崩壊
白い天井。
消毒液の匂いが、鼻に刺さる。
機械の音だけが、一定のリズムで響いていた。
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「……茉白」
ベッドの横で、海人は小さく呼ぶ。
その手を、強く握ったまま。
冷たくなりかけた指を、離さないように。
「……起きろよ」
声が、かすれる。
「……約束、しただろ」
返事は、ない。
ただ、静かな時間だけが過ぎていく。
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その時。
「……っ」
指先が、わずかに動いた。
「……!?」
海人が顔を上げる。
「……茉白?」
もう一度、手を握り直す。
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ゆっくりと。
本当にゆっくりと、瞼が開いた。
ぼやけた視線が、天井を映す。
「……っ、茉白!」
思わず声が強くなる。
「大丈夫か……!?わかるか!?俺——」
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茉白は、少しだけ沈黙した。
何かを探すように、視線をさまよわせる。
そして。
ゆっくりと、海人の方を見る。
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「……」
ほんの一瞬。
間があって。
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「……お前、誰?」
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「……え」
時間が、止まった。
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「……何言ってんだよ」
かすれた声で、必死に言葉を出す。
「俺だよ……海人だよ……!」
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茉白は、じっと見つめたまま。
少しだけ眉をひそめる。
「……知らない」
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「……は?」
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「……気持ち悪い」
その一言が、突き刺さる。
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「……っ、なに——」
「……触んな」
握っていた手を、振り払われる。
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「……やめて」
明確な拒絶。
その目には、恐れと嫌悪が浮かんでいた。
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「……なんで……」
言葉が、出てこない。
頭が追いつかない。
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「……誰なの」
小さく、震える声。
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その時。
「どうしました!?」
看護師が駆け込んでくる。
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茉白は、すぐにその方を見て。
「……なんか、ここに変な奴いる」
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「……っ」
息が、止まる。
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「……知らない人が、触ってきた」
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看護師の視線が、海人に向く。
少しだけ警戒した目。
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「……君、少し外に——」
「……待ってください!」
思わず、声を上げる。
「俺は——」
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その時だった。
バンッ、と強く扉が開く音。
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「……茉白!!」
茉白の父が、駆け込んできた。
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「……っ、父さん……」
茉白の声が、少しだけ弱くなる。
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父はすぐに駆け寄る。
「大丈夫か……!?どこが痛む!」
「……わからない」
小さく首を振る。
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「……こいつは」
父の視線が、海人に向いた。
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「……誰だ」
低い声。
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「……知らない」
茉白が、はっきりと言う。
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その一言で、空気が変わった。
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「……おい」
父の声が、さらに低くなる。
「……なんで、お前がここにいる」
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「……俺は——」
言いかけた言葉を、遮るように。
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「……お前」
静かに、名前を呼ばれる。
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「……出てけ」
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「……っ」
息が詰まる。
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「……今すぐ、ここから出ていけ」
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「……でも、俺——」
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「出てけと言っている!!」
怒鳴り声が、病室に響く。
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「……っ」
肩が、びくっと震える。
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「……全部、お前のせいだ」
低く、押し殺した声。
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「……あいつの母親が死んだのも」
「……あいつがこんなことになったのも」
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「……全部」
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「……お前が関わったからだ」
「お前が関わってから、全部おかしくなった」
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「……っ、違っ——」
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「黙れ!!」
強く遮られる。
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「……二度と、近づくな」
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「……茉白に」
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「……お前は、疫病神だ」
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その言葉は、刃みたいだった。
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何も言えない。
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海人は、ゆっくりと視線を落とした。
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ベッドの上の茉白は。
もう、こちらを見ていなかった。
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まるで最初から、知らない人みたいに。
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「……」
何も言わずに、背を向ける。
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一歩。
また一歩。
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音を立てないように、静かに歩く。
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ドアの前で、一瞬だけ足が止まる。
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それでも、振り返らなかった。
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扉が、静かに閉まる。
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その中で。
茉白は、もう一度、ゆっくりと目を閉じた。
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白い病室に、静寂だけが残る。
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——ここから、すべてが変わった。
■現実
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・母の死
・父の崩壊
・娘の記憶喪失
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全部が、
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一度に壊れた。
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■指輪
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ベッドの上。
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小さな、
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シロツメクサの指輪。
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茉白が目を開ける。
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それを見る。
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「……なにこれ」
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それだけ。
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何の意味もないものとして、
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見つめる。
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■外
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病院の外。
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雪。
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海人、立ってる。
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「……」
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何も言わない。
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ただ、
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全部を失ったまま。




