思い出せない違和感
小学四年生。
放課後の教室。
露真は、自分の机の中を整理していた。
「……なんだこれ」
机の奥から、一枚の写真が出てきた。
少し古い写真。
露真は首を傾げる。
「写真?」
誰かが落としたのだろうか。
そう思って、写真を裏返す。
そこには。
小さな文字で、名前が書かれていた。
――茉白。
「……」
露真の手が止まった。
茉白。
聞いたことがあるような。
ないような。
「……誰だ?」
露真は写真を見つめる。
そこには、小さな女の子が写っていた。
長い髪。
笑顔。
そして。
隣には――。
同じくらいの年齢の男の子。
二人で笑っている。
露真は、じっと写真を見る。
「……この子」
なぜだろう。
胸の奥が、少しだけざわついた。
知らない。
この女の子を、知らない。
そう思うのに。
なぜか。
「……知ってる気がする」
自分でもよくわからなかった。
露真は眉をひそめる。
「……なんで?」
その瞬間。
頭の奥が、ズキッと痛んだ。
「……っ」
露真は頭を押さえた。
一瞬。
何かが見えた気がした。
青い空。
白い花。
誰かの声。
――「海くん」
「……海?」
露真は顔を上げた。
今。
何か聞こえた。
誰かの声。
女の子の声。
でも。
誰の声なのか。
わからない。
「……海?」
もう一度、呟く。
胸の奥が。
変に苦しい。
露真は写真を見る。
そこに写っている男の子。
この子なのか?
「……誰だよ」
写真の中の男の子を見つめる。
知らない。
知らないはずだ。
なのに。
なぜか。
この男の子を見ていると。
胸が痛くなる。
「……なんなんだよ」
露真は写真を机の上に置いた。
そして。
目を閉じる。
何かを思い出そうとする。
でも。
何も出てこない。
――真っ白。
何もない。
「……」
露真は目を開ける。
「……私」
自分の胸に手を当てる。
「昔のこと……何も覚えてない?」
初めて。
そのことを意識した。
もちろん。
今までだって。
昔のことを聞かれることはあった。
「小さい頃はどんな子だった?」
「何して遊んでた?」
「幼稚園の時の友達は?」
そのたびに。
露真は適当に答えていた。
覚えていない。
それだけだと思っていた。
でも。
今。
写真を見て。
初めて気づいた。
自分には。
「思い出せない何か」がある。
ただ忘れているだけじゃない。
自分の中に。
ぽっかりと。
何かが抜け落ちている。
「……」
露真は写真を手に取る。
もう一度。
女の子を見る。
茉白。
その名前を指でなぞる。
「……茉白」
口にした瞬間。
胸の奥が。
ぎゅっと締めつけられた。
「……っ」
涙が出そうになった。
「……なんでだよ」
自分でも。
意味がわからない。
知らない女の子。
知らない名前。
知らない男の子。
なのに。
どうして。
こんなに悲しい。
「……私は」
露真は呟く。
「……何を忘れてるんだ?」
返事はない。
静かな教室。
窓の外から。
運動部の声が聞こえてくる。
露真は写真を見つめた。
その時。
「露真?」
突然。
教室のドアが開いた。
「……!」
露真は慌てて写真を隠した。
「何してんだ?」
クラスメイトが入ってくる。
「……別に」
「まだ帰ってなかったのかよ」
「今帰る」
露真は写真を机の中にしまった。
「行こうぜ」
「ああ」
露真は立ち上がる。
教室を出る。
廊下を歩く。
友達と話す。
いつもの日常。
いつもの自分。
だけど。
露真の頭の中には。
さっきの写真が残っていた。
――茉白。
そして。
――海。
その夜。
露真は布団の中で目を開けていた。
眠れない。
「……茉白」
名前を呟く。
すると。
また。
頭の中に何かが浮かんだ。
小さな女の子。
自分に向かって笑っている。
そして。
その隣にいる男の子。
「……海くん」
また。
その声。
露真は飛び起きた。
「……誰だ」
心臓が早くなる。
「私は……」
自分の名前。
露真。
それはわかる。
今の家族。
今の学校。
今の友達。
全部わかる。
でも。
その前は?
「……私は」
言葉が出てこない。
露真は布団を握りしめる。
「……何だったんだ?」
初めて。
自分の過去が怖くなった。
何かがある。
確かに。
自分の中には。
思い出せない何かがある。
でも。
それが何なのか。
まだわからない。
露真は目を閉じた。
すると。
暗闇の中に。
一瞬だけ。
誰かの顔が浮かんだ。
笑顔。
優しい声。
そして。
――「海くん」
「……!」
目を開ける。
誰もいない。
静かな部屋。
露真は胸に手を当てる。
ドクン。
ドクン。
心臓が鳴っている。
「……海」
その名前だけが。
なぜか。
頭から離れなかった。
けれど。
翌朝。
目を覚ました時には。
その声も。
その顔も。
また消えていた。
露真の記憶には。
何も残っていなかった。
ただ。
一つだけ。
胸の奥に残った。
――自分には。
まだ知らない「過去」がある。
その違和感だけだった。




