第十九話 二度あることは三度ある
九月十四日の夜から、織田・足利軍の撤退が始まった。後詰として、三好義継殿と松永久秀殿は各々の所領に戻って、本願寺や三人衆が再び動いても大丈夫なようにした。義昭様は、ここで三好三人衆を壊滅状態に追い込むことが出来なかったことに怒りを表していたそうだが、浅井と朝倉が京を狙っているという知らせを聞いてからは一転、織田軍の迅速な対応に感謝していたそうだ。織田家にとっても、京を他家に奪われることは、当然デメリットしかないので、自分たちのために動いているような状況というのは、口が裂けても言えなかったが。
一見、誰にも追われていないのに、京に急いで戻る様子を、後世では中国大返しのように名前を付けられるのだろうか。
十五日の早朝に、織田・足利両軍は京に戻ることが出来た。束の間の休息を取った後、その夜、森様が布陣している近江の坂本へ向かった。坂本の手前の宇佐山城という城で、森様の家臣の各務元正殿に現状を確認して、いよいよ森様が戦っている坂本に着くことが出来た。
「敵は、まさか儂らが攻撃するとは思っていなかったからか、浮足立っているぞ!もう少しだけ頑張るぞ!」
いた。森様は、槍を一生懸命振りながら、味方を鼓舞している。そんな中、信長様は森様に近付いていく。
「三左!戦況はどんな感じだ?」
今、声を掛けますかね?というタイミングで、信長様は森様の肩を叩きながら話しかける。
「の、信長様!?摂津に出ていたはずでは!?何故、ここに?」
当然、森様も困惑している。ただ、それ以上に浅井・朝倉勢の顔色も青くなっていく。
「の、信長だと!?何故今、近江にいるのだ!?」
「す、すぐに義景様と長政様に報告じゃ!皆、一旦退け!」
その言葉の通り、浅井・朝倉軍は、森様が、信長という二文字を言っただけで、顔色が悪くなって退却していった。結果論には、なってしまうけど、信長様が声をかけたタイミングは間違っていなかったようだ。深追いをせずに、全軍が退却するのを確認してから、信長様は続きを話し始める。
「嫌な予感がしたからな。すぐに三好と和議を結んで戻って来ただけだ」
「本当にありがとうございます。このまま三日ほどは持ったと思いますが、予想より多く浅井と朝倉も兵を集めて来ていたので、助かりました」
「礼は俺に言うな。孫四郎に言ってくれ」
「何と、その歳でまた功を立てたのか。孫四郎は何でも出来るのですな」
「そ、そんなことないですよ。私は、森様みたいに、武功を立てることは出来ませんから……ですが、その代わりに、半兵衛先生から学んだことを、実戦で活かしているだけです」
「そのような謙虚なところも、素晴らしいですな。我が息子たちにも、孫四郎を見習ってもらいたいものだ」
そこまで褒められても何も出てこないけど……素直に嬉しい。
「忠三郎や久太郎とは違い、孫四郎は後のことを考えていつも行動してくれているからな。俺もいつも助かっている」
「そんなに、褒め殺さないでください!」
「それでいて、たまに人間らしい反応も見せてくれるからな。三人の中で、一番面白い」
「それは、久太郎さんや忠三郎さんに失礼ですよ」
「否定はしないのだな」
「あ……」
べ、別にそんなこと微塵にも思ってないですからね!
