第20話 捨てられた王子
「なぜ、『地上に捨てられた王子』が、ここにいる?」
若い王国兵の声が、火薬臭の残る前室へ響いた。
ラウルの表情が冷たく固まる。
問いを重ねる前に、私は負傷者の手当てを優先した。
肩を切った防衛要員へ止血布を巻き、ラウルの足枷で擦れた傷にも薬を塗る。封鎖前室に隔離した三人の兵士は、武器を床へ置くことを条件に外へ出し、若い兵士とは別々に拘束した。
ミハルは王家の見取図と年代表、転移杭の予備を一つずつ読み上げる。私が現物と記載を照合し、防衛班長が封印袋へ確認印を押した。
そこまで終えてから、若い兵士へ尋ねた。
記録係のミハルが、先に氏名と所属を確認する。
ユアン・レスク。二十一歳。宮廷監察局付属工兵隊の一等兵。記憶庫へ仕掛けた起爆具を運び、自分でも導火具を手にしたことを認めた。
「その呼び名を、どこで知ったの?」
ユアンは唇を固く結んでいたが、やがて短く答えた。
「五年前の地下交渉団に関する軍内記録だ。顔と、折れた角も載っていた。それ以上は知らない」
記憶石の中身も、命令者も、彼の階級では知らされていないらしい。
私はラウルへ向き直った。
「話したくないなら、今でなくてもいい」
彼はしばらく黙っていた。
やがて瓦礫へ腰を下ろし、自分の手首を覆う黒い金属へ目を落とした。
「いや。ここまで来た以上、隠したままにはできない」
低い声で言う。
「俺は、旧調停王家の王子だった」
「王子……」
「名だけで地下を従わせる王じゃない。集落同士の争いを調停し、古い王門と地上への窓口を管理する家系だ」
角人族、鱗人族、穴居族。暮らしも利害も異なる地下の民が、争いを話し合いへ戻すための仲介者。
ラウルが地上語を流暢に話し、評議会の者たちから古い敬称を向けられていた理由が、ようやく繋がった。
「五年前、星脈炉の吸収が今以上に強まり、上層では地上の採掘隊と地下集落の衝突が続いていた。俺は交渉団を率いると申し出た」
求めたのは、過剰吸収の停止。限定された物資の交易。そして、双方の居住地と民間人を攻撃しないこと。
王家は上層の境界施設を交渉場所に指定し、正式な印章を押した停戦誓約を送ってきた。
「その代わり、交渉団が安全に通るためだと言って、通行図と水路情報の一部を先に求めた」
ラウルの指が、黒い拘束具の縁をなぞった。
「俺は渡した。王家の印章があり、停戦の文面も整っていた。それで十分だと思った。相手が破った時の担保も、中立の立会人も用意しなかった」
境界施設へ着いた時、王家の兵は交渉卓ではなく武器を並べて待っていた。
通行図から退路を塞がれ、水路情報を使って援軍の道も断たれた。同行者は殺され、何人かは生きたまま地上へ連れていかれた。
「なぜ、あなただけ戻されたの?」
「分からない。見せしめか、地下を割るためか。俺にはこれを付けて、壊れかけた地下側の門へ放り込んだ」
黒い拘束具は、力や魔力を加えるほど締まる地上製だった。地下には正規の解除鍵がない。
帰還後、ガレス派はその拘束具へ新たな鎖を足し、ラウルを保守牢の床へ繋いだのだ。
殺せば、和平を支持した者たちに殉教者を与える。生かして晒せば、地上を信じた者の末路として使える。だからガレス派は、水と乾燥根だけを定期的に与え、ラウルを警告の道具として牢へ残した。
「仲間と通路情報を失った責任で、俺は代表権と投票権を剥奪された。地上を信じて同胞を売った王子だと呼ばれた」
だから評議会で、ラウルの言葉だけでは何も決められなかった。
「俺の判断が間違っていた。善意と印章だけを信じ、仲間も同じ危険へ連れていった。その責任は俺にある」
彼は王家の裏切りまで、自分の罪として語らなかった。
停戦を破り、人を殺し、連れ去ったのは王家だ。ラウルの判断責任と、彼らの加害は別のものだった。
