呼べない名前
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7月。
蝉の声が少しずつ増え始めた頃。
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朝。
教室の扉が開く。
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「おはよう!」
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海人が元気よく入ってくる。
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友達がすぐに集まる。
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「昨日ゲームした?」
「した!」
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いつもの朝。
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でも。
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茉白は席に座ったまま、
ちらっと海人を見る。
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(……おはようって言いたい)
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でも、
昨日から少しだけ変だった。
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好きだと気づいてから、
海くんの前だと緊張する。
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(普通でいいのに)
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そう思うほど、
声が出ない。
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その頃、
海人もランドセルを置いていた。
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(茉白いるかな)
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探さなくても、
どこに座っているか知っている。
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窓際。
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目が合う。
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「あ……」
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一瞬だけ笑う。
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でも、
どちらも「おはよう」が言えない。
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そのまま、
友達が海人の肩を叩く。
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「海人!」
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「おう!」
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会話が始まる。
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茉白は小さく息をついた。
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(また言えなかった)
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二時間目。
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先生が出席を取る。
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「海人くん」
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「はい!」
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元気な返事。
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「茉白ちゃん」
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「はい」
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それだけなのに。
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海人は、
「茉白」という名前が耳に入るたび、
なんだか少しだけ意識してしまう。
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(……ダメだ)
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普通に聞けばいいだけなのに。
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昼休み。
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茉白は図書室で本を借りる。
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帰ろうとした時、
廊下の向こうから海人が歩いてきた。
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(海くん)
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(茉白)
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また目が合う。
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すれ違う距離。
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(何か言わなきゃ)
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(何か話したい)
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でも。
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「……」
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何も言えない。
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そのまま通り過ぎる。
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数歩歩いたところで、
二人とも同じタイミングで振り返る。
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「あ」
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また目が合う。
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思わず笑ってしまう。
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「じゃ、じゃあな」
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海人が先に言う。
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「うん。またね」
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茉白も笑って手を振る。
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たったそれだけ。
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でも。
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「海くん」
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名前を呼ぶだけで照れる。
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「茉白」
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心の中で名前を思うだけで、
胸が少しだけ熱くなる。
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好きだから。
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今まで普通にできていたことが、
少しだけ難しくなった。
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でも。
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そのぎこちなさも、
二人には少しだけ心地よかった。
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夏休みまで、
あと少し。
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二人の初恋は、
誰にも気づかれないまま、
ゆっくりと育っていく。
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