないのだろう。黒銀の輪は右角の根元へ当たり、少し動くだけで皮膚を擦った。


「調整させましょうか、陛下」


 使者が地下語で言う。


 陛下。


 覚えたばかりの敬称を使い、発音だけは丁寧だった。


 ガレスは王冠を外し、石卓へ置いた。


「その呼び方は、まだ早い」


 レグナ東方の軍営には、王家から届いた武器箱が積まれている。その隣で、獣冠の移動制御台が低く唸っていた。


 三体の守護獣は採石場へ追い込まれたまま、黒環に引かれて岩壁を歩き続けている。地上の街を一つ踏み潰すはずだった獣たちを、リディアは殺さずに逸らした。


 その報告が届いてから、部下たちの視線がわずかに変わった。


「王家に認められて喜ぶのか」


 古参の兵が、王冠を睨んだ。


「俺たちは地上の犬になるために戦ったんじゃない」


「犬に見えるか」


 ガレスが問い返すと、兵は口を閉じた。


 使者は会話を理解できないふりをして、自治証書を広げた。


「王国は、ガレス陛下を地下全域の正統な王と認めます。リディア派を排除した後は、水脈、鉱脈、居住地の自治を保障いたしましょう」


 王家の大印。その下には、細かな条件が並んでいる。


 地上への資源供給義務。王国軍の通行権。星脈炉の優先使用。王家が『非常事態』と認定した際の統治権停止。


 自治と書きながら、王家がいつでも取り上げられる文面だった。


 使者は続けて、地上向けの布告文を差し出した。


『偽女王リディアはレグナを襲撃し、多数の市民を虐殺した。ガレス王は地上の民を救うため、やむなく討伐に立った』


 ガレスは一読すると、羊皮紙を使者の胸へ投げ返した。


「これは使わん」


「何か不都合でも?」


「市場には生き残りが多すぎる。半日で崩れる嘘を俺の名で出せば、兵まで疑う」


 王家の操り人形だから拒んだのではない。自分の戦争を維持するために、使えない嘘を捨てただけだ。


「『地上人リディアは、正統な地下王の軍事行動を妨害した』と書き直せ。それなら事実の一部であり、こちらの兵にも通る」


 使者の口元から笑みが消えた。だが、ガレスは目を逸らさない。利用されると知って利用するなら、言葉まで王家へ預けるつもりはなかった。


「戦後の境界線は?」


 ガレスが聞く。


「詳細は勝利後に協議を」


「リディアを倒した後、王国軍はどこから撤退する」


「それも協議事項です」


 答えない。


 補給計画も同じだった。最初の二戦に足りる弾薬はある。だが、地下へ戻るための食料も、負傷者を運ぶ車両も用意されていない。


 王家が示した次の進軍路は、両側を高地に挟まれた谷へ続いている。地上軍が待ち伏せるには都合がよく、地下軍が退く道はない。


 戦わせ、罪を着せ、残った者を谷で殺す。


 以前の取引で気づいていた筋書きが、王冠と証書で完成した。


「王国軍は、我々と共同でリディアを討つのか」


「もちろん。指定した時刻に、王家側も地下へ進軍します」


 使者は笑った。


 正面から支援するとは言わない。ガレス軍がリディアとぶつかった隙に、別の地下入口と星脈炉を奪うつもりなのだ。


「十分だ」


 ガレスは証書を畳んだ。


「承認を受けよう」


 古参兵が顔を上げる。


「ガレス!」


「王家を信じるとは言っていない」


 武器、地図、王の名。利用できる間は利用する。


 そう説明すれば、部下の多くは納得する。王家に騙されたのではなく、騙されると知って踏み台にしたのだと言える。


 だが、リディアがレグナの地上人を救ったことは、その説明では消えなかった。


 天幕の外で、鎧の留め金が外れる音がした。


 若い兵が一人、王家製の胸当てを地面へ置いていた。レグナで負傷した妹を、地上の診療所まで運んだ地下兵の兄だった。


「地上人を殺せと言われて来ました。だが妹は、地上の薬師と地下の女に助けられた。市場へ獣を戻す命令には従えません」


 周囲の兵が息を呑む。ここで首を刎ねれば、恐怖で列は整うかもしれない。だが同時に、彼はレグナを見た者たちの殉教者になる。


「行け」


 ガレスは言った。


「臆病者を軍に置く理由はない」


 慈悲ではない。見せしめにする価値がないと装っただけだ。それでも若い兵が武器を置いて去る背中を、誰も罵らなかった。列の中に生まれた沈黙は、王冠より重かった。


 リディアを地上の味方と断じても、レグナで地下避難民と地上人が互いを運んだ事実は消せない。彼女は星脈炉停止で民間人を巻き込んだ失敗も公表し、地下の余剰を地上へ回す時には評議会の承認を取った。


 間違いを隠さない敵は、王家よりもガレスにとって厄介だった。


 ガレスが王になるには、地上人はすべて敵でなければならない。戦争以外の道が存在すれば、獣冠の痛みに耐えてきた獣も、家族を戦場へ送った者も、何のためだったのかと問い始める。


「陛下、戴冠を」


 使者が黒銀の輪を持ち上げた。


 ガレスは受け取り、自分の手で頭へ載せた。角へ合わない王冠の内側が皮膚を切り、温かい血が一筋流れる。


 使者が満足そうに頭を下げた。


「では、獣冠の出力を最大へ。王国軍の攻撃時刻に合わせ、リディアを地下側から追い立ててください」


「時刻は俺が決める」


 ガレスは自治証書へ王家の使者の認証印を押させ、王家製武器の引渡し記録も署名させた。利用された証拠は、利用する側にも残しておく。


 使者が護衛と共に去ると、古参兵が低い声で問う。


「本当に、獣冠を最大まで上げるのか」


 移動制御台の向こうで、守護獣が岩壁へ身体をぶつけた。


 黒環が焼ける匂いが、風に乗って軍営まで届く。


「あれ以上は、獣が壊れる」


「壊れる前に、戦争を終わらせる」


「リディアは獣を殺さなかった」


 ガレスは古参兵を見た。


「だから何だ」


「……いや」


 兵は目を伏せた。


 王家に利用され、地下の王まで選ばれた侮辱を、ガレスは理解している。それでも地上の街を燃やしたいという望みだけは、家族の渇いた唇を見た日から彼自身のものだった。


 彼は獣冠の制御環へ両手を置いた。


 最大出力の位置には、誤操作防止の留め金がある。外せば、命令を受ける獣だけでなく、命令を送る側の魔力回路にも戻り流が生じる。


 技師が危険を説明しようとしたが、ガレスは留め金を引き抜いた。


 黒い光が腕を這い上がる。


 採石場で三体の守護獣が同時に咆哮し、岩壁へ向けていた身体を北へ向けた。


 狙う先は、リディアだった。

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