拒絶
「……なんでもねぇ!」
そう言い残して、露真はその場を離れようとした。
その時。
「……なあ」
背後から、また声がした。
露真の足が止まる。
「……」
振り返る。
さっきの男子が、こちらを見ていた。
「海くんって誰?」
「……!」
露真の表情が固まる。
「……何」
「いや」
男子は、ゆっくりと近づいてくる。
「さっきから俺のこと見てただろ」
「……」
「それに、いきなり海くん? とか呼んできたし」
露真は黙る。
「……別に」
「別にじゃねぇだろ」
さらに一歩。
距離が近づく。
「ほんとに似てる?」
「……え?」
「その海くんって奴に」
男子は、露真の顔を覗き込むようにして笑った。
「俺、そんなに似てる?」
「……」
露真は、思わず後ずさる。
似ている。
やっぱり。
夢の中の少年に。
でも。
違う。
この人は。
海くんじゃない。
「……知らない」
「知らない?」
「……私、その人のこと……」
言葉が止まる。
自分でも。
何を言おうとしているのかわからない。
男子はそんな露真を見て、少し面白そうに笑った。
「じゃあさ」
「……?」
「なあ」
男子が、露真の目を見る。
「俺のこと、海くんって呼んでみろよ」
「……」
「ほら」
一歩。
近づく。
「海くんって」
「……嫌だ」
露真は即座に答えた。
「……は?」
「嫌だ」
「なんで?」
「……」
理由なんて。
わからない。
でも。
嫌だった。
この人を。
海くんと呼ぶのは。
「……なんで嫌なんだよ」
男子が笑う。
「別にいいだろ」
「……やだ」
「呼んでみろって」
「嫌だ……」
露真が一歩下がる。
すると。
男子が、ふと何かを思い出したように言った。
「……あれ?」
「……」
「海くんってさ」
露真の心臓が。
ドクン。
と鳴った。
「海人のことだっけ?」
「……えっ?」
その瞬間。
時間が止まった。
「……」
露真の顔から。
血の気が引く。
「……海人?」
その名前。
聞いたことがある。
……気がする。
いや。
違う。
知らない。
知らないはずなのに。
「……」
頭の奥が。
真っ白になる。
男子は、そんな露真を見ていた。
「やっぱりそうだ」
「……何」
「海くんって、海人だろ?」
「……」
「海人」
――ドクン。
「……っ」
頭の奥で。
何かが弾けた。
雪。
白い。
赤い。
誰かの声。
――海くん。
「……っ」
露真の呼吸が乱れる。
「……はっ……」
胸が苦しい。
「……っ、う……」
「おい?」
男子は少し驚いたように露真を見る。
でも。
次の瞬間。
その表情が。
変わった。
「……ああ」
ニヤッと笑う。
「そういやさ」
「……」
「海人って、学校から追い出されたんだよな」
「……っ」
「転校させられたっていうか」
男子は笑った。
「なんか問題起こしたんだっけ?」
「……やめて」
「え?」
「……やめろ」
露真の声が震える。
「なんで?」
男子は楽しそうに笑う。
「お前、海人のこと知ってんの?」
「……知らない」
「じゃあいいじゃん」
「……」
「なあ」
男子が、また近づく。
「海くんって呼んでみろよ」
「……やだ」
「ほら」
「……」
「海くん」
「……っ」
露真の胸が。
締めつけられる。
息ができない。
「……はっ……」
視界が揺れる。
雪。
事故。
血。
誰かが倒れている。
「……っ、やめ……」
「海くんって」
「……!」
「呼べよ」
「……やだ」
「聞こえねぇ」
男子が顔を近づける。
「呼んでみろよ」
「……っ」
「海くんって」
「……や……」
「ほら」
「……っ、はぁ……」
露真の呼吸が。
どんどん速くなる。
「海くんって呼べよ!」
「……!」
露真は胸を押さえた。
苦しい。
怖い。
何なの。
何なんだ。
頭の中が。
ぐちゃぐちゃになる。
「……っ、はぁ……」
「おい、呼べよ」
「……やだ……」
「だから!」
男子の声が荒くなる。
「呼べって言ってんだろ!」
「……っ」
露真は。
必死に首を横に振る。
「……やだ……」
「……」
「やだ!!」
叫んだ。
その瞬間。
男子の顔が。
険しくなった。
「……てめぇ」
手が。
露真へ伸びる。
「――おい」
低い声が響いた。
男子の動きが止まる。
「……あ?」
振り返る。
そこに。
奏が立っていた。
「……何してんだよ」
「……奏?」
露真の声が震える。
奏は。
男子と露真の間に立った。
「嫌がってんだろ」
「別に」
「別にじゃねぇよ」
奏の目が。
鋭くなる。
「手、出そうとしてただろ」
「……は?」
「見えてた」
男子が舌打ちする。
「……関係ねぇだろ」
「ある」
奏は。
一歩前に出る。
「それ以上、露真に近づくな」
「……」
男子は奏を睨む。
「なんだよ、お前」
「奏」
「……は?」
「名前」
奏は淡々と答えた。
「覚えとけ」
男子はしばらく睨んでいたが。
やがて。
「……チッ」
舌打ちして。
その場を離れていく。
露真は。
その場に立ち尽くしていた。
「……」
息が。
まだ苦しい。
「……はぁ……っ」
奏が振り返る。
「露真」
「……」
「大丈夫か」
「……」
答えられない。
ただ。
頭の中には。
さっきの言葉が残っている。
――海くんって、海人のことだっけ?
――海人。
露真は。
震える手を握りしめた。
「……海人」
その名前を。
初めて。
自分の口で。
はっきりと呟いた。
すると。
また。
胸が痛くなった。
知らない。
知らないはずなのに。
どうして。
この名前を聞くと。
こんなにも。
苦しいのか。
奏は。
黙って露真を見ていた。
そして。
露真の手が。
小さく震えていることに。
気づいていた。