浅井・朝倉軍は比叡山に籠城を開始した。これに対し、織田軍も佐久間信盛様と足利家から援軍としてやって来た明智光秀殿を中心に、比叡山を包囲した。しかし、この状況が変わらないまま、戦闘開始から一ヶ月が経過してしまった。この間、伊勢長島で一向一揆が発生したり、六角勢も挙兵し、再び信長様は窮地に立たされていた。
「顕如が言っていたのは、この事だったのか。彦七郎は無事だろうか」
彦七郎と言うのは、信長様の弟の信興様のことだ。
「滝川一益様も、桑名で籠城しているとのこと。ですが、この状況で、動くわけには行きませんからね……」
「殿、朝倉義景に決戦を行いたい旨を伝えましたが、断られました……」
「義景め、金ヶ崎や姉川でもそうであったが、やはり自ら動こうとはしないな」
「長引けば長引くほど、我らが不利ということを理解しているのかもしれません」
「だが、それは向こうも同じこと。ここで退くわけには行くまい」
そうか。長引けばもうすぐ冬となり、朝倉軍は越前に帰れなくなるかもしれない。本当はお互いに退いて欲しいと思っているんだ。
十一月に入った。南近江で挙兵した六角勢は、秀吉様や丹羽様が対応してくれたおかげで、和議を結びたいと申し出があった。六角家は城が無くても何度でも立ち上がるのだから、本当に恐ろしかったけど、思っていたよりも徹底抗戦する構えは見せなかったので少しホッとしている。
しかし、伊勢長島一揆軍は、二十一日に、信興様を尾張国古木江城に追い込み、自害させたそうだ。信長様は、この知らせを聞いた時、大声で咽び泣いていた。無理もない。弟が一揆軍に追い詰められて殺されたのだ。僕が、信長様の立場だったとしてもこうなっていたと思う。
十一月二十五日に、堅田水軍の猪飼昇貞・居初又次郎・馬場孫次郎という三人が織田方に寝返った。これを好機と見た信長様は、姉川で嫡男を失った坂井政尚様を、堅田の防備を固めるために送った。だが、それが仇となったのだ。翌二十六日に、朝倉軍が堅田に押し寄せ、坂井様は討死してしまった。
「政尚まで失うとは……数が少なかったのが行けなかったのか?」
「こうなることを見込んでいた朝倉軍にやられましたね……」
「これ以上、包囲を続けても勝てるとは限らんな。仕方がない、義昭殿と朝廷に仲介を依頼するか」
朝廷が動けば、浅井と朝倉も退かざるを得ないと踏んだわけか。信長様からしたら、最終手段というわけだ。浅井長政殿は三度、信長様を追い詰めたことになる。まだまだ、浅井家との戦いは終わらなさそうだ。
十二月十三日、朝廷と足利義昭様の仲介もあり、朝倉義景は和議を承諾してくれた。予想通り、朝倉軍の中でも、雪が積もる前に帰国したい声が多かったそうだ。もし、朝倉軍がそれでも残ると言っていたら、どうなるかとヒヤヒヤしていたけど、無事に年内にこの戦いが終わって良かった。翌十四日には、両軍完全に坂本・比叡山から撤退を完了させた。何とか、今年の年末も岐阜で過ごすことが出来そうだ。
★浅井長政
小谷城に帰城した。三ヶ月ぶりに帰ってきたが何故だろう、全く安心出来ないのだ。
空はすっかり暗くなっている。気分転換に、夜風にあたるか。
「ここにおられましたか、父上。お帰りなさいませ。お風呂が沸いていますよ」
「ただいま、万福丸。茶々と初は元気か?」
「はい。二人とも幸せそうに寝ていましたよ」
万福丸は、市との間に出来た子ではない。だが、二人の妹の面倒をよく見てくれていると市によく感謝されている。それに、こんな言い方をしたら、前世では……今でも怒られるが、彼は男なのに、家事が得意なのだ。どこかの大名家に仕えたとしても、その腕があれば、何とか生き残れるかもしれない。
「万福丸ももう七つか。来年には八歳になっているのか。随分大きくなったものだ」
「もっと大きくなったら、父上の服を直せるように頑張ります!」
この子には、戦国時代は似合わないのかもしれない。どうにかして、この子も史実通りの末路を迎えないようにしなくては。
「もう、遅いから先に寝ていなさい。父は風呂に入ってくる」
「はい。お休みなさい、父上」
万福丸はニコニコしながら自室に戻っていった。あの笑顔を守るのが、今の俺の役目かもしれない。
風呂から上がり、寝所に入る。
「ただいま、市。義兄上にまた負けたよ」
「まるで、最初から負けることが分かっていたような言い方ですよ」
「義景様は、最初から本気で信長を倒そうと考えていなかった。全て、浅井に押し付けるような形で擦り付けてきたことに、思わず怒鳴ってしまったよ。あれでは、義兄上に和睦の結ぶ準備時間を与えただけだ」
「それでも、長政様は兄上を三度追い詰めた。その事実には変わりません」
「俺たちだけでも降伏しようか?……何て出来たらどれほどよかったか。そんなことしたら俺のために一生懸命戦った皆に示しがつかないからな」
「仲間思いのいい殿方に出会えて、市は幸せです」
「俺も、ここまで付いてきてくれて本当にありがとな。これからも……よろしくね」
