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ペタペタッ、ペタペタペタペタペタッ
「ひっ!」「なっ!」
もやはあっという間にクセニアの体を駆けあがり、そして頭があると思わしき部分をニタっと笑うかのように大きく開けると、クセニアの首筋を勢いよく噛んだ。
「いだいっ!」
「おい、クセニア!」
「いやっ、なにこの、キモいっ、来んな!!」
首筋に噛みついたもやをはたき落とし、座ったまま体を大きく揺らし髪も振り乱して体を大きくゆらした。
このマノリスの娘クセニアは艶やかな黒い髪と美しい緑の瞳…そう、絹糸のように輝く髪と翡翠のような玉石色の瞳をもっている。
おそらくとても大事に…我儘に育てられたのだろう、食事や手入れが行き届いた髪には輝く光があり、若く健康な瞳は澄んだ泉のように麗しい。エニよりもよっぽど好まれる美しい髪と瞳の持ち主だ。
もやからみれば生贄として不足はない。条件さえ合っているのならどちらでも…いや願い主の娘の方が価値があると言えるのかもしれない。僕は彼じゃないから正確なところは判らないけれど。
目の前で親子がもやを追い払おうと手足をはためかせ、身をよじって床を転げ、周囲に火の粉を飛ばしながら松明を振りまわしている。
「い、痛っ、なによ、何なの、もう、散々だわ!」
「だ、大丈夫かクセニア、立てるか?」
埃まみれで這いつくばって身を起こそうとしたクセニアに手を差し伸べるマノリスよりも早く、もやはクセニアの首筋に再びしがみついて離れず、大きく口…のようなものを開けて更に齧り付いた。
「ひいっ、い、いっ、いやあーーーーーー、いだぁーっ!」
「お、おい、クセニア?クセニアッ!?」
クセニアは立ち上がろうとすることはかなわず、体勢を崩してしまい派手に転げてしまった。その勢いでも首筋にかじりついたもやはしっかりと張り付いていて離されることは無かった
マノリスは持っていた松明を放り出し、クセニアに駆け寄り抱え、腰から革袋をはずし、短剣を取り出すと革袋を投げ捨て、刃を鞘から出す手間も惜しんだのか鞘ごともやを切り裂こうと叩き落とそうと振り回した。
ドサッ、ヒュッ、ヒュッ、スッ
もやは振り回される短剣を器用に避けた。クセニアには当たらないように気を使っているせいか、動きや勢いが弱いからだろう。短剣がもやにあたることは無く、もやはクセニアにしがみついたままさらに噛みつき食い破ろうとしている。
ガブッッッ、、ガヂュグチュッ!
「いやっ あっあっ、痛いっ、いっいっいだぁ、やっやっやめ゛でっ」
「クセニアッ、おい、やめろっ離れろっ!」
「おい、おまえら、だれか、村から人を呼んで来い!大商隊の商人たちもだ!」
カチャンッ!
