どこまでだって
「そうだ、カイン。これ」
彼女は懐から、見覚えのあるものを取り出した。
「返しておくわね。……本当に返していいか、分からないけど」
小さな鞘に収まった、あの短剣だった。
「……」
言わなきゃいけないことが多すぎて、どれから言えばいいのか分からなかった。
「それで、具体的にはどうするのか決めてるの?」
「……まだ何も」
僕は分かりやすいように、わざとらしくため息をついた。
「だろうと思った。まずは、その日記のあった本棚に案内してよ」
「え、どうして?」
「今の情報だと、何で瘴気が生まれたのかまだ分かってないでしょ。根本の原因を潰さないと、結局また誰かが犠牲になる」
僕がそう言うと、彼女はぱっと顔を輝かせた。
「すっごい!流石カインね!」
「いや別に。そんなことより早く行こう。誰かに見つかるかもしれない」
「そうね!」
彼女に連れられて向かったのは、僕が普段利用している図書室だった。
そのまま奥の本棚へ進むと、彼女は慣れた手つきで隠し扉を開く。
「まさか図書室にこんな部屋があったとはね」
「驚いてる暇はないわよ!探すわ!」
そう言うと、彼女は近くにあった日記を片っ端から読み始めた。
「……あのさ」
「どうしたの?見つかった?」
「短剣を向けたこと。爪のことも。……ごめん」
彼女は日記から顔を上げ、目を丸くした。
「本当、とっても怖かったんだから」
「……」
「でも、貴方が生きてて良かったって思ったのも、本当」
返す言葉が見つからず、僕は目を逸らした。
「それと、ありがとう。来てくれて」
「ふふっ。まさかカインにお礼を言われるとはね」
顔が熱くなるのを感じて、僕は日記に視線を戻した。。
僕は一番古そうな日記を探す。
ここに保管されているのは、聖女や瘴気についての記録のはずだ。
だったら原因に近い記述は、一番古いものに残されている可能性が高い。
棚の奥に押し込まれていた擦り切れた日記を手に取る。
表紙は変色し、文字も薄れていた。
僕は慎重に頁を捲った。
『病で苦しむ民を救いたい』
『怪我で命を落とす者をなくしたい』
そんな記述が続く。
更に読み進めた。
そして。
『古代魔術の発動に成功した』
僕の手が止まった。
読み進める。
一頁。
また一頁。
読むたびに、胸の奥がざわついた。
『民の苦痛は大地へ移された』
『病も怪我も減少』
『しかし大地の悲鳴が――』
その先に書かれていた言葉を見た瞬間、思わず息を呑んだ。
「……なるほどね」
「何か分かったの!?」
彼女が駆け寄ってくる。
僕は日記を閉じた。
「原因を説明する前に、一つ聞いていい?」
「なに?」
「君は、僕を救うためなら国民に苦しみを与えられる?」
彼女の表情が固まった。
「……どういうこと?」
僕は日記に書かれていた内容を掻い摘んで説明した。
昔、この国にも病気や怪我があったこと。
それを憐れんだ王が古代魔術を使ったこと。
国民が受けるはずだった苦しみを、大地に肩代わりさせたこと。
そして限界を迎えた大地から、瘴気が漏れ出したこと。
話し終えると、部屋の中は静まり返った。
彼女は何も言わない。
ただ目を見開いたまま立ち尽くしていた。
「……つまり」
しばらくして、彼女がやっと口を開く。
「瘴気をなくしたら?」
「病気や怪我が戻るかもしれないね」
彼女の顔から血の気が引いた。
無理もない。
今まで当たり前だったものが当たり前じゃなくなるかもしれないのだから。
それに。
これは僕一人の命の話じゃない。
国全体の話だ。
沈黙が続く。
やっぱりそうだよね。
そんな簡単に答えが出る話じゃない。
僕一人か。
国民全員か。
そんなもの、選べるわけがない。
「いいよ」
僕は笑った。
「無理に答えを出さなくて」
彼女が顔を上げる。
「誰かしらの犠牲はなくせないって話さ」
そう。結局それだけだ。
怒ったところで変わらない。
変えられるなら、とっくの昔に誰かが変えている。
僕らは運が悪かった。
それだけの話だ。
「……おかしい」
小さな声だった。
「え?」
「おかしいわ」
彼女は拳を握り締めていた。
「何でそんなことになるのよ」
「ミア?」
「病気にならないために、誰かが怪物になるなんておかしいじゃない!」
その声は少し震えていた。
怒っているのだ。
僕のために。
この国の仕組みのために。
「でも、古代魔術を消したら国民は苦しむかもしれない」
「他の国は?」
「え?」
「他の国には病気も怪我もあるんでしょう?」
「僕も話でしか聞いたことはないけどね」
彼女は少し考え込む。
そして。
「だったら、この国も普通の国に戻るだけじゃない」
僕は思わず黙り込んだ。
普通の国。
そんな発想はなかった。
この国は特別で。
病気も怪我もなくて。
それが当たり前だと思っていた。
「今は一人に全部押し付けてるから壊れるのよ」
彼女は僕の方を真っ直ぐ見た。
「でも沢山の人で負担するなら、他の国と同じになるだけじゃない」
「……そう上手くいく保証はないよ」
「でも可能性はある」
迷いのない声だった。
「私は、国民とカインを天秤にかける気はないわ」
「じゃあどうするの?」
「そんな天秤を作った仕組みを壊すの」
即答だった。
本当に凄いと思う。
僕なら諦めていた。
どうせ変わらないと。
どうせ犠牲は必要だと。
そう思っていた。
だけど彼女は違う。
変わらないなら変えると言う。
「カイン」
彼女が僕の両手を握った。
「古代魔術を消しに行くわよ」
「消したら、君や僕は恨まれるかもしれないよ」
「そんなの、貴方を救うと決めたときから覚悟の上よ」
彼女は少しも迷わなかった。
どんな未来が待っているのか分からないのに。
それでも前に進もうとする。
「君は変な聖女だね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
思わず笑ってしまった。
本当に敵わない。
「カイン」
「なに?」
「まだ私を手伝ってくれる?」
僕は答えた。
「どこまでだって付き合うよ」




