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第37話 獣冠の軍勢

地上の地方都市レグナは、二本の街道と一つの地下水路が交わる場所に築かれていた。


 ガレスが狙うには十分な理由がある。王国軍の補給庫があり、星脈炉から各地へ魔力を送る中継塔もある。だが、城壁の内側で暮らす三万人の多くは、兵士でも王家の役人でもない。


 星脈炉の地下鍵を復元してから半日後、私は水脈網を通じて届いた現場図を広げた。


 ガレス派の軍勢は東街道。王国軍は西門と地下水路口。地下から逃れてきた避難民は、両者の間にある古い貯水区へ追い詰められている。


 守護獣が三体。


 その後ろには、王家から渡った大型射出器と、獣冠の移動制御台がある。


「ガレスは都市を迂回しない」


 水脈側の通信から、斥候の声が届いた。


『中継塔だけでなく、居住区も報復対象だと言っています』


 地下鍵の復元で長距離移動に使えるようになったのは、既存水路に沿う保守門だけだ。大軍は通せない。


 私はラウル、ミハル、地下の防衛要員六人と、レグナ南の旧取水所へ移った。フィアが水脈核側から打音を送り、取水所の位置を錨にしてくれたから開けた、十数秒の狭い門だった。


 全員が通過すると門は閉じる。私の膝はすでに震えていたが、城壁の外から守護獣の咆哮が聞こえ、休む余地はなかった。


 取水所を出た先で、王国兵が地下避難民へ弩を向けていた。


「水路口から出てきた連中を止めろ! ガレス軍と合流させるな!」


「武器は持っていない!」


 角人族の男が両手を上げて叫ぶ。その後ろには、子どもを抱いた者や、荷物を背負った老人がいる。


 王国兵の一人が弦を引いた。


 私は避難民と兵士の間にある排水溝の蓋を、城壁沿いの空の側溝へつなぎ替えた。放たれた矢は人へ届かず、足元の細い境界へ落ちて側溝から跳ね出す。


「撃たないで!」


 地上語で声を張る。


「彼らはガレスの兵ではありません。ここへ避難してきただけです」


「奈落の女王だ!」


 兵士たちが標的を私へ変える。


 ラウルと防衛要員が盾を上げたが、私は王国兵へ反撃させなかった。今ここで斬り結べば、避難民の頭上へ矢が降る。


 その時、東門が内側へ吹き飛んだ。


 黒い鱗を持つ守護獣が、崩れた門を踏み越えてくる。水脈核で水を飲み、暗い通路へ退いたあの獣より二回り大きい。額の黒環から首筋まで焼けた線が走り、命令へ逆らうたび、その線が赤く光った。


 獣の左右から、ガレス派の兵がなだれ込む。


「地上人を一人も逃がすな!」


 怒号を聞き、王国兵は再び東へ向き直った。今度は地下避難民もガレス派も区別せず、連射用の弩へ魔力を通す。


 東門の正面には市場がある。逃げ遅れた市民が、倒れた屋台の陰に身を伏せていた。


 守護獣を倒せば、少なくとも突進は止まる。


 だが、額の環が光るたび、獣の脚は進みたくない方向へ無理に曲げられている。自分でこの街を選んだのではない。


「街道図を!」


 ミハルが現場図を広げる。


 東門から市場へ続く大通り。その途中で南へ分かれる荷車道は、今は使われていない採石場へ通じている。採石場は深いが、底に作業床があり、落とし穴ではない。住民もいない。


 問題は、守護獣が荷車道の分岐を無視し、真っ直ぐ市場へ向かっていることだ。


「採石場の位置を確認できる人は?」


 近くの石工らしい女性が、崩れた家の陰から手を上げた。


「南坑なら、昨日まで働いてた。入口の鐘もまだある」


「鐘を鳴らしてください。止めずに」


 女性は怯えながらも、裏道へ走った。


 私は大通りの石畳へ手をつく。街路そのものを移すことはできない。つなげられるのは、もともと分岐している二本の道と、その先の明確な鐘の位置だけだ。


 遠くで、採石場の作業鐘が鳴った。


 低い音が、地面を通って届く。


 大通りと荷車道の境界を読み、分岐の向きだけを入れ替える。市場へ真っ直ぐ進んでいるはずの道が、鐘の鳴る採石場へ連続するよう、短い区間を重ねた。


 一体目の守護獣が境界を越える。


 巨大な身体が市場へ近づく代わりに、南の荷車道へ現れた。二体目も続く。


 三体目は境界の手前で踏みとどまり、苦痛に首を振った。獣冠の命令が、進路の異常を察知したのだ。


 移動制御台から黒い信号が飛び、私の接続へ食い込む。


 道の境界が裂けかけた。


「リディア、右だ!」


 ラウルの声。


 ガレス派の射手が私へ狙いをつけている。防衛要員の盾に矢が突き立ち、衝撃で一人が倒れた。


 私は道を維持したまま、空いている手で市場脇の荷縄と屋台の柱をつないだ。ラウルが縄を引くと、柱が倒れて射手の視界を塞ぐ。攻撃ではなく、数呼吸を稼ぐための障害だ。


 三体目の獣が再び踏み出す。


 黒環に抵抗した前脚の皮膚が裂け、赤い光が強まった。


「行って!」


 私の声に従ったわけではない。


 ただ、市場へ向かう命令と、足元に続く採石場への道の間で、獣は苦痛の少ない方へ一歩を置いた。


 境界を越えた瞬間、私は接続を切った。


 三体の守護獣は無人の採石場へ逸れた。解放できたわけではない。黒環は残り、命令信号も追っていく。


 採石場にも危険は残る。切り出した石材の陰には作業小屋があり、警報を聞いた石工たちが退避しきれていなかった。


「北斜面へ上がって! 獣の前を横切らないで!」


 私が叫ぶより早く、地下から避難してきた獣守の女性が、地上語のわからない身振りで水桶を指した。若い石工が意味を汲み、水桶を獣の進路から外れた窪地へ並べる。


 渇きと痛みに喘いでいた一頭が、命令に逆らうように首を振り、その水へ鼻先を向けた。地上の少年が最後の桶を置き、地下の女性が彼の背を押して退避させる。


 私が作ったのは、獣を閉じ込める檻ではない。市場を踏み潰すまでの道を外し、人と獣の双方が次の選択をするための、わずかな時間だけだ。


 それでも市場の人々は生きている。


 私は王国兵へ、北の広場まで武器を置いて退けば追わないと告げた。ガレス派の兵にも、守護獣を追って市外へ出る道を残す。


 両方から罵声が返ったが、最初に弩を下ろしたのは若い王国兵だった。


「市場に、妹がいる」


 彼の一言で、隣の兵士も武器を下げた。


 地上の市民が地下避難民の子どもを抱き上げ、崩れた診療所へ運ぶ。地下の防衛要員は、倒れた王国兵へ止血布を投げた。


 誰も急に友人になったわけではない。


 ただ、目の前にいたのが王家の語る『魔物軍』ではないことだけは、互いの目に残った。


 夕刻、王都からの魔法通信が、停止していない民間受信板を通じてレグナへ届いた。


『王国は、地下の正統な統治者としてガレス王を承認する』


 黒銀の王冠と自治証書を掲げる使者の像が映る。


『地上人リディア・フェルゼンは、地下の王権を奪った簒奪者である』


 市民を襲った男を、王家が地下の王に選んだ。

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