星喰い(ヴォイド)の孵化
月面王宮「ルナ・パレス」は、崩壊の最中にあった。
女王セレーネとの「解釈違い戦争」は、和解(という名のオタク仲間入り)によって幕を閉じた。
だが、その余韻に浸る間もなく、月全体を揺るがす異常事態が発生していた。
ズゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
足元の床が、いや、月の大地そのものが、内側から悲鳴を上げている。
爆発の振動ではない。もっと深く、星の芯から湧き上がるような、重苦しい胎動。
「……ッ!?なんだ、この揺れは!?」
アルトが体勢を崩しかけ、鉄パイプを杖にして踏ん張る。
隣でへたり込んでいたセレーネが、青ざめた顔で床に耳を当てた。
「まさか……嘘だろ?早すぎる……!」
「おい新入り(支店長)。何が起きている?」
「『星喰い(ヴォイド)』だ……!我々の祖先が恐れ、地下深くに封印し続けた、滅びの神が目覚めようとしている!」
ドォォォォォォォォォン!!!!!
セレーネの言葉を証明するように、王宮の中庭が爆ぜた。
巨大なクレバスが走り、そこから「七色の光」が噴出する。
噴煙の中から、ゆっくりと、だが確実に、それは姿を現した。
美しくも、おぞましい姿。
半透明のクリスタル――いや、もっと不安定なものだ。
高密度のエネルギーが凝縮され、半流動体(スライム状)の白光を放ちながら、巨大な「根」のような触手がうねっている。
それは一本、また一本と、月面を突き破り、宇宙空間へと伸びていく。
【TargetID:VOID(StarEater)】
【Status:Awakening(孵化)】
「あ……あぁ……」
セレーネが、ガタガタと震えだした。
彼女の顔から、先ほどまでの熱狂が消え、絶望的な恐怖だけが残る。
「終わった……。奴は星のエネルギーを喰らい尽くすまで止まらない。……この月は、砕け散るぞ!」
ヴォォォォォォン……♪
その怪物は、鳴いた。
物理的な空気振動ではない。魔力波による、直接脳に響く歌声。
それは悲痛で、どこか切なく、聞く者の精神を削り取るような旋律だった。
「ひぃぃっ!『滅びの詩』だ!聞くな!魂が吸われるぞ!」
セレーネが耳を塞いでうずくまる。
だが。
アルトとセレスだけは、その歌を別の意味で捉えていた。
「……滅び?違います」
セレスが、不思議そうに空を見上げる。
彼女の目には、怪物の殺意は見えなかった。
「これは……『泣き声』です」
「ああ。……それも、迷子のガキが親を探すような声だ」
アルトは懐から「ベリアルの義眼」を取り出し、解析データを睨みつけた。
ヴォイドの触手は、無差別に暴れているのではない。
すべての先端が、ある一点――頭上に浮かぶ「青い星(地球)」だけを向いている。
「こいつ、腹が減ってるだけじゃねえ。『帰りたがってる』んだよ」
ヴォイドは、元々地球に寄生していた生命体だ。
かつて古代人が月へ逃げた際、その「卵(胞子)」が付着し、この不毛な大地で飢えながら孵化を待っていたのだろう。
セレスの歌(Ep.40)が地球まで届き、地下の「親」が覚醒したことに呼応して、こちらも目覚めたのだ。
「でも、どうして急に暴れ出したんでしょう?」
「腹が減ってるからだろ。……赤ん坊が泣き叫んでるのと一緒だ」
アルトは舌打ちし、セレスの肩を叩いた。
「それに、ちょうどいい」
「え?」
「俺たちは今、地球へ帰るための『強力なエンジン』を探していたところだろ?」
アルトは、暴れるヴォイドを指差した。
「あいつは地球に帰りたがってる。俺たちも地球に帰りたい。……利害は一致してるじゃねえか」
セレーネが顔を上げる。
「な、何を言っている……?まさか、あの怪物を……」
「捕獲する。……要塞に直結して、ブースター代わりになってもらうぞ」
神を、エンジンにする。
その発想の冒涜的かつ合理的な飛躍に、古代人の常識が追いつかない。
「しょ、正気か!?あんなエネルギーの塊、触れただけで蒸発するぞ!それにどうやって捕まえる!」
ズゥゥゥン……!
