第24話 女王代理
二十七人の一次目録。帰還門に残った十四の魔力接触痕。保守搬送口で採取した防湿木材と油痕。
それぞれを記録守と評議会の保管分へ分けていた時、足元から突き上げるような衝撃が走った。
棚の記憶石が一斉に鳴り、天井から砂が降る。
「裏防壁だ!」
オルドが壁へ手を当てる。
二度目の轟音。
壁の一点が内側へ膨らみ、亀裂から黒銀色の杭先が覗いた。
私は境界感知を広げた。杭が穿っているのは、厚い防壁の中でも古い補修材が使われた継ぎ目だ。記憶庫の構造を知らなければ、狙える場所ではない。
外郭に残った防衛要員から、伝令石の声が重なった。
『正面外郭で王家式の転移座標が再起動! ですが、兵は出てきません! 転移光から黒い固定線が伸び、外郭門の結界を押さえ込んでいます!』
前と後ろ。同時だった。
「杭の尾部が見えます!」
ミハルが亀裂を覗き、刻印を読み上げた。
先ほど証拠袋へ収めた弾頭と、同じ製造系列。
ガレス派が封鎖した搬送路から、王国軍の破城兵器が、記憶庫の弱点へ撃ち込まれている。その瞬間に、正面では王家式の転移座標が防衛結界だけを外側から固定していた。
武器か、情報か。二つの勢力の間で何かが渡った疑いは濃い。だが、今はその正体を推測している場合ではない。
「正面は転移座標へ近づかないで! 結界の固定線だけを記録して、侵入路は閉じたまま維持して! ラウル、裏手の侵入を遅らせて。壁を守り切る必要はない。記録守の退路を残して!」
「わかった」
ラウルが防衛要員を連れて走る。
三度目の衝撃で、裏防壁が破れた。
ガレス派の兵と共に、大型の守護獣が亀裂へ身体を押し込んでくる。獣は進むたびに痙攣し、鱗の根元にある環状の傷を赤く光らせていた。
ラウルは獣へ刃を向けず、残った鎖を柱へ巻きつけた。防衛要員が補助石扉を落とし、獣の進路を狭い資材路へ逸らす。その間に、別の者たちが破城杭の再装填を妨げるため、搬送軌道を崩して射出口へ噛ませた。
守護獣の額に嵌められた黒い環が、ひときわ強く発光した。
獣が悲鳴に近い咆哮を上げ、資材路へ逸れかけた巨体を中央棚へ向け直す。その進路で、先ほどの衝撃に傾いた棚を三人の記録守が支えていた。退けば棚に挟まれる。残れば獣に踏み潰される。
「第三列の原記録を確保した! 退け!」
ガレス派の兵二人が、混乱の間に棚から封印箱を抜き、裏の亀裂へ走り出した。
箱に刻まれた棚番号を、私は知っている。二十七人のうち、複数の帰還記録を収めた原本だ。
今なら、追える。
兵士の前と崩れた通路を短く繋ぎ替えれば、退路を塞げるかもしれない。せめて箱へ追跡印を残すこともできる。
だが、守護獣の前には三人の記録守がいる。
箱を取り戻すために彼らを踏み潰させれば、私は人の命を証拠の代価にすることになる。
「箱は追いません! オルド、獣冠の命令を受ける古い受信環は近くにありますか!」
「床の赤い円環だ! だが、とうに使われておらん!」
壊すのではない。守護獣と獣冠の命令線を、ほんの数呼吸だけ別の受け皿へ逃がす。
私は獣の額から伸びる強制信号と、床に埋もれた古い受信環の境界を繋いだ。黒い光が一瞬だけ床へ落ち、守護獣の足が止まる。
「ラウル、今!」
ラウルが鎖を反対側の柱へ叩きつけた。守護獣は自由になったのではない。ただ、頭の奥を焼く命令が途切れた一瞬、より近い金属音へ顔を向けた。
防衛要員が三人の記録守を傾いた棚の下から引き抜く。最後の一人が転がり出た直後、棚が砕け、記憶石が床へ散った。
次の瞬間、受信環が焼け切れ、獣冠の命令線が守護獣へ戻った。
私は補助石扉と中央棚側の溝の境界だけを繋ぎ直し、獣と記録守たちの間へ扉を落とした。ラウルが柱の陰へ退く。守護獣は亀裂側へ引き返したが、こちらへ向き直る道は石扉に塞がれた。
その間に、封印箱を抱えたガレス派の兵は裏通路の闇へ消えた。
取り戻せなかった。
私はその事実を呑み込み、残った棚へ向き直った。
「ここへ戻せば、また同じ場所を狙われます」
「予備保管庫が三つある」
オルドが額の岩粉を拭いながら言った。
