アイドルは、電子の女神(偶像)です
「極彩色のインク」と「光る植物」によって、月面商業ギルドの精神は崩壊した。
指揮系統が麻痺した隙を突き、アルトたちは悠々とギルドの中枢――「古代緊急放送タワー」を制圧した。
「よし、回線確保。……全月面への強制接続、完了だ」
タワーの最上階、管制室。
アルトは、無数のモニターに囲まれながら、マイクのスイッチを入れた。
「社長、本当にやるんですか?……こんなことで、戦争が終わるなんて」
セレスが不安げに尋ねる。
彼女の目の前では、シスター・ワンがカメラの前に立ち、ポーズを決めていた。
ただし、その姿はいつものメイド服ではない。
ホログラムで装飾された、ヒラヒラの「アイドル衣装(魔法少女風)」だ。
「終わらせるんじゃない。『変える』んだよ」
アルトはニヤリと笑った。
「上層の貴族どもは、感情を抑制して数千年生きてきた『干物』だ。……そんな連中に、とびきり刺激の強い『劇薬』をぶち込んだらどうなると思う?」
「えっと……ビックリする、でしょうか?」
「いいや。『依存』するのさ」
アルトが指を弾く。
「配信開始!……世界を『萌え』で焼き尽くせ!!」
・ ・ ・
その瞬間。
月面全土――スラムから上層の神殿区画まで、あらゆるスクリーンとホログラム装置がジャックされた。
『――こんワンわ~♪電子精霊のワンちゃんです!』
映し出されたのは、地球のサブカルチャーを煮詰めたような、極彩色の美少女。
大きな瞳、猫耳、そしてあざとい仕草。
無菌室のような月面世界には存在し得ない、「過剰な愛嬌」の塊。
「な、なんだこれは……!?」
「人が……箱の中に入っている……?」
上層エリア。
先ほどの色彩テロルを窓から眺めていた貴族(古代人)たちは、突然切り替わった映像に釘付けになった。
彼らは長命種ゆえに、娯楽を捨て、静寂と瞑想のみを尊んできた。
そんな彼らの前に現れた、未知の生命体。
『今日はぁ~、この「レトロゲーム」をやっていきまーす!』
画面の中の少女が、コントローラーを握る。
プレイしているのは、義眼のアーカイブにあった単純なアクションゲーム(死にゲー)。
キャラクターが穴に落ちて死ぬ。
『あーん!死んじゃったぁ~!……でも、リトライ!』
ただそれだけの映像。
だが、感情を失いかけていた彼らにとって、コロコロと変わる彼女の表情は衝撃的だった。
怒り、悲しみ、そして喜び。
生の感情の奔流が、彼らの乾いた心に染み込んでいく。
「……可愛い」
「なんだ、この胸の痛みは……?守ってあげたい……!」
ザザッ……ザザザッ……!
その時、映像が乱れた。
不快なノイズが走り、ワンの声が途切れる。
「チッ、来たか!」
アルトが舌打ちする。
ギルドの残党が、非常用回線を使って「妨害電波」を仕掛けてきたのだ。
強力なホワイトノイズが、配信データを物理的に遮断しようとする。
『あ、あれ?皆さーん?見えてますかー?』
画面の中のワンが焦る。
貴族たちが動揺する。
せっかく灯った感情の火が、ノイズによって掻き消されようとしていた。
「クソッ、出力が違いすぎる!機械的な信号じゃ、ギルドの出力を突破できねえ!」
アルトがコンソールを叩くが、ノイズ率は上昇する一方だ。
このままでは配信が落ちる。作戦失敗だ。
その時、アルトは横に立つセレスを見た。
「……セレス」
「は、はい!」
「機械がダメなら、『生身』だ」
アルトは、セレスにマイクを突きつけた。
「歌え。お前の声を、魔力に乗せて直接叩き込め!」
「えっ!?私がですか!?」
「お前の『聖女の祈り』は、ただのデータじゃねえ!人の魂に響く『波長』だ!……ジャミングごときで消せるもんか!」
だが、それは危険な賭けだった。
ジャミングの中で無理やり魔力を通せば、その負荷はすべて術者であるセレスに跳ね返ってくる。
回路のショート。神経へのバックラッシュ。
「……やります」
セレスはマイクを握りしめた。
迷いはなかった。
彼女は、深呼吸をし――静かに、歌い始めた。
♪――――――
それは、歌詞のない、純粋な旋律。
かつて廃棄場で、絶望の中で口ずさんでいた、祈りの歌。
透き通るようなソプラノが、ノイズの海を切り裂いていく。
キィィィィン……!
