「30」[怪獣ノア]vsアンブレイク(3)
[怪獣ノア]は三月の消失と同時に3体の怪異を降霊させていた。その後、【意識剥奪】が彼を襲った。
この時、【意識剥奪】は確かに[怪獣ノア]の魂に結び付いた。しかし拘束されたのは降霊された3体の怪異。
[怪獣ノア]ではない。
そして、一度結びついた【能力】は効果が切れるまで変化する事はない。……つまり。
(ほんと、お前だけはこっち側にいなきゃいけねぇ【能力】だろそれぇ)
[怪獣ノア]の魂が回帰した時、その全ての主導権は[怪獣ノア]の魂が握る。
[怪獣ノア]の1.7m程度の身体は3mにまで膨らみ伸びる。逞しい寸胴、肩幅大きく腕も太く手は蟹の手に。
更に、頭頂部からつま先までを赤茶色の傘が鱗となって覆い尽くしている。
着込んでいた外套の一切は脱ぎ捨てられ、代わりと真っ白な長い体毛と、尾てい骨周辺から9本の白尾が生えている。
怪異たちの融合。
アンブレイクの面々はそれぞれの怪異の力と実力を知っている。だから全員は固唾を呑み冷や汗を垂らし、そして、降り続ける極光の中から歩き出て来た様が絶望を極めさせた。
【意識遮断:衆】の効果時間は5秒間。
怪異の変身時間と登場までの時間を入れても残り4秒間の鬩ぎ合いは免れない――歯音。
「南雲! 鱗の隙間を狙え!」
一言だけでも言葉の伝達に最大1秒かかる。
【能力】の過剰行使の反動で鼻血と吐血を催した雀は、けれど確かに獲得した3秒間を南雲の精緻な【雷電操術】の操作に託し腰を構えた。
そして、南雲は正確に、精緻に、精密に、雀の指示通りミリよりも薄い鱗の隙間全てに雷を通し内部で最高出力の雷を解き放った。
「陽介さん!!! そんな【能力】の使い方して! 代償! どうなっても知りませんよ!」
「支援隊! 田所の【能力】を回復! 全員に【疲労錯覚】を!!」
[怪獣ノア]は南雲の声に再び惑わされる。だが雀の声を聞いた瞬間その惑いを一蹴し――
「そうだよ陽介兄!! いっつも代償を負う位なら死んだ方がマシって言ってんじゃん!」
――過去の思い出を詳細に想起させる三月の声。
そして[怪獣ノア]の脳内に駆け巡る数多もの、佐伯陽介が紡いできた思い出達。忘れたくなかった記憶の五月雨に濁流の黒さは次第に浄化され澄み渡っていく。
「能力封じ隊到着!! [怪獣ノア]最大抑制時間8秒!!!」
無線に轟く男の声。
第一拠点より駆けつけたのは残兵を連れたオレオ隊長。
田所はその無線を受けて息を入れ替え1歩を踏み出す。
[怪獣ノア]が纏っていた融合した体は心の清浄に倣うように解けていく。
そうして[怪獣ノア]は佐伯陽介としての記憶を掴み取る――
――[怪獣ノア]の脳を侵し、活動しやんと赤く脈を打った心臓を握り止めた大音爆発。
突如として一帯に響き渡った強烈な重低音。
バグパイプやホルンを耳元で吹かれているかのような苛烈な音の色。
その音に顔を顰める面々。
[怪獣ノア]は全身を小刻みに揺らし、真っ黒い瞳に赤い閃光を灯した 刹那 鎌の手が空を縫う。
田所の左腕が飛んだ。
そしてその大きな鎌手は反応出来ないでいた田所の頭部を断つ――直前田所を庇い現れた三月。
【無敵】特有の甲高い音色が立つと同時、右手に大太刀を握り直した田所が肉薄。
その彼女が握る武器の柄に巻かれた翡翠色の布とアクセサリーに目と脳を奪われる――が次の瞬間には田所を薙ぎ飛ばし、地を削りながら彼女は転がり滑った。
[怪獣ノア]は、力を常にセーブしていた。
大きさは強さ、であるならば[怪獣ノア]は最も弱い怪獣でなくてはならない。
しかしそうではない。その理由は、影怪人として生きて来た年月に由来する。
佐伯陽介時代、怪人でありながら人間だった[怪人ノア]は常に人間の肉体を模していた。
しかし怪人・怪獣は食事をする程に巨大になっていく。
その不可逆的摂理を[怪獣ノア]は力づくで抑えて肉体の密度を常に高め続けていた。
いや、もっと適切な表現がある。
――[怪獣ノア]は12年間、1日3回、実質的なレベルアップを毎日果たしていた ――
それにより佐伯陽介の体は人間の規格に収まりながらもあらゆる強敵に敵う肉体となっていた。
ただ、そんな[怪人ノア]は影怪人故に核を持たない。
その為心臓と頭部を特に大切に扱っていた。
更には質量の増加に倣い[怪人ノア]の肉体は鈍重に、ならなかった。
惑星の様に力を内側に向け続けて半ば浮遊に近い状態で人間の体重を陸上で再現していた。
そうした人間というアイデンティティに執着していた佐伯陽介が[怪獣ノア]に強いた、無意識下での人間化という枷こそがこの力の抑制の正体。
それが今、大怪獣の咆哮により取り払われた。
[怪獣ノア]が口を大きく開けた 同時 転移した静流による顎下からの殴撃。
顔面が砕け空を仰ぐ[怪獣ノア]は更にと腹に当てられた重撃を掴み骨の手を生み出し伸ばした。
その雪崩の様な勢いに瞬時に反応し大きく飛びのこうとする静流の脹脛に絡みついた骨の縄。
いや、絡みついてるだけじゃない。静流の脹脛を貫いて絡みついている。
勢いあまって地面に背面から激突した静流。
その姿を見下ろしながら[怪獣ノア]は激しい光の弾を口元で構えていた。
「陽介くん……」
静流の【能力】、【長距離転移】の効果には少しばかりの癖が2つある。その内1つを端的に言えば、非対象者が対象者の内部に居る時、非対象者も同様の転移効果を得る事が出来る。
そう。内部にいる場合。つまり、今静流の体積範囲内に[怪獣ノア]が入り込んでいる為に転移しても無為であると言える。
雀や一成が静流の元へと飛び込んでいるが間に合わない。
静流は頭部ごと焼き焦げ溶かされそうして、絶命する――
(超高速充填高出力化っ!!!!)
