第15話 水脈核奪還
守護獣が前脚を振り上げるたび、鱗の隙間から漏れる青い魔力が上方へ引かれた。
ドクン、と吸収の脈動が走る。
直後に、獣のひび割れた角が明滅し、血走った目がさらに見開かれる。苦痛に耐えかねた巨体が身をよじり、尾が石床を砕いた。
「槍を下げて!」
守護獣へ向かおうとした監視役を、私は制した。
獣は最終弁を守っているのではない。弁の継ぎ目から滲む水へ、割れた角を押し当てている。わずかな冷気で痛みを和らげようとしていたのだ。
「傷つければ、もっと暴れます。最終弁まで壊されたら、再起動できない。先に水と循環を戻します」
討伐に使える時間もない。バシュルが携帯圧力計を見せた。針は停止域の縁で震えている。
私はローデンの補助図を石床へ広げた。
「第一水路は圧力逃がし路を開いて、崩落箇所を支える。完了したら金属管を一度」
作業員が頷き、資材を抱えて走る。
「第二水路は裏の解除爪を外して、固着弁を動かせる状態に。合図は岩を二度。第三水路は上へ奪われている循環魔力を、古い迂回路へ導いて核の手前で待機させてください。流れが安定したら鐘を三度」
「三本を開くだけでは、位相が合わんぞ」
「最後は私が合わせます。古代制御環は水を作る装置ではありません。でも、準備された三本の接続幅と圧力を同時に調整できる」
それが、この場で私にしかできない仕事だった。
最終弁の補助ラッチは、獣の背後にある細い保守導水路からでなければ外せない。通れるのはフィアだけだ。
ラウルがフィアの前に膝をつき、地下語で説明する。途中から水位が上がること。命綱を二度引けば戻ること。石音が途切れた場合も作戦を中止すること。
フィアは通路を覗き込み、退避穴の位置を自分の目で確かめた。それから私たちを見て、頷いた。
腰へ命綱を結び、結び目をフィア自身にも引かせる。
「ラッチを外したら、退避穴へ入って石を三度。さらに命綱を二度引いて。両方がなければ水は通さないわ」
ラウルが訳すと、フィアは私の手の甲を一度叩き、導水路へ這い入った。
「俺が獣を弁から離す」
ラウルは手枷から垂れる鎖を持ち上げた。
「柱を二本越えた石壁までが退路だ。そこへ入ったら鎖を二度鳴らす。間に合わなければ叫ぶ。俺の合図も待て」
私は頷いた。
作戦が始まった。
ラウルが鎖を柱へ打ちつける。甲高い音に守護獣が振り向き、割れた角を低く構えた。
「こっちだ」
ラウルは獣の進路を見ながら一歩ずつ下がった。手枷と足枷のため、走り切れる距離ではない。獣が踏み込むたびに柱を盾にして向きを変え、最終弁から引き離していく。
カン。
第一水路から金属音が一度。圧力逃がし路が開いた。
ゴツン、ゴツン。
第二水路から二度。解除爪が外れた。
続いて第三水路の方角から、鐘が三度響いた。バシュルが圧力計を確かめ、声を張る。
「迂回流、核の手前で安定! 長くは保てん!」
まだだ。
私はフィアの命綱を握ったまま、石床へ耳を澄ませた。
トン、トン、トン。
導水路の奥から三度の打音。少し遅れて、命綱が二度、確かに引かれた。補助ラッチを外し、退避穴へ入った合図だ。
守護獣が咆哮し、ラウルのいた柱へ突進する。柱の陰からラウルが転がり出て、石壁の切れ目へ身を滑り込ませた。
ガン、ガン。
鎖が二度鳴る。
全員が準備を終え、危険域から退いた。
「三水路、開放!」
作業員たちが一斉に弁を動かす。
私は水脈核の中央に刻まれた古代制御環へ両手を置き、三つの流れへ境界感知を広げた。
第一水路の高い水圧。第二水路の重い滞留。第三水路を上へ奪おうとする星脈炉の引力。
三本をただ繋げば、弱い水路から破裂する。
私は第一水路の接続幅を細く絞り、第二水路を先に開いた。滞留していた水が動いた瞬間、第三水路の迂回流を核側へ引き込む。
「繋がって……!」
制御環の三方が青白く光った。
第三水路が上方へ引き戻され、接続が剥がれかける。私は指先の痺れをこらえ、核と星脈炉の境目を見極めた。吸収そのものを断つ力はない。それでも、循環に必要な分だけは渡さない。
接続幅を一線ずつ調整し、三本の位相を重ねる。
ゴォォォォ――!
水音が円形区画を揺らした。
三本の水路から流れ込んだ水が最終弁を抜け、水脈核の中心を満たしていく。制御環の光が環状に走り、止まりかけていた循環が再び脈打った。
守護獣が動きを止めた。
鱗から上方へ抜かれていた青い光は消えていない。だが、核から戻る循環魔力が巨体を包むにつれ、苦痛に引きつっていた脚から力が抜けていく。
獣は私たちに従ったのではない。距離を保ったまま水際へ近づき、長く水を飲んだ。やがて一度だけ低く唸ると、暗い横穴へ退いていった。
私は制御環から手を離した。足元が揺れ、ラウルが石壁の向こうから戻って肩を支える。
ミハルが、濡れた水路と私を交互に見た。
「これで、終わったのか?」
「止まりかけていた循環を戻しただけです。星脈炉の吸収も、岩壁の吸収杭も残っています。配給制限も、壊れた水路の修理も必要です」
ミハルは私の言葉まで書き留めた。
フィアを導水路から引き上げ、怪我がないことを確かめてから、私たちは中央配水所へ戻った。
空だった分配槽へ、最初の水が落ちていた。
一筋だった流れが幾筋にも増え、閉じていた治療所の正規配水管が震え出す。バシュルが慎重に弁を開くと、管の奥から水の走る音が返ってきた。
乾ききって白く粉を吹いていた槽の底が、見る間に濃い色へ変わっていく。作業員の一人が震える指を水へ浸し、舐めてから、「濁りなし」と掠れた声で報告した。別の者が水位目盛りを読み上げる。上昇は遅いが、針はもう戻らなかった。
広場の共同井戸にも水が上がる。
住民たちはすぐには歓声を上げなかった。最初に満たした器を、治療所へ運ぶ者。幼い子へ一口だけ飲ませ、残りを隣人へ渡す者。水が途切れないと確かめてから、ようやく泣き出す者がいた。
フィアは分けてもらった小さな杯を両手で抱え、まず私へ差し出した。私が自分の水筒を見せて首を振ると、今度は隣にいた幼い子へ渡す。二人で一口ずつ飲んだ後、初めて子どもらしい声を上げて笑った。
私へ頭を下げる者もいた。地上人を信用できないと、背を向ける者もいた。
それでいい。水を戻した一度の働きで、奪われてきた年月まで消えるはずがない。
分配槽の水位が安定した頃、水脈核と繋がった私の感覚に、これまで届かなかった細い分岐が触れた。
制御環の補助が残っている今だけ、水路の連続した先を辿れる。
私は映像を見るのではなく、流れの向きと終端の位置を一つずつ読んだ。王都方面へ伸びた古い水路の一枝が、地上近くで途切れている。
終端は、王族と功労者の墓が並ぶ王立聖廟区の真下。
そして、そのほぼ真上から、忘れようのない目印が返ってきた。
帰還門でマリエルに奪われた、私の脱出石だ。
私は水の満ち始めた分配槽を見つめた。
「なぜ……私の石が、王立聖廟区にあるの?」