マノリスはそう叫び命令し、短剣では埒が明かないと思ったのか短剣をそれを投げ捨て、クセニアにしがみつくもやを引きはがそうと掴むがうまくつかめず何度も手を空振りさせている。
その動きはクセニアの首筋から胸元がどんどん赤く染まっていく事を、止めることは出来なかった。
パチ、パチッ……
放り投げられた松明の炎が藁束に引火し燃え始めた。見ればあちこちがくすぶりはじめている。あんなに火の粉を散らして松明を振ったのだ。小屋のあちこちに舞った火の粉が乾いた木くずを燻ぶらせ始めている。
バサッバサッバサッ
ピルルピルルピルル、ピルー、
頭上では使い鳥達が一層激しく鳴いている。
いつもより緊張感ある鳴き声にどうしたのだろうと何事だろうと耳を澄ませると、小屋の外からパチッパチッと何かがはぜる音がし、より注意深く気付くとなんだか焦げ臭い。
小屋の外を…扉口の方を見ると先ほどまでいたはずの腰を抜かしていた村人たちはいなかった。マノリスに命令されたからというよりも、作業小屋の中の様子のおかしさに気付いて慌てて逃げ出したようで、火が付いたままの松明が一つ放り捨てられていた。それは運悪く枯れ草を巻き込み炎の勢いを強めている。
外の火元はこれか。
暗がりの向こうには残りの松明をもって村へと向かう何人かの姿が見える。ここに留まって騎乗に時間をかけるよりも自分の足で逃げることにしたのだろう。
柵に手綱をくくり付けられたままの馬たちが、逃げる事も叶わず落ち着きを失くしている
この炎が小屋に燃え移るのは時間の問題だろう。
ピルッピルッピルー、ピルル、ピルッピルー
屋根の上で使い鳥がもう帰ろうと鳴いている。そうだ、僕たちはもうここに用なんてない。
「もう彼らに僕たちを気にする余裕はないだろう。」
僕はエニに小屋奥の惨状を見えないようにしてゆっくり引き離し、小屋を出ようと促した。
「エニ、とにかくこの小屋から出るよ。目を閉じてなるべく息をしないように、いいね?」
「うん、わかった。でも…。」
「でも?」
「お母さんの布とお父さんの短剣が…。」
「わかった、落した石の回収ついでにそれらを拾って持って行こう。」
「あ、ありがとう。」
エニは自分でしっかり目を閉じてヴィスルにしがみついた。
血だらけのクセニアを抱え喚き叫んでいるマノリスを横目にこぼれた石を回収し、エニの父の形見…先祖代々受け継がれてきたという短剣とついでに投げ捨ててあった革袋、母親の形見でもある肩掛け布と髪飾り…これは包んであった籠ごとを持って素早く小屋を後にした。
そして外で一息つこうとした時
「いやっ、いだっ、いだーーーーーーーっ!」
小屋の中からクセニアの悲鳴─恐らく最期の─が響き渡った。
「クセニア、クセニア!?」
「あ…あ、ど…じ……で」
コフッ、カフ、ヒュー…ヒュー…
クセニアはもう声すら満足に出せない様で、息もままならなくなっている
僕は外から小屋の中に残っている親娘ともやに少しだけ見入ってしまった。
「“望みを叶える”………か。」
望んだ親娘と叶える彼。
あの親娘は信者でもないのに、と思ったけれどそれは僕も同じだ。
たった数日前に知ったエニの祈りでさえ、こんなにも自分を心地よく高揚させる。
彼はきっととても長く人々とのかかわりを持ち、数多の人の信仰を集めていた偉大な神だったのだろう…。
神にとって信仰は力になる。その力をより強く求めたからなのか、その信仰を捧げた者たちへの感謝の証として願いを叶えたかったのか、その身の在り方を変容させてまでも…。
マノリスが血まみれのクセニアを抱きかかえ、大声で何かを罵り叫んでいる姿を冷めた目で見ながら、何となく後者なんだろうなと僕は思った。
彼らを捨て置いて、拾う物を拾い持ち出すものを持ち出せたことにひとまずほっとしていると、作業小屋の外壁の一部を炎が焦がし始めており、本格的に小屋が燃え始めるのも時間の問題に思えた。
そんな状態の小屋の中からは、マノリスが叫ぶ声が聞こえた。クセニアを呼ぶ声ではなく、恫喝のような声だ。
「ああ、ああ、クセニアの代わりに金を寄こせ、ありったけの金貨だ!財宝を寄こせ!いいな、わかったな!」
外からは決して見えないはずのもやが、無いはずの顔で薄く笑っている気がした。
覗き込んではいけない、あの禍々しい神だったのかもしれないモノに近付き過ぎると、あちらに引きずり込まれてしまいそうだ。
背筋が凍る、というのはこういう事か。
一刻も早くこの場所から離れなければ。
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