「東の旧水路庫、下層の封鎖庫、評議会側の石室だ。搬送軌道は途中で切れている」
「切れている場所だけ、私が繋ぎます。原本、複写、索引は別々に運んでください」
ミハルが首を振った。
「同じ事件の三種を同じ台へ載せないでください。棚番号も一枚へまとめません。記録守用と評議会用で、保管先の情報を分けます」
「それでお願いします」
記録守たちが搬送台を押す。
私は軌道の切断箇所と、オルドたちが安全を確認した予備庫を一つずつ接続した。一台が通り終えるたびに閉じ、次の保管庫へ繋ぎ替える。
彼らが分類し、載せ、押してくれるからこそ、私は失われた道を短く結び直せる。
裏手では、崩した搬送軌道が射出器へ絡み、二本目の破城杭を撃てずにいた。封印箱を得たガレス派は、強制された守護獣を連れて後退した。
その瞬間を見計らったように、正面外郭を押さえていた王家式の固定線も消えた。王国兵は一人も姿を現さなかった。だからこそ、攻撃開始から解除までの時刻が一致した事実を、外郭隊は連携の疑いとして記録した。
記録が三方へ分かれ、記憶庫の中心を占拠する意味も薄れる。
勝ったとは言えない。
一箱を奪われた。いくつかの記憶石は割れ、棚は守護獣の突進で砕けた。裏防壁には人が通れる穴が残り、防衛要員と記録守には負傷者が出ている。
それでも、取り残された三人は生きている。
二十七人の一次目録、人為干渉の疑いを記した照合記録、大半の原本と索引も、別々の場所へ運び出せた。
失ったものと、守れたもの。その両方をミハルが書き残した。
応急手当と損害確認が終わる頃、岩粉に汚れた石卓の周りへ人が集まった。
オルドだけではない。記録守の代表、ミハルと監視役、異なる集落から来た防衛要員の代表たちだ。
「確認したい手続きがある」
最初に口を開いたのは、評議会の記録係ミハルだった。
「門守候補へ認められた権限だけでは、複数集落の防衛配置や、王権装置に関わる記録の緊急移送を継続して指揮できない。評議会を再招集するまで、古い非常時手続きに基づく代理を置く必要がある」
オルドが私を見た。
「候補として、リディアを推す」
監視役が古い非常時規約を開き、記録守代表、評議会監視役、三集落以上の防衛代表という臨時選任の成立要件を確認した。そのうえで、賛成する者、期限が短いならと条件をつける者、地上人へそれ以上の権限を渡せないと反対する者、判断を保留する者が、それぞれの印を置いた。
全員一致ではない。
ガレス派も、この手続きへ参加していない。
ガレス派を欠くため地下全体の総意ではない。それでも、規約が定めた臨時選任の定足数を満たし、参加代表の多数が私を選んだ。
「役職名は、『奈落の女王代理』」
ミハルが続ける。
「記憶庫と避難路の緊急防衛、記録の分散保全、王権装置への同時攻撃に対する集落間連絡、評議会再招集までの臨時調整に限る」
「任期は、評議会が再招集されるまでですね」
「そうだ」
「撤回条件と判断の記録は?」
「監視役が同行し、重大な違反があれば現場代表の再投票で撤回できる」
「軍全体の恒久指揮、徴税、処刑、強制徴発、王権装置の所有権は含まれない。それも文面に入れてください」
ミハルが追記し、監視役が読み上げて確認した。
玉座でも、誰かを従わせる冠でもない。途切れかけた連絡と責任を、評議会が戻るまで預かる役目だ。
「必要だから、その責任を引き受けます」
誰も跪かなかった。歓声もない。
負傷者の呻きと、記録を運ぶ車輪の音の中で、私の就任は記録板へ刻まれた。
直後、守った記録をどう扱うかで意見が割れた。
「三つの保管庫へ隠すだけでは、次の襲撃を待つことになる」
「地上へ送れば、王家に奪われる。偽物と断じられ、受取人まで処罰されるぞ」
「地下への経路を逆探知される危険もある」
オルドが、救い出した目録を石卓へ置いた。
「代理として問う。何を、誰へ、どの順番で渡す」
守るだけでは、二十七人の声は再び地下へ埋もれる。
だが、送り方を誤れば、残った証拠も受取人も失う。
私は目録に並ぶ名前を見つめ、次の判断へ向き直った。