ヴォイドの巨大な触手が、王宮の塔を薙ぎ払う。
触れた物質が、飴細工のようにねじ切れ、吸収されていく。
物理攻撃も魔法も通じない、宇宙的災厄。
だが、その時。
アルトの背後から、小さな影がゆらりと進み出た。
月兎族の用心棒、ラビだ。
彼女は愛用の巨大な杵を引きずりながら、うっとりとした目でヴォイドの触手を見つめていた。
「……ん。……すごい」
ラビが、口元からツーっと涎を垂らす。
「白い。……とろとろ。……すごく、よく伸びる」
彼女の目には、世界を滅ぼす怪物が映っていない。
映っているのは、半流動体で輝く、宇宙最大級の極上素材――「つきたてのお餅」だ。
「ちょ、ラビさん!?何を言ってるの!?」
「……つき甲斐が、ある」
ラビは聞く耳を持たない。
彼女は杵を構え、バーサーカーのように跳躍した。
「――いざ、餅つき」
「待て貴様!あれは神だぞ!?食材ではない!!」
セレーネの制止も虚しく、ラビは空中で重力制御を発動。
杵のヘッド部分に、ブラックホール級の重力を圧縮させる。
「――ぺったん(物理圧殺)」
ズドォォォォォォォォォン!!!
ラビの杵が、ヴォイドの触手のど真ん中に叩き込まれた。
空間が歪むほどの重圧。
光の粒子となって霧散しかけていた半流動体の触手が、物理的に「伸された」。
『ギ、ギャオッ……!?』
怪物が悲鳴を上げる。
神話級のエネルギー体が、餅のように平べったく伸びて、地面に張り付いている。
「……ん。いい粘り腰」
ラビは満足げに頷き、さらに追撃の構えを取った。
ドスン!ドスン!
惑星を砕くはずの触手が、職人技のリズムで叩かれ、こねられ、無力化されていく。
「……ひっくり返す。……手水、お願い」
ラビが杵を振り上げた瞬間、無意識にそう呟いた。
餅つきにおいて、杵が餅にくっつかないよう、タイミングよく水を打つパートナーが必要不可欠だ。
「だ、誰がやるかァァァッ!!」
セレーネがツッコむ。
だが、彼女の体は長年の「リズムゲーム(地球からの漂着物)」で培われた反射神経によって、勝手に反応してしまっていた。
「(いかん!ここで水を打たねば、コンボが途切れる……!)」
オタク特有の、完璧なリズムへの執着。
セレーネの手が勝手に動き、水属性魔法を詠唱していた。
「ええい、ままよ!……喰らえ、『聖水スプラッシュ』!!」
バシャァッ!!
絶妙なタイミング。
ラビが杵を上げたコンマ数秒の隙間に、セレーネの放った水魔法がヴォイドの表面を潤し、粘つきを抑えた。
「……ん。ナイスアシスト」
「くっ……!なぜ体が勝手に……!屈辱だ……!」
ラビとセレーネ。
物理最強と魔法最強による、奇跡の餅つきコラボレーション。
ドスン!(杵)バシャッ!(水)ドスン!(杵)バシャッ!(水)
その完璧なリズムに、ヴォイドは抵抗する術もなく、ただ美味しく練り上げられていく。
「……ははっ。頼もしい社員だ」
アルトは爆笑し、通信機を取り出した。
「見たかセレーネ!神だろうが何だろうが、物理で殴れば凹むんだよ!」
「物理の概念がおかしいだろ!!」
「つべこべ言うな!そのまま押さえ込んで『殻』を割るぞ!月光蛾を使え!」
アルトは、呆然とするセレーネの背中を叩いた。
「初仕事だぞ、支店長。……俺たちの『推し(世界)』を守るために、一肌脱げよ」
セレーネは、餅つきをするラビと、ニヤリと笑うアルトを交互に見た。
そして、涙を拭い、決意の表情で叫んだ。
「……ええい、もう知らん!やってやる!……勘違いするなよ、にわかオタク!これは『共同戦線』だ!」
「交渉成立だ。……行くぞッ!!」
アルトが通信機に叫ぶ。
「総員、戦闘配置!……ターゲットは星喰いヴォイド!殺すなよ!『生け捕り』だ!」
アルト商会、月面編最終ミッション。
神話級の怪獣を相手取った、史上最大規模の「餅つき大会(捕獲作戦)」が始まった。
「……ん。いい餅になった」
ラビが、完全に伸びきって動かなくなったヴォイドを見下ろし、満足げに杵を置いた。
そして、空に浮かぶ地球(青い月)を見上げて、ポツリと言った。
「……これ、お供え(鏡餅)にする」
「やめろ!罰が当たるぞ!!」




