第36話 星脈炉の半分
星脈炉の地下本体は、王都の旧水道よりさらに深い場所にあった。
国王の地上鍵に押し返される臨時接続を追い、私たちは廃水槽から古い点検坑へ下った。ネラは地上施設との連絡を続けるため残り、ミハルとラウルが私に同行する。
点検坑の終端には、巨大な二重扉があった。
右半分には王家の紋章。左半分には水脈、角、鱗、翼を組み合わせた古い印が刻まれている。王家の印だけが赤く光り、左側は長い間使われていないように黒ずんでいた。
「もともと、片方だけで動かす装置ではなかったのね」
私は左扉へ触れた。
水脈核、記憶庫、獣冠、王門。地下の各設備へ伸びる古い接続口が、扉の奥で束ねられている。
地上と地下。二つの鍵が互いを監視し、どちらか一方が流量を独占できない構造だった。
王家は右の鍵を血統へ結びつけ、左の鍵を閉じた。そして地下側の同意がなくても吸収だけは行える迂回路を、何代もかけて継ぎ足している。
二重扉の隙間から内部へ入ると、星脈炉の本体が見えた。
巨大な円筒が上下の岩盤を貫き、内部を青白い魔力が滝のように昇っている。円筒の左側では水脈から来た流れが細く痩せ、右側では王都へ向かう管だけが太く脈打っていた。
足場は円筒の周囲を螺旋状に巡っている。王家が後から増設した赤い導管が古代設備へ食い込み、接合部には地下式の印を削り取った痕があった。
地上鍵が一度動くたび、円筒の中で守護獣の呻きに似た音がする。
これは資源の管ではない。地下の生活と身体へ直接つながっている。
「扉を壊せば?」
ラウルが尋ねた。
「今流れている魔力が、行き先を失います。地上の民間設備と地下の水脈へ同時に逆流する」
国王の強制命令がまた一段強まり、選別供給の線が軋んだ。
時間はない。
私は水脈側の通信口へ状況を送った。バシュル、オルド、防衛代表から返った答えは、地下鍵の復元作業を認めるというものだった。ただし、私個人の所有鍵にはしない。三者の承認記録と、星脈炉自身の流量記録を残すことが条件だ。
「その条件で行います」
左扉には、失われた鍵の形だけが残っている。
私は水脈核の周期を一つ目の錨にした。記憶庫の来歴印を二つ目に、獣冠の古い意思疎通環を三つ目に置く。
三つは性質が違う。無理に一つへまとめれば、どれかが他を支配する。
必要なのは、地下側の設備がそれぞれ独立したまま、同じ扉へ接続されていた元の関係を戻すことだ。
ミハルが三者の承認時刻を読み上げる。ラウルは点検坑から迫る王国兵の足音を聞き、崩れた柵を入口へ噛ませた。
「まだかかるか」
「あと二つ」
柵へ盾がぶつかる。一本目の支柱が外れ、ラウルが肩で押し戻した。
「王家の設備から離れろ!」
兵士の声が坑道へ響く。
「離れれば、お前たちの病院も止まるぞ!」
「だから壊していない!」
ラウルは鎖を柵へ巻きつけ、足場の固定輪へ結んだ。攻め込んでくる兵士へ刃を向けるのではなく、狭い坑道そのものを閉じている。
だが、片足の枷が石床を擦り、古い傷から血が滲んでいた。
水脈核と左扉がつながる。
記憶庫の来歴印が重なり、誰がいつ操作したかを記録し始める。
最後に、獣冠の意思疎通環を合わせた時、右側の血統鍵が激しく反発した。
赤い光が左扉へ侵入し、三つの接続を王家の鍵へ従属させようと絡みつく。
記憶庫の来歴印が黒く染まりかけた。王家側へ取り込まれれば、操作記録そのものを地上鍵の所有物にされる。
私は接続を一度細くした。
その隙に血統鍵が吸収路を全開にし、円筒の中の流れが跳ね上がる。水脈側から送られてきた圧力値が、一気に危険域へ近づいた。
『外縁井戸、再び低下!』
バシュルの声。
全制御を奪うか、左側だけを守るか。迷っている時間にも地下は吸われる。
ここで右の鍵まで奪えば、星脈炉全体を私たちだけで支配できるかもしれない。
王家が地下へしたことを、逆向きに返せる。
けれど、そのためには、地上の民間線を含む全回路を一度こちらへ引き込み、王家の血統鍵と力比べをしなければならない。負ければ病院も水道も落ちる。
勝ったとしても、今度は地下側が地上の命を握るだけだ。
「右は取らない」
私は赤い光と左扉の境界を切った。
「地下の鍵だけを戻します」
血統鍵を破壊せず、左側へ侵入する接続だけを遮断する。同時に、王家が作った一方通行の吸収路を、地下鍵の承認なしには開かない元の位置へ戻した。
赤い導管を物理的に外したわけではない。地下鍵との接点を閉じ、開くために三者承認を要求する位置へ隔離する。
王家側が力任せに開こうとし、円筒の右半分へ亀裂のような光が走った。
私は地上の民間供給を担う線だけを右鍵へ残し、吸収路と軍事迂回路を左鍵から切り離す。三つを同時に見分ける負荷で、鼻の奥に鉄の味が広がった。
膝をつきそうになった時、ミハルが承認時刻をもう一度読み上げた。
記録は残っている。
私は最後の接点を切った。
扉全体が震えた。
右半分は赤く、左半分は青白く光る。
どちらかが単独で全てを開こうとすれば、もう一方が拒否できる。王家は地上側の供給を管理できるが、地下から好きなだけ吸い上げることはできない。地下側も、地上の全供給を勝手に止めることはできない。
完全な勝利ではない。
意図して作った膠着だった。
国王の強制命令が左扉の前で止まり、選別供給への圧力が弱まる。地下へ向かっていた吸収量の針が、急速に安全域まで下がった。
遠くで、水脈を満たす重い音がした。
『地下鍵、復元を確認』
バシュルの声が届く。
『外縁集落の揚水も戻った。星脈炉からの無承認吸収は停止している』
私は左扉から手を離した。指先の皮膚が赤くなり、腕にはほとんど力が残っていない。
ミハルが操作記録を封じる。
「地下側の鍵は、誰が持つことになりますか」
「今は評議会の三者承認です。私一人の鍵にはしません」
その時、水脈核から緊急の打音が割り込んだ。
フィアが使う短い合図ではない。戦時警報だった。
上層の地方都市へ通じる古い出口で、獣冠の強制信号が最大出力まで上がっている。
ガレスが王家製武器と守護獣を率い、地上への侵攻を始めたのだ。




