第18話 女王を名乗る生贄
同じ日の昼、中央配水所の圧力計が規則正しく三度跳ねた。
水脈核の異常ではない。王都へ伸びる枝水路の先で、私の脱出石に繋がれた回路だけが出力を上げている。
建国祭の一斉点灯より小さいが、祈りの文句に合わせるような一定の周期。位置は王立聖廟区だった。
また、私の死を使った儀式が始まっている。
私は水路管理者バシュルとミハル、評議会から派遣された監視役を呼んだ。
「地上へ、私の姿と声を送らせてください」
監視役の角が険しく傾いた。
「お前一人の復讐で、都市の場所を晒す気か」
「晒しません。地下のことも話しません」
私は水路図の上で、地上に最も近い枝を指した。
「使うのはこの一本と、奪われた脱出石の目印だけ。水脈核へ戻る経路は途中で切り分けます。投影は一分以内。水圧が落ちるか、地上から逆向きの信号が入った時点で終了します」
「何を言うつもりだ」
「私が生きていること。志願していないこと。死にたくないと拒絶したこと。それだけです」
十三人の名も、六十年前の記録板も、地下都市の場所も出さない。まだ裏づけのない投票への疑いも口にしない。
私は門守候補にすぎない。地下の民を勝手に代表して、戦争を宣言する権利はなかった。
バシュルは長く圧力計を見つめ、やがて該当する枝水路の遮断弁へ手を置いた。
「異常があれば、こちらの判断で潰すぞ」
「お願いします」
ミハルが開始前の水圧と、私が公開すると決めた言葉を書き留めた。
フィアは私の隣へ座り、二つの石を一定の間隔で打ち鳴らす。私がその音を聞き違えた時も中止だ。
ラウルは枝水路と水脈核の境目に立った。
「戻ってきた干渉は、ここで切る」
彼に地上への言葉を任せるつもりはない。話すのは私だ。
「始めます」
脱出石に残した目印へ、細い境界を伸ばした。
人も物も通さない。向こうへ送るのは、私の姿と声だけ。地上から受け取るのも、石の周囲にある光と近い音だけだ。
水面の向こうに、王立聖廟区の広場が開いた。
大勢の市民が白い花を持ち、祭壇へ向かって祈っている。聖女マリエルは私の脱出石の横に立ち、司祭の言葉へ合わせて両手を組んでいた。
『――我らが献身の聖女リディア・フェルゼン。彼女は国と仲間の未来を救うため、自ら奈落へ残りました。その魂は最期まで微笑みを失わず――』
私は脱出石と追悼用魔法灯の境界へ術を差し込んだ。
十三の灯が、一斉に明滅する。
司祭の声が途切れた。
祭壇の横へ、等身大の私の像が浮かび上がる。
白い聖衣も、作られた微笑みもない。裂けた遠征服。腕や足へ巻いた包帯。泥と血の跡が残る、生き延びた私の姿だ。
「私は、リディア・フェルゼンです」
広場の空気が凍りついた。
「生きています」
誰かが杯を落とした。金属の転がる音に続き、悲鳴とどよめきが広がる。
マリエルが脱出石を押さえ、一歩後ずさった。
「私は、奈落へ残ることを志願していません」
宮廷魔導官が遮断術を投げ込んでくる。幻影の肩が一瞬欠けたが、私は接続幅を絞って声を残した。
「私は『同意していない』『死にたくない』と叫びました。十三人が署名した、私が笑って残ったという共同証言は嘘です」
祭壇に飾られた銀徽章が、私の境界術へ反応した。術師登録時に刻まれた固有の光紋が、脱出石と幻影の周囲へ同じ形で浮かぶ。
魔法灯を管理していた若い術師が、光紋を見て息を呑んだ。
「登録紋が一致しています。遺品の残留魔力だけでは、現在の術へ同期できるはずが――」
隣にいた上官が、その肩を乱暴に掴んで黙らせた。
「あの術紋は……」
「本当にリディア様なのか?」
群衆の一角から声が上がった。
「騙されるな、魔物の幻だ!」
「でも、生きているって……」
子どもを抱いて後ずさる者がいる。私の声を聞こうと、兵の制止を押し返す者もいる。隣同士で違う言葉を叫び、広場の祈りは一つに戻らなかった。
「国葬の棺は空だったはずだ!」
「魔物がそれを知っていただけだ!」
「なら、なぜ本人の石が反応している?」
兵士が静まるよう命じても、問いは別の場所からまた上がった。誰も私の話を証明できない。けれど、司祭の言葉だけで全員を同じ方向へ向かせることも、もうできなくなっていた。
「惑わされてはならない!」
司祭が祭壇の前へ立ち、私の像を隠そうと両腕を広げた。
「奈落の魔物が、亡き聖女の姿と遺品の記憶を盗んだのだ! 王国を乱す地下の魔女――奈落の女王が作った偽物だ!」
奈落の女王。
私が地下の民から与えられた位ではない。私は今も門守候補であり、誰かの上に立つ王を勝手に名乗るつもりはなかった。
だが、司祭が恐れているのは王位ではない。
生贄にされた女が、笑って死なず、自分の声で拒絶することだ。その女を怪物と呼ぶための名なら、奪い返せる。
「笑って死んだ聖女でいろと言うなら、その名は返します」
私は揺れる幻影を立て直し、墓碑ではなく広場の人々を見た。
「生きて声を上げる私を、奈落の女王と呼ぶのなら――覚えておきなさい」
一度、息を吸う。
「奈落の女王リディア・フェルゼンは、生贄として笑って死なない。あなたたちが消した私の声を、何度でも地上へ返します」
言い切った瞬間、脱出石の奥で見知らぬ術式が開いた。
こちらから送る光へ絡みつき、発信元を逆に辿る細い魔力の針。
接続を始めるまで眠っていた、追跡用の回路だ。
「閉じます!」
私は予定時間を待たず、幻影門を切った。
地上の光と叫びが消え、中央配水所の暗がりが戻る。
追跡の針は、すでに枝水路へ入り込んでいた。
バシュルが遮断弁を下ろし、ラウルが鎖を境界標へ叩きつける。私は水脈核へ向かう接続と、居住区へ分かれる接続を一本ずつ切り離した。
指先の痺れが腕まで這い上がる。それでも意識は保っている。私はフィアの打音を一つずつ数え、自分の判断で最後の接続まで閉じた。
青白い針が行き先を失い、枝水路の中で震える。
「都市への道は切れた」
ラウルの声を聞き、私は頷きかけた。
だが、一本だけ消えていない。
追跡信号の一部が、私たちの遮断より早く、古代設備に共通する登録経路へ潜り込んでいた。水脈核ではない別の装置へ、細い光が走っていく。
「記憶庫の方角です」
次の瞬間、遠い岩盤の奥で、複数の地上式座標が灯った。
観測のための小さな反応ではない。人員と装備を送り込む転移陣が、記憶庫の周辺へ次々と固定されていく。
追跡されただけなら、私を探すはずだ。
それなのに、転移先は記憶庫へ集中している。
「王家は、私より先に消したいものがある」
私は腰の金属記録板を確かめ、立ち上がった。
「記憶庫へ向かいます。急いで!」




