第10話 地上を照らす命
言葉にした直後、上方から二度目の震動が降りてきた。
第三水路に残る魔力が細く引き伸ばされ、岩盤の奥へ吸い込まれていく。
私は水路へ手をついた。
流れを追おうと感覚を研ぎ澄ませた時、その中に覚えのある引っかかりを見つけた。
私が組んだ境界の癖だ。
帰還門の前でマリエルに脱出石を奪われた瞬間、石の回路へ残した目印。それと同じ反応が、吸収流の中へ混じっている。
私の石が、この流れの先につながれている。
目印だけでは、地上の様子を見聞きすることはできない。そこへ移動することも、遠隔で石を動かすことも不可能だ。
ただし、石が今どこにあり、どんな回路へ接続されているかは追える。
私は岩肌の水滴を一つだけ指へ取り、吸収される魔力のごく一部をそこへ迂回させた。水滴の表面に、枝分かれする細い光が浮かぶ。
目印の位置は、王都の中心部。
そこから太い一本の回路が無数に分かれ、王宮前、大通り、各街区へ順番に魔力を送っている。
この分岐の形を、私は知っていた。
王国の公共魔力網だ。
供給が増える順序も、一定の間を置いて脈打つ周期も、毎年見てきたものと同じだった。
王宮前から大通りへ。最後に王都の全街区へ。
建国祭の魔法灯点灯式。
「王都を照らしているんだわ」
バシュルが、意味を問うように私を見た。
「建国祭よ。今、地上では王都中の魔法灯が点いている」
さらに吸収流を調べると、王国の公共設備で使われる供給紋が見つかった。
星脈炉。
私たちは、地下から自然に湧く余剰魔力を地上へ送る設備だと教えられてきた。
違う。
星脈炉は、水脈から魔力を奪い、地上の供給網へ流し込んでいる。
「……っ」
隣でフィアが膝をついた。
金褐色の瞳が鈍り、小さな角の表面から淡い艶が失われている。作業員の一人も壁へ手をつき、息を切らしていた。
遠くから、獣の咆哮が響く。
怒りではない。身体の内側から何かを引き抜かれるような、苦痛の声だった。
吸収流へ感覚を戻す。
水と循環魔力だけではない。生き物ごとに異なる、細かな揺らぎが混ざっていた。
生命力だ。
地上の魔法灯は、地下の民と獣の命を燃やして光っている。
祭りを見上げる市民は知らないだろう。私自身、魔法灯の向こう側に誰かの苦痛があるなど、教えられたことはなかった。
だが、星脈炉を制御する者まで、自然に湧く力だと思っているはずがない。少なくとも、この回路を管理する者は吸収の存在を知っている。
怒りが込み上げた。
けれど、今それをぶつけられる相手はここにいない。
治療所の鐘が、さらに激しく鳴った。
「残った水をどこへ回す」
バシュルが問う。
「中央配給所、工房区、治療所。今の水量では一つだ」
私は各区画の状況を聞いた。
中央配給所には、わずかだが各家へ配る前の備蓄がある。工房区は炉を落とせば火災の危険を減らせる。
治療所には、自力で移動できない病人と負傷者がいる。水が途切れれば、次の一刻を越えられない者もいるという。
「治療所へ回して」
選べば、ほかの場所の水が減る。
それでも、今すぐ死者が出る場所を後へは回せない。
管理者は作業員へ地下語で命令した。一人が都市へ走り、治療所の配水管を内側から叩かせに向かう。
「水はどこから取る?」
「第一水路の崩落手前に、流れきれなかった水が残っている」
水路図の欠けた部分へ、管理者が指を置いた。
「本来は中央配給所と工房区へ送る貯留分だ」
「そこから治療所の管へつなぐ」
第三水路へ吸われないよう、作業員たちが脇の遮断板を下ろす。バシュルは第一水路の貯留弁へ取りつき、固い取っ手を少しずつ開いた。
やがて乾いた管の奥から、カン、カン、と金属を叩く音が返ってきた。
似た反響がいくつも重なる。
フィアが床へ耳を当て、目を閉じた。細い指が音を一つずつ追い、やがて右奥の配水管を示す。
治療所からの打音だ。
私は第一水路の貯留区画と、その配水管へ手を伸ばした。
どちらも実在する。位置も、構造も、音の目印も分かっている。
遠く離れた地上へ門を開くのではない。同じ水路区画の中で、二つの管口を一時的に隣り合わせる。
「接続したら、非常用の継ぎ輪で固定して。私が保てるのは短い間だけよ」
作業員たちが継ぎ輪を構えた。
私は二つの管の境界へ、残る魔力を通した。
石壁が水面のように歪む。
離れていた管口が重なった瞬間、バシュルが貯留弁を開く。
ゴボッ、と空気を吐き出す音がした。
最初に流れたのは、錆と泥を含んだ濁り水だった。作業員がそれを排水溝へ逃がし、色が薄くなったところで治療所側の管へ切り替える。
「今!」
継ぎ輪が二つの管口を挟み込む。作業員たちが留め具を打ち、物理的な仮設管として固定した。
指先の感覚が消えかけていた。
私は接続が継ぎ輪へ引き継がれたことを確かめ、術を解いた。
目の前が暗くなり、身体が傾く。
ラウルが肩を支えた。
「立てるか」
私は一度呼吸を整え、頷いた。差し出された腕へ自分から手を置き、壁際まで歩く。
これ以上魔力を出せば、次に異常が起きた時に動けなくなる。
今は、止めるべきところで止める。
しばらくして、都市へ走った作業員が戻ってきた。
「治療所へ届いたそうだ」
バシュルの通訳を聞き、張りつめていた息を吐く。
中央配給所と工房区へ回るはずだった貯留水は減った。都市全体の渇水も、星脈炉の吸収も止まっていない。
それでも治療所では、今すぐ失われるはずだった命がつながった。
歩ける程度まで休んだ後、私たちは監視付きで治療所へ戻った。
錆びた配水管から細い水が流れている。
治療師が私の右足首にも触れ、骨に折れはないが靱帯を傷めた捻挫だと診断した。硬い布と薄板で固定すれば歩ける。ただし数日は走らず、大きな術の直後ほど足元に注意するよう釘を刺された。
治療師たちは最初の濁りを捨て、煮沸用と飲用へ分けていた。子どもが濡らした布を口へ当て、負傷者が薬を飲み下している。
華々しい奇跡ではない。
この一画が、次の朝を迎えるための水だ。
「……地上人か」
病床の一つから、嗄れた声がした。
白髪の老人が、上体を起こして私を見ている。深い皺に覆われているが、青灰色の目には明瞭な光があった。
彼の視線が私の装備をたどり、腰へ結びつけた金属記録板で止まる。
「それを、どこで見つけた」
老人は地上語を話していた。
「崩れた帰還門の近くよ。あなたは、これを知っているの?」
老人はしばらく記録板を見つめ、それから私へ目を戻した。
「私はローデン。今は七十八だ」
震える指が、記録板を指す。
「その記録板を書いたのは、私だ」
私は息を呑んだ。
ローデンは、六十年分の重みを押し出すように続けた。
「十八の時、私も十三人に置いていかれた」




