第35話 消してはならない灯
「切断を戻します」
私は主供給環へ手をかけた。
「待ってください」
ネラが止めた。
「そのまま全部戻せば、王宮の兵器も、地下からの吸収も再開します」
分かっている。
だからこそ、単純には戻せない。
通信石では、施療院の救護人たちが手動の送気袋を交代で押している。止まった水道のため、井戸へ走る足音も聞こえた。
私は赤く点滅する枝を数えた。警報が返る設備だけでも四十を超える。用途の表示はなく、番号と流量しかない。
「ネラ。施療院と上水設備の登録番号を、分かる範囲で」
「救護網の台帳があります。全部ではありませんが、王都西区なら」
ネラが薬品箱から折り畳んだ配給表を出す。ミハルは捕縛した命令記録官から回収した施設番号表を広げた。
軍事施設の番号はエドガーの供述書の付属記録にある。宮廷設備は、封印命令板に使われた優先回路から逆に識別できる。
それでも不明な枝が残った。
「警報の送り主へ、識別を求められますか」
ミハルが問う。
「この制御環は一方向です。でも、停止した設備からの異常信号は戻っている」
私は命令を送る線と、警報が返る線を短時間だけ組み合わせた。
各施設へ、用途、現在の人員、停止による危険度を返すよう要求する。王家の承認印は付けない。代わりに、偽造票から分離した地上鍵の波形を通信の扉だけに使った。
返答が集まり始める。
『南二病舎。患者七十四。治療器十二』
『東上水槽。揚水停止。残量二刻』
『第五近衛兵舎。武装結界、停止』
『王宮舞踏館。照明、停止』
同じ一目盛りの線の向こうに、まるで違う暮らしがあった。
分類を始めると、さらに厄介な返答が来た。
『第二軍病院。負傷兵百十六、民間の炊事人二十三。外科結界停止』
「軍施設です」
ミハルが読み上げる。
「でも、治療中の兵を装備と同じには扱えない。医療系統だけ戻します。武器保管庫と通信棟は切ったまま」
次は貴族の個人邸だった。平時なら庭園の保温に大量の魔力を使う屋敷だが、今夜は周辺住民を地下の酒蔵へ避難させ、百人以上を収容しているという。
「居住棟と酒蔵へ二刻。庭園と私室は停止」
東工房区の大鍛冶場は、王国軍の部品を作る一方で、上水槽の交換弁も製造していた。炉を完全に止めれば、溶けた金属が固まり、隣接する水路まで割れる。
「炉の安全停止に必要な分だけ。製造機と搬出軌道はつなげません」
正しい一覧表は、どこにもなかった。
現場の返答を疑えば命を危険にさらし、無条件に信じれば軍事設備が民間を装って再起動する。ネラが救護網へ照会し、ミハルが王家の登録簿と照合する。その間にも送気袋を押す人の腕は疲れていく。
私は水脈核へつながる細い感知路を探した。星脈炉から王都へ直接戻せば、地下吸収も王家の迂回制御も復活する。
ならば、地下で循環を取り戻した水脈核を中継点にし、必要な枝だけへ少量を返す。
無から魔力を作ることはできない。使えるのは、水脈核が循環のために蓄えている余剰分と、停止中の王宮・軍事設備へ流れるはずだった地上側の残留魔力だ。
「これを民間設備へ回せば、地下の予備は減ります」
私は水脈側の通信環へ告げた。
返ってきたのはバシュルの声だった。
『残量と影響を示せ』
「病院、水道、防火井戸を三刻維持できます。その間、外縁集落の揚水量が一割落ちます。延長は再審査にします」
短い協議の後、バシュル、オルド、防衛代表の三者が、一時使用へ別々の承認音を返した。
地下の魔力を、地上の私が勝手に配る権限はない。
私は主供給環を丸ごと戻さず、まず施療院の十二本を水脈核の余剰線へ接続した。
流量が一度に上がりすぎないよう、最も危険な呼吸補助器から順に開く。
三本目を開いたところで、制御環が白く弾けた。
地下と地上では魔力の周期が違う。水脈核の波をそのまま治療器へ送ったため、器具の安全弁が過負荷を検知して閉じたのだ。
『また止まりました!』
通信石から悲鳴が上がる。
私は接続をいったん切った。焦って太く流せば、器具そのものを壊す。
「建国祭の供給記録を。点灯前に周期を整える中継器があったはずです」
ミハルが該当する波形を探し、ネラが施療院地下の蓄魔槽番号を読み上げた。
水脈核から治療器へ直接つなぐのではなく、いったん空になった蓄魔槽へ落とす。そこで地上の周期へ整え、必要な病棟へ配る。
二度目の接続で、器具の安全弁は閉じなかった。
通信石の向こうで、停止していた器具が低く唸った。
『動いた! 第三病棟、送気を器械へ戻して!』
子どもの咳が、少しずつ遠のく。
上水槽、防火井戸、避難所の保温板。警報と現場報告を照らし合わせ、一つずつつないだ。
王宮の照明は戻さない。近衛の武装結界も、砲台も止めたままにする。
貴族の個人邸宅は、病人や乳児がいると返答した箇所だけ、共同避難所への移動時間分を認めた。身分ではなく、停止による危険で分ける。
最後の赤い警報が黄へ変わった時、私は石床へ手をついた。
主供給を切った時より、はるかに細かい作業だった。目の奥が脈打ち、指が自分のものではないように震える。
「記録を送れますか」
私はミハルへ尋ねた。
「どこへです」
「今、供給を受けた全施設と、地下評議会、独立記録院へ」
私は短い声明を口にした。
王都全域の供給を停止したのは私の判断であること。病院、水道、暖房まで止まる構造を確認せず実行したこと。民間設備を選別して再開したこと。生じた被害を記録し、地下と地上双方の審査を受け、復旧に必要な負担から逃げないこと。
王家の罠だった、で終わらせない。
切った手は私のものだ。
ミハルは、王都主供給の単独停止を「女王代理権限の範囲外で行われた緊急操作」として別欄へ記した。ほどなく地下評議会から、正式な事後審査を行い、それまで星脈炉への単独操作を認めないという通知が届く。
私は異議を唱えず、以後の操作には水路管理者、記録守、地上施設側の確認を必要とする制限を受け入れた。
返ってきた反応は、感謝だけではなかった。
『先に止めておいて、女王を名乗るのか』
『王家も奈落も、俺たちの命を使って脅し合っているだけだ』
通信欄に刻まれた言葉を、ミハルは消さなかった。
「そのまま残してください」
謝ったから、すぐ信用が戻るわけではない。復旧できたから、停止させた責任がなくなるわけでもない。
「地下の備蓄を使った分も、地上側へ請求記録を残します」
ミハルが書き加える。
ラウルは壁際で傷の布を結び直していた。
「言いたいことがあるなら、言って」
「もう言った。俺は反対した」
「正しかったと、言わないの」
「俺が正しかったことより、あんたが次にどう決めたかの方が重要だ」
慰めも称賛もない。その方がよかった。
私は供給図を見直した。民間線は細く点灯し、王宮と軍事設備だけが暗い。
こちらの選別を拒むように、星脈炉の中心で赤い輪が開いた。
王家の紋章を囲む、血の色をした制御鍵。
地上から流れ込んだ強制命令が、私たちの臨時接続を押し返し始める。
『王権に属さぬ制御を排除する』
国王が、星脈炉の地上鍵を起動したのだ。