マイクがハウリングを起こす。
ジャミングとの衝突。
セレスの体に、目に見えない衝撃が走る。
「ぐっ……!」
バチッ、バチチッ!
彼女の白い肌に、赤い亀裂が走る。
魔力回路が過負荷で悲鳴を上げ、毛細血管が破裂しかけているのだ。
ヒュオオオオオ……!
その瞬間、彼女が纏う「天女の羽衣(5億のドレス)」が眩く輝いた。
絶対零度の冷気が、セレスの体を包み込む。
沸騰しそうになる血液を、ドレスが必死に冷やし、命を繋ぎ止めている。
「(熱い……!ドレスが凍りそうなほど冷やしてくれているのに、体の奥が焼けるよう……!)」
セレスは歯を食いしばる。
ドレスがなければ、とっくに灰になっていただろう。
だが、ジャミングを押し返すための出力は、神話級の冷却性能をも凌駕し、血管を内側から食い破ろうとしていた。
ゴホッ!
喉から、鉄の味がせり上がってくる。
唇の端から、一筋の鮮血が流れ落ちた。
「(負けません……!)」
セレスは、吐き出されそうになる血を飲み込み、さらに声を張り上げた。
痛い。熱い。
けれど、この歌を届けなければ。
あの、心を石に変えてしまった人たちに。
――ザザッ……ザ……♪
ノイズが、晴れていく。
機械的な妨害電波が、セレスの「魂の波長」によって物理的に押し流されていく。
「……聞こえる」
「歌だ……。女神の、歌だ……」
上層エリアのスクリーンに、再び映像が戻る。
そこには、笑顔で手を振るアイドル(ワン)の姿と――
その横で、ドレスを赤熱させ、口元から血を流しながら、必死に歌い続ける聖女の姿が映し出されていた。
「……あ」
一人の老貴族が、その姿を見て杖を取り落とした。
可愛いだけじゃない。
あの子は、血を流している。
自分たちに声を届けるために、命を削って歌っている。
「ああ……。これは『痛み』だ」
貴族が、自分の胸を押さえて涙を流す。
「彼女は、我々のために痛みを引き受けている……!我々の干からびた心を癒やすために、自らの血を流しているのだ!」
その衝撃は、アイドルの愛嬌を超え、原初の信仰へと昇華した。
偽物は機械に頼るが、本物は血を流して魂に響く。
その痛々しくも神々しい自己犠牲の姿が、貴族たちの精神を蝕んでいた「鉱石化(心の石化)」を、劇的に溶かし始めたのだ。
「捧げよ!女神に供物を!」
「死なせるな!私の財産を使ってくれぇぇ!」
チャリン、チャリン、ドササササッ!!
放送タワーの管理口座に、通知音が爆発的に鳴り響く。
そして、タワーの入り口には、配送ドローンによって運ばれた物理的な「供物」が山積みになり始めていた。
【Donation:10,000,000Credits】
【Gift:古代魔導具「賢者の石」】
【Gift:土地権利書「第3クレーター全域」】
コメント欄が、狂気じみた速度で流れ始める。
『我ガ命、捧ゲマス』
『歌ヲ止メルナ!』
『尊イ……尊イ……浄化サレル……』
「……ははっ。やりやがった」
アルトは、モニターを埋め尽くす狂気と、血を流しながらも歌い続けるセレスを見て、震える手でコンソールを叩いた。
「見ろセレス!金の雨だ!……お前の歌が、世界を買収したんだ!」
歌が終わる。
セレスは膝から崩れ落ちた。
アルトが慌てて支える。ドレスの熱は冷めていたが、彼女の顔色は蒼白だった。
だが、その顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
「社長……。届き、ましたか……?」
「ああ。……一番高い席まで、届いたぜ」
アルトは、タワーの入り口に積み上がった宝の山をモニターで確認した。
金貨、宝石、権利書。
その中に、一際異彩を放つアイテムが混ざっているのを、彼の義眼は見逃さなかった。
「ん?アレは……『超高純度クリスタル・レンズ』に、『大容量記憶媒体(古代メモリ)』か?」
それは、ただの換金アイテムではない。
次なる強敵――「女王セレーネ」や、その先の「帰還作戦」で必要になりそうな、戦略級のレアパーツだ。
「へっ。……いいもん持ってるじゃねえか、金持ち共」
アルトはニヤリと笑った。
月面商業ギルドは崩壊した。
彼らの資金源だった貴族たちが、こぞってアルト商会に資産を移してしまったからだ。
「さあ、女王陛下。……国民全員が『俺の信者』になっちまった気分はどうだ?」
アルトは、最上層の王宮を見上げる。
そこには、まだ沈黙を守る「最後の敵」がいた。




