第33話 十三票の空白
「もう一度、十四本を最初から並べます」
ミハルは焦げかけた耐火布を机から除け、記憶庫の認証写しを石板の上へ広げた。
避難所の外では、退いた王国兵の足音がまだ遠くを行き来している。防火格子の向こうに拘束した六人は武器を捨てたものの、ここが安全になったわけではない。
ネラは証拠を二つの革袋へ詰め直し、ラウルは前腕の傷を布で縛ったまま、捕虜と三つの入口を見張っている。エドガーは火傷した肩を押さえ、机から離れた壁際に立っていた。
「十分だけください」
私はミハルに言った。
「それで判別できなければ、ここでは打ち切って移動します」
追手に囲まれて証拠を失えば、真相へ近づいたこと自体が無意味になる。残った魔力も多くはない。
ミハルが認証写しへ細い測定針を置くと、十四本の淡い光が石板の上へ浮かんだ。
十三本は途中で枝分かれし、開票後の石台へ順番に伸びている。最後の一本だけは、箱の位置で終わっていた。開かれず、票面も読まれなかった票だ。
問題は、石台へ伸びた十三本のうちの一本だった。
本来の線が箱の中で切れ、その切断面へ、始点のない短い線が縫いつけられている。
私は自分の銀徽章へ指を触れ、今の魔力を一滴だけ流した。次に、ネラが保全した家内控えを開く。
登録時の署名と印章。その紙には、遠征前の私が流した本人認証魔力が薄く残っている。
今の私。過去の私。そして、箱の中で切断された一票。
三つを直接重ねれば、写しに負荷をかける。私はそれぞれの外縁だけを細い輪にして並べ、同じ場所で生じる歪みを比べた。
一つ目の輪が青白く光る。
二つ目も、まったく同じ間隔で明滅した。
切断された票の輪を重ねると、三つの光はずれも濁りもなく重なった。
「私の魔力です」
声にした途端、指先が冷たくなった。
「抜かれたのは、私が投じた札です」
ミハルが、確認した方法と一致箇所を書き留める。ネラは家内控えを持つ手に力を込めた。
あの投票箱へ、私は確かに一枚入れた。
それが開票される前に消され、代わりに、誰の手からも投じられていない一票が現れた。
「次を見ます」
私は息を整え、王太子府の受領控えを引き寄せた。
クレマンの職務印に残る本人認証魔力。その輪郭を、投票箱の側面へ触れた第三者痕の外縁へ合わせる。
右下にある小さな欠けまで一致した。
偶然似た魔力ではない。職務印を押した本人と、開票直前に箱へ手を入れた人物は同じだ。
「時刻は?」
ミハルがエドガーへ尋ねる。
「十四人が札を入れ終えた直後だ。箱を石台へ運ぶ前だった」
「この記録では、その十七秒後に本来の票が切断され、さらに四秒後、起点のない票が箱の中に現れています」
エドガーは目を閉じた。
「クレマンは、札が内側に引っかかったと言った。殿下の指示で直した、と」
私は、始点のない線から外部制御の魔力だけを剥がすように分けた。通常の個人認証を装っているが、その下に別の細い力が絡みついている。
偽の認証を箱へ受理させるため、外から形を支えた制御痕だ。
「クレマンが私の本物の票を抜き、別の一票を入れた」
証拠が示す範囲を、言葉にする。
「その一票には投票者の起点がなく、最初の十三枚の一つとして石台へ置かれた。あの十三枚は、すべて私の名で読み上げられています。だから、差し入れられたのは『リディア票』です」
私の名を書き、私の認証紋に似せた票。
私自身が、自分を犠牲に選んだように見せるための一枚。
王太子が筆跡も裏面認証も確認させず、箱ごと燃やした理由が、ようやく形になった。
「命じた人物は、まだ確定できません」
ミハルが念を押す。
「ええ。クレマンが王太子の指示だと口にしたのは、エドガーの供述です。命令書も、命令者本人の認証もない」
そこを怒りで埋めてはならない。
ミハルは一枚目の記録へ、抜き取り、偽造票挿入、実行者クレマンと記した。命令者の欄には、未確定と書く。
それから私を見た。
「抜かれた札に、誰の名を書きましたか」
「レオナード王太子です」
エドガーが顔を上げた。ネラも驚いたように瞬きをする。
「王太子を死なせたかったからではありません」
私は自分の記憶として、一語ずつ答えた。
「殿下だから候補から外す。聖女だから外す。前衛だから外す。そうやって最初から命の重さを変える話し合いに反発したのです。全員を一票として扱うなら、王太子も候補に含めなければならないと思いました」
本当は、誰かを残す投票そのものに納得していなかった。時間を稼ぎ、遠隔維持装置を自分の目で確かめるつもりだった。
けれど、札を出した責任まで消えるわけではない。
「私は投票へ参加しました。ただし、投票後に拒絶する人間を拘束し、逃げ道を奪うことまで認めたわけではありません。その二つは分けて記録してください」
ミハルが頷いた。
エドガーは壁から離れずに言った。
「私の票は、残っているのか」
私は十二本の連続した光を見た。
実在する誰かの手から始まり、クレマンが箱へ触れる前から中にあり、開票後に『リディア』と読まれた票。
「あなたが自分で認めた通りなら、この十二本のどれかです」
「……そうか」
彼がそれ以上言う前に、私はミハルへ向き直った。
「偽造票が一枚あっても、十二人の本物の選択は消えません」
誰も私を選んでいなかった、とはならない。
少なくとも十二人は、本当に私へ投票した。その後、私の拒絶を聞き、置き去りにし、地上で嘘へ署名した。
王家による票の偽造と、仲間たちの選択は別の事実だ。片方を暴くために、もう片方を薄めてはいけない。
ミハルは別々の項目へ記録した。
最後に、箱の位置で終わる十四本目の線が残った。
起点はある。誰かが自分の手で投じた真正な票だ。だが、開票されていないため、何と書かれていたかは分からない。個人認証も写しの閲覧権限では開けられず、原本側の封印担当も今ここにはいない。
「味方だったと思いたいですか」
ミハルの問いに、私はしばらく答えられなかった。
「思いたい。でも、そう書けば嘘になります」
十三人目も私を選んだと決めつけるのも同じだ。
ミハルが記す。
『未開票票。投票者、記載内容ともに未確定』
十四本の検証を終え、光を消そうとした時、分離した偽造票の制御痕が細く震えた。
どこか別の設備から、呼び戻されるような周期だった。
私は王国製の吸収杭、公開治癒装置、建国祭の供給記録を並べ、その周期を照合した。
同じだった。
地下から生命力を吸い上げる星脈炉。その地上側制御鍵が使う波形と、偽造票を成立させた力は、同じ規格で作られている。
制御痕へ感知を触れさせると、王都の地下へ向かう細い経路が開きかけた。
その先にあるのは、星脈炉の補助制御室だ。
私の票を奪った力が、今も地下の命を奪う装置へつながっていた。




