宿題
夕方。
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机に向かって、宿題。
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「……めんどくせぇ」
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鉛筆をくるくる回しながら、
ぶつぶつ言う。
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でも手は止めない。
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(やっとかねぇと後でだるい)
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静かな部屋。
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ページをめくる音だけ。
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——そのとき。
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「にぃちゃ…」
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小さな声。
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ドアが、少しだけ開く。
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「……ん?」
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振り向くと、
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小さな影。
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「にぃちゃ……あそぼ…」
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弟の海里。
まだ幼くて、
よちよち歩き。
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トコトコ近づいてきて、
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海人の服の裾を、
ぎゅっと掴む。
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「……」
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(今かよ)
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少しだけ困る。
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「あとでな」
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軽く言う。
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「いま宿題」
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海里、きょとんとする。
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でも、
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「……や」
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首をふる。
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裾をさらに引っ張る。
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「にぃちゃ……」
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甘える声。
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(……はぁ)
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ため息ひとつ。
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でも、
完全には突き放せない。
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「ちょっと待てって」
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またノートに目を落とす。
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でも。
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ぐい、ぐい。
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引っ張る力が強くなる。
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「……おい」
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「にぃちゃあ…」
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声が、だんだん不安そうになる。
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そして——
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「うぇ……」
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ぽろっ。
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泣き出す。
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「え、ちょ」
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完全に予想外。
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「泣くなって」
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慌てる海人。
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「……ちが、あとでって言っただろ」
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でも伝わらない。
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「にぃちゃああ…」
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本格的に泣く。
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(やばい)
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完全に詰んだ。
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「……母さーん!」
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部屋の外に向かって叫ぶ。
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「ちょっと来てー!」
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数秒後。
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「なに?」
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母が顔を出す。
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「どうしたの」
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「いや、こいつが」
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腕を伸ばす。
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海里、泣きながら抱きついてくる。
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「……ほら」
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抱き上げる。
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まだ小さくて、
軽い。
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でも、
ぎゅっとしがみついてくる。
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(……めんどくせぇけど)
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少しだけ、
力を緩める。
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「母さん」
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そのまま差し出す。
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「頼む」
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母が受け取る。
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「はいはい」
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「あとで遊んであげてね」
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「……わかってる」
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少しだけぶっきらぼう。
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でも。
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海里が、
まだ泣きながら海人を見る。
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「にぃちゃ…」
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「……あとでな」
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少しだけ、
優しく言う。
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海里、少しだけ落ち着く。
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母がそのまま連れていく。
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ドアが閉まる。
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静かになる部屋。
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「……はぁ」
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椅子に座り直す。
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でも。
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(……あとで遊ぶか)
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ぽつりと思う。
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(あいつ、ああいうの好きそうだし)
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ふと、
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(……茉白も)
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頭に浮かぶ。
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(……いや関係ねぇか)
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でも、
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少しだけ似てる気がした。
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“甘えてくる感じ”じゃなくて、
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“当たり前にそこにいる感じ”。
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鉛筆を持ち直す。
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でも、
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さっきより少しだけ、
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部屋の空気がやわらかかった。
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