市からの返事を待っていたが、先に寝てしまったみたいだ。俺が帰って来るまで、中々寝れない日が続いていたのだろう。大丈夫、何があっても、最後の日まで俺が君を守るから。
☆
十二月二十九日、大晦日が翌日という中、信長様から、森可成様に呼ばれていると言われたので、指示された茶屋で待つことにした。森様は、沢山の子供を連れて茶屋にやって来た。
「待たせたな」
「お久しゅうございます、森様。今日は息子さんたちとの顔合わせですかね?」
「まあ、そんなところだ」
「だとすると、森様という呼び方じゃ不自然ですかね。信長様の呼び方に倣い、三左様と呼んでもよろしいですか?」
「出た。殿からも聞いていたが、お前の独特な呼び方だ。ただ、そう呼ばれても悪い気はしないな。いいぞ」
「仲良くさせて頂きたい方とは、愛称みたいな感じで呼び合う関係になりたいなと思ってます。これからも、よろしくお願いします」
「そう言ってもらえて、儂も嬉しいぞ。あ、子供たちの紹介をしていなかったな。次男、勝蔵長可。まだ、初陣を終えてないが、先日の金ヶ崎で可隆が討死したこともあり、急遽元服させた。忠三郎の二個下だから、お前とも上手くやれると思うぞ」
「武働きでは、誰にも負けないと思っています。これからよろしくお願いします」
「忠三郎さんの二個下ということは、私より年上なのですから、敬語を使わなくても大丈夫ですよ。こちらこそ、よろしくお願いします」
「こんな風に、孫四郎は織田家の中でも変わり者だから、多少礼儀がなってなくても、許してやってくれ」
「むしろ、父上や俺よりも孫四郎殿の方が礼儀がなっていると思いますが」
「それは、そうだな。その下が、三男、蘭丸。孫四郎の三つ下だ」
「こ、こんにちは!」
緊張しているのかな?蘭丸ってもしかしなくても、森蘭丸だよね。数えで六歳とはいえ、この子は美男子だと思う。可愛すぎる。人によっては、恋をしてもおかしくないと思う。
「こんにちは。……こう言ったら失礼ですが、三左様と蘭丸だと顔立ちが全然違いますね」
「長可は俺に似ているが、蘭丸は母親に似ていると思う。……もしかして、気に入ったのか?」
「可愛いです。とても、戦国の世には勿体ない可愛さだと思います」
「蘭丸は、信長様の小姓にいずれなる予定だったが……お前の家臣にしてもいいぞ?」
流石に、それは色々な意味で申し訳ない。
「い、いえ、私はまだ城どころか領地すら持っていないので、今はお断りしておきます」
「今はって……欲しいのか、そんなに蘭丸が」
「心労が溜まった時に、この子を見て癒されたいなとか」
「良かったな、蘭丸。いるだけで、このお兄ちゃんは金をくれるってさ」
「そ、そんな悪い言い方しないでください!でも、この子はどんな状況でも、周りに人を和ませると思いますよ」
「孫四郎にそこまで言わせるとは。もしものことがあったら、蘭丸の面倒を見てやってくれ。後は、四男の坊丸、五男の力丸だ。蘭丸から見て、それぞれ一つ、二つ離れている」
「わざわざ、今日会いに来てくれてありがとね。孫四郎って名前で覚えてね」
「この子たちには、興味ないのか?」
そんなこと、思ってないけど……あ、対応の差か。
「興味ないわけじゃないですけど……」
「まあ、言おうとしていることはわかる。すまんな、変な質問をして。……ちなみに、もう一人いるが、まだ生まれたばかりだから今日は連れてきていない」
「皆さん、将来が楽しみですね」
「それはもう。……これで、万が一儂が死んでも大丈夫だな」
どういうことだろうか?と思っていたら、いかんいかんと三左様が首を横に振っていた。
「今の話は忘れてくれ。とにかく、今後は息子たちのこともよろしく頼む」
「わ、わかりました。いつか、一緒に織田家で働ける日を楽しみにしています!」
さっきの言葉が気になるけど……考えすぎだろうか。気にするなと言われたのだから、気にした方が失礼かな。
史実では、本格的な坂本の戦いは、元亀元年九月十九日に行われました。しかし、この世界では、主人公が未来を少しだけ知っていた(また、行われた時期を勘違いしていた)こともあり、森可成は、この段階では生き残ることが出来ました。浅井・朝倉軍も、織田軍が僅か二日で大坂から近江の坂本まで駆け付けたことに動揺したのか、この世界では十九日の戦闘は行われていません。
但し、主人公が覚えていたのは、森可成がこの戦いで討死すること。それを阻止できたこともあって、その後の展開を読まずに、戦いを長引かせない方法を模索する方法を考えることしかしていませんでした。なので、伊勢長島や堅田の戦いを回避することは本作では難しかったと思います。もっとも、伊勢長島は近江から離れていることもあり、直接的な関係はないと主人公は思っていますが……
ただ、志賀の陣を超えた先は、史実でも少しだけ楽になります。主人公の名前が、少しずつ広まった永禄十三/元亀元年という形で今回はここまでとさせて頂きます。