あなたも私と同じように捨てられたのね。
その言葉が喉まで出かかり、私は飲み込んだ。
私たちの傷には似た形がある。けれど、彼は交渉団を率いた責任を負い、私は同意もなく犠牲に選ばれた。何を失い、何を選べたかも同じではない。
「あなたは、その後、何を選んだの?」
ラウルが顔を上げた。
「王家を許したの?」
「許していない」
答えは迷いなく返った。
「だが、地上の人間を一人残らず殺すことも選ばなかった。交渉団を襲った王家と、事情を知らず暮らす民間人は別だ」
地下へ戻ったラウルは、再び交渉するなら、相互の証拠、第三者の監視、住民の承認、いつでも撤回できる条件が必要だと訴え続けた。
ガレス派は、それを二度目の裏切りと呼んだ。
「だから、あの牢へ?」
「ああ。ガレスにとって、地上全体への報復を否定する俺は邪魔だった」
私は、床へ契約陣を描いた時の彼の言葉を思い出した。
「それで、命を担保にする契約を拒んだのね」
「命を握らせて従わせれば、誓約がどれほど美しくても服従になる。俺は一度、それを見分けられなかった」
彼の過去をすべて理解したわけではない。
それでも、裏切られた後に何を選ぶ男なのかは、前より分かった。
その時、遠い水管から激しい打音が走った。
カン、カン、カン、カン――。
フィアからの緊急合図だ。
間を置かず、外郭入口を見張っていた防衛要員が、和平派の斥候を連れて駆け込んできた。斥候の肩は大きく上下し、片手には青黒い獣毛が握られている。
「ガレスが獣冠を起動した!」
ラウルが立ち上がった。
「どこでだ」
「上層へ向かう三つの道だ。守護獣が六体、同じ歩調で集められている。ガレスは星脈炉だけでなく、最寄りの地方都市まで攻撃すると宣言した」
斥候は獣毛を石台へ置いた。
青黒い毛の根元には、焼けたような環状の痕がある。報告では、獣たちは方向を変えようとするたびに痙攣し、苦しげな声を上げていたという。
自分の意思で集まっている動きではない。
だが、獣冠が何をしているのかまでは、まだ分からなかった。
「記憶庫を空にして、全員で止めに行くのは危険だ」
防衛班長が損傷した外郭を見回した。
「ここへ王国兵が戻る可能性もある」
「役割を分けます」
私はミハルと防衛班長に、自分の権限で出せる指示の範囲を確認した。
「私とラウル、ミハル、それに二人はここへ残る。外郭の証拠と、本体へ続く道を守ります」
残る防衛要員には、和平派の斥候と合流してもらう。
「ガレス派の人数、守護獣の進路、獣冠が光る間隔を記録してください。戦闘は始めない。進路上の住民を避難させ、閉じられる通路だけ閉じる。情報は中央配水所へ送り、フィアと管理者に中継してもらいます」
防衛班長が条件を復唱し、別働隊へ正式な指示を出した。
ガレスも、記憶庫も放置しない。
そのために、私一人で両方へ走らない。
別働隊を送り出した後、私たちは記憶庫本体へ続く道の安全確認を始めた。
王家部隊が爆破した入口とは反対側に、ガレス派が以前から石材で塞いでいた横道がある。
崩れた封鎖壁の隙間へ灯りを差し入れた時、ラウルが足を止めた。
「待て。油の臭いがする」
暗がりに、真新しい金属の弾頭が落ちていた。
地上の武器を湿気から守る防湿油が、まだ乾かずに付着している。
私は布越しに拾い、先ほど確保した王家部隊の装備と刻印を比べた。
兵站番号も製造系列も違う。
しかも弾頭が落ちていたのは、王家部隊が到達していない封鎖壁の向こう側だ。床には、重い箱を引きずった新しい跡が、ガレス派の拠点方向から記憶庫へ向かって続いていた。
これだけで、王家とガレスが取引しているとは断定できない。
だが、問いは残る。
現在の王国で造られた武器を、誰がガレス派の支配区域へ運び込んだのか。
私は弾頭を証拠袋へ収め、搬送痕の方向を記録した。




