事故
雪が、静かに降っていた。
音を吸い込むみたいに、街はやけに静かで。
吐く息は白く、指先はかじかんでいる。
その冬は、ずっと重かった。
茉白の母が亡くなってから——
家の中も、空気も、全部がどこか沈んでいた。
父はほとんど笑わなくなって、
茉白も、前みたいに無邪気に笑うことは少なくなった。
それでも。
「……寒いね、海くん」
そう言って、隣で少しだけ笑う茉白は、確かにいた。
⸻
放課後の帰り道。
白くなり始めた歩道を、二人並んで歩く。
言葉は多くなくても、隣にいるだけでよかった。
それだけで、ちゃんと“幸せ”だった。
⸻
信号の前で、足を止める。
赤いランプが、ぼんやりと滲んで見える。
「ねえ、海くん」
「ん」
少しだけ、間があって。
「……あのね」
雪が、静かに降り続ける。
「将来、私——」
言いかけて、少しだけ視線を落とす。
そして、意を決したように顔を上げた。
「……海くんのお嫁さんになりたい」
⸻
時間が、一瞬止まった気がした。
「……は?」
海人は、思わず聞き返す。
「……なに言ってんだよ」
照れ隠しみたいに、少しだけぶっきらぼうになる。
でも——
茉白は、まっすぐに見ていた。
逃げずに、揺れずに。
「……だめ?」
小さく、問いかける。
⸻
海人は、少しだけ視線を逸らした。
答えが、すぐには出てこなかった。
こんなこと、考えたこともなかったから。
でも。
隣にいる茉白のことは——
ずっと、当たり前みたいに大事で。
⸻
「……別に」
ぽつりと、呟く。
「……いいんじゃねぇの」
少しだけ間を置いてからの、その言葉。
不器用な承諾。
⸻
「……ほんと?」
茉白の声が、少しだけ明るくなる。
「……ああ」
ぶっきらぼうに頷く。
⸻
「約束ね」
小さく、小指を差し出す。
「……は?」
「いいから」
少しだけ笑って、手を伸ばす。
⸻
「……子どもかよ」
そう言いながらも、海人はその指に自分の小指を絡めた。
ぎこちない約束。
でも、それは確かに結ばれた。
⸻
その瞬間。
信号が、青に変わった。
⸻
「行くぞ」
「うん」
二人は、同時に一歩踏み出す。
⸻
——その時だった。
⸻
「……っ!」
遠くから、異様な音がした。
タイヤが滑る音。
何かが、突っ込んでくる気配。
⸻
振り返るよりも早く。
「海くん、危ない‼︎」
強い力で、体が押された。
⸻
「——っ!?」
バランスを崩して、地面に倒れ込む。
何が起きたのか、理解する前に——
⸻
ドンッ、と鈍い音が響いた。
⸻
「……ま、しろ……?」
ゆっくりと顔を上げる。
そこにあったのは——
信じたくない光景だった。
⸻
雪の上に、赤が広がっている。
白と赤が、混ざり合って。
その中心に、茉白が倒れていた。
⸻
「……茉白!!」
叫びながら、駆け寄る。
抱き起こした瞬間。
長かった髪が、ばさりと崩れた。
切られたように、乱れている。
⸻
「……っ、なんで……」
手が、震える。
血が、指に触れる。
温かいはずなのに、やけに冷たく感じた。
⸻
「……海、くん……」
かすれた声。
茉白が、うっすらと目を開ける。
⸻
「……しゃべんな、今……!」
必死に声をかける。
「……大丈夫だから、すぐ——」
言葉が、続かない。
⸻
「……海くん」
もう一度、呼ばれる。
その声は、どこか遠くて。
「……海くんは」
⸻
⸻
ゆっくり、
⸻
目を開ける。
⸻
⸻
「……死んじゃダメ……」
⸻
「……私、ね……」
途切れそうな息の中で、言葉を紡ぐ。
「……将来、絶対……」
震える唇。
それでも、はっきりと。
⸻
「……海くんの、お嫁さんになる……」
⸻
「……っ、茉白!!」
叫ぶ。
何度も、何度も。
⸻
でも。
その声は——
もう、届かなかった。
⸻
茉白の手から、力が抜ける。
ゆっくりと、瞼が閉じていく。
⸻
「……起きろよ……」
震える声。
「……茉白、起きろって……」
⸻
雪は、止まない。
静かに、静かに降り続ける。
まるで何もなかったかのように。
⸻
——その日。
二人の“約束”は、止まった。




