2. 太陽光発電とメガソーラーを分ける
太陽光発電を語るとき、最初に分けなければならないものがある。
それは、太陽光発電そのものと、メガソーラーである。
この二つを同じものとして扱うと、議論は最初から崩れる。なぜなら、同じ太陽光発電であっても、設置場所、規模、目的、管理責任、災害リスク、廃棄時の負担、地域への影響がまったく違うからである。
住宅の屋根に設置された太陽光パネルと、山林を切り開いて作られた大規模メガソーラーは、同じ「太陽光発電」という言葉で呼ばれる。しかし、社会的な意味は大きく異なる。
住宅用太陽光は、すでに存在する建物の屋根を利用する。新たに山を削る必要はない。土地を大きく改変する必要もない。発電された電力は、その家庭で自家消費される場合もあり、非常時の補助電源として機能する可能性もある。もちろん、設置費用、メンテナンス、廃棄、屋根への負担などの問題はあるが、基本的には既存の建造物を利用する小規模な設備である。
一方、メガソーラーは違う。
メガソーラーは、広い土地を必要とする。特に日本では、平地が限られているため、山林、斜面、農地、郊外の未利用地などが対象になりやすい。山林を切り開き、土地を造成し、大量のパネルを並べ、フェンスを張り、送電設備を整え、長期間にわたって保守管理する必要がある。
この時点で、住宅用太陽光とはまったく別の問題が発生する。
太陽光発電そのものの利点として、発電時に二酸化炭素をほとんど排出しないこと、燃料費がかからないこと、設置後に一定の電力を生み出せることがある。これらは事実である。しかし、その利点は、すべての太陽光設備に同じ重さで当てはまるわけではない。
たとえば、屋根上太陽光であれば、追加の土地改変は小さい。工場や倉庫の屋根、駐車場の上、すでに開発された土地に設置するなら、土地利用の面では比較的合理性がある。既存の空間を利用して発電するからである。
しかし、山林開発型メガソーラーでは話が変わる。
森林を伐採すれば、保水力が失われる。斜面を造成すれば、雨水の流れが変わる。土砂災害リスクが変化する可能性もある。景観が変わり、生態系も分断される。地域住民にとっては、発電事業者の利益よりも、生活環境や災害リスクの方が重要になる場合がある。
つまり、同じ太陽光発電でも、既存の屋根を利用する太陽光.既開発地を活用する太陽光.山林を切り開くメガソーラー.では、社会的負担がまったく違う。
ここを分けずに「太陽光は環境に良い」と言うのは雑である。逆に、「太陽光はすべて悪い」と言うのも雑である。
必要なのは、太陽光発電を一つの言葉でまとめることではなく、類型ごとに評価することである。
太陽光発電には、少なくとも次のような類型がある。
住宅の屋根に設置するもの。
工場、倉庫、学校、公共施設の屋根に設置するもの。
駐車場や既存インフラの上に設置するもの。
工場跡地、埋立地、遊休地など、すでに開発された土地を利用するもの。
農地を転用して設置するもの。
ため池や水上に設置するもの。
山林を伐採し、斜面を造成して設置するもの。
外資や海外部材に強く依存して建設・保守される大規模発電事業。
これらをすべて「ソーラー」で一括りにすると、議論の精度が落ちる。
特に問題なのは、太陽光発電の比較的まともな部分を使って、メガソーラー全体を正当化する論法である。
たとえば、
太陽光は発電時にCO₂が少ない。
屋根上太陽光は有効な場合がある。
だからメガソーラーも推進すべきだ。
この流れは成立しない。
屋根上太陽光に合理性があるとしても、それは山林を切り開くメガソーラーの合理性を証明しない。住宅用太陽光が非常時に役立つとしても、それは遠隔地の大規模メガソーラーが災害時に安定して機能することを意味しない。既存の建物を活用する太陽光と、土地を大きく改変する太陽光は、同じ基準で評価できない。
逆に、メガソーラーに問題があるからといって、すべての太陽光発電を否定する必要もない。
ここも重要である。
もし批判の対象を広げすぎると、論点がぼやける。太陽光発電そのものを全否定すると、屋根上設置や工場屋根、既開発地活用のような比較的合理的な選択肢まで巻き込んでしまう。それでは、批判としての精度が落ちる。
本当に問うべきなのは、どの場所に、どの規模で、誰の責任で、どの供給網を使い、どのように保守し、最後にどう撤去するのかである。
発電方式だけを見ても不十分である。
設置場所だけを見ても不十分である。
初期費用だけを見ても不十分である。
発電時CO₂だけを見ても不十分である。
太陽光発電を評価するなら、少なくとも次の点を見なければならない。
土地を新たに改変するのか。
森林や斜面を削るのか。
災害時に機能するのか。
保守しやすい場所にあるのか。
盗難対策は可能なのか。
故障時の部品は確保できるのか。
廃棄費用は積み立てられているのか。
事業者が撤退した場合、誰が責任を取るのか。
その電力は安定供給にどれだけ寄与するのか。
その事業で利益を得る者と、リスクを負う者は一致しているのか。
このように見ていくと、太陽光発電の中でも、特に慎重に扱うべきものが見えてくる。
それが、山林開発型・大規模設置型のメガソーラーである。
メガソーラーは、単に大きな太陽光発電設備ではない。
それは、土地利用を変え、地域環境を変え、保守作業を生み、災害リスクと廃棄責任を伴う事業である。
そのため、メガソーラーを語るときには、発電量だけではなく、国土利用、災害、安全保障、労働、廃棄、利権構造まで含めて考える必要がある。
「太陽光発電に利点がある」という事実は、認めてよい。
しかし、それは「日本でメガソーラーを推進してよい」という結論には直結しない。
この区別を曖昧にしたまま議論を進めると、太陽光発電の一部の利点によって、メガソーラーの重大な問題点が覆い隠される。
だからこそ、最初に分けなければならない。
太陽光発電そのものと、メガソーラーは違う。
屋根上太陽光と、山林開発型メガソーラーは違う。
既存空間の活用と、国土改変を伴う発電事業は違う。
個人や施設の補助電源と、社会全体の電源政策は違う。
この区別をしない議論は、最初から粗い。