――降る、雷電大拳撃。
[怪獣ノア]の頭部を地面に押さえて呼び込んだ好機。
静流はそれを握り、掴む。
腹筋の力で体を浮かし、拘束されている脚を左手で掴み、姿勢を固定。右手で[怪獣ノア]の拘束具を掴み、脹脛を切断してその場から離脱。
時を同じくして雀と一成による連撃を受けた[大怪獣ノア]。
地面は大きく揺れ、空気は爆ぜ、野原は焼けて抉れ消し飛んでいく。しかしそれでも決定打には繋がらず、そして間もなく【能力】を封じる限界時間がやってくる。
「お前は!!! 誰だ!!!!」
[怪獣ノア]が身に纏う、傷だらけになった漆黒の外套を蝶の羽のように広げ、口腔と両翼に光の光線を充填している時、その声を聞いて一瞬ばかり充填を止めた。
だがその充填は即時回復した。
充填されたエネルギーは渦を描いて[怪獣ノア]の頭部の前に集約していく。
きっと、この攻撃は使われる前に逃げなきゃいけなかった。今さら逃げても間に合わない。
面々が揃って抱くその悪寒は、回避欲は、恐怖心は、忌避感は、間違いのないもの。
故に向けられる、【能力】の使用限界が近い静流への希望の視線。
静流はその時、吐き気を催し気絶してしまいそうな過去を思い返す。
(ここに来てから不安定帯まで使用してなかったなぁそう言えば)
長本静流のアンブレイカーズ所属時代、彼女は美人で賢く、その上面白くて優しくて癒しになるという才色兼備を誇る女神として扱われていた。
その点においては謙遜していながらも内心ディスコでダンスを踊る気分になる程嬉しがっていた彼女。
そんな彼女だから、優しさに歯止めをかけ忘れた。
ある男性隊員、それも上位中層という、当時上位下層に上がりたての静流にとって塔の上の存在の隊員が仲間と親友と彼女の死別で塞ぎ込んでいた。
そうした事情を隊員同士の交流でしり、ある時『静流ちゃんならカウンセリングできそう』という事を言われる。
その言葉に静流はかなり乗り気で、そして彼女は週1のカウンセリングでアンブレイカーズ本拠地に来ていた彼と交流を図った。
それが、地獄の始まりと知らず。
初めは一切口をせず、終始怪訝な対応をしていた彼も彼女の懸命な会話と接触理由に少しずつ心を開き始める。
静流の友人となった女性隊員からの忠告で誘いがあってもご飯には絶対行かなかった。
ある意味でそれが最悪な選択になってしまっていた。
彼女も親友も仲間をまとめて失った。
それ故の喪失を埋める魅力的で、神的で、優しく接してくれる女性。きっと彼女ならどこまでも受け入れてくれる。受け入れてくれなかった時、それは他の人間の変な差し金。
そうした思考の渦が徐々に行動に現れ始め、その異変に気付いてから距離を取った所で遅かった。彼が重度のストーカーになるのに時間は要さず、そして度重なる間接的・直接的静流への接触、長本家の接触ないし侵入により精神病を静流は患ってしまった。その元凶を顧みれるのなら、彼はストーカーなどしていない。
彼は盲目的に、それこそあの日自分にしてくれたように、恩を返そうと長本家2階、静流の部屋に窓を割って入った。
「……え」
「助けにきたよ。辛かったよね、静流」
静流は一切理解できないままに近づき抱き着こうとする男の手を振りほどく。
その力は人に接するものではなく猛獣を排する力に比類した。男の腕に罅が入ってしまった。
「いってぇえなぁあああクソアマアアァアアア!!! 俺の優しさをよぉおお!!!!」
そんな目の前の風景に、静流は見覚えがあった。それは、自身がまだ一般人だった時、初めて怪人と出くわした時の様な、茫然自失と希望混迷の最中に墜ちて行く様な恐怖の影。
「はあつ、はあつ、はぁっ…はぁっ……」
悲鳴なんて、ミリもでなかった。全てを終えた時には、どっとした疲れと吐き気が舞い込んでいた。そして彼女は人を殺したという事を理解し、ゴミ箱とガラス片を眺めながら嘔吐した。
【能力】は時々勝手に暴走する。
その人間が本当の死を受け入れた時、そこにまだ生きていたいという思いがある時、天秤は奇跡的にその者を救うだけの力を繰り越して代償なしで行使させる。
そして、この暴走により【長距離転移】は半ば超能力的な力を獲得し、隊員を地中に埋め込んだ。本来上位中層であるなら容易に脱する事が可能であるが、この暴走により隊員は地中で押さえられ続け、圧死と出血死を前に窒息死した。
静流は隊員の抵抗の感触が消えた事で隊員の死を理解していた。
その一件以降、静流は自身がふとした時におかしくなってしまって人を生き埋めにしてしまうのではないか。
この【能力】の効果のもう1つの癖としてある、使用回数が増える程に指定地点と実際の移動地点がぶれてしまう要素によって空や地に飛ばして殺してしまうのではないか。
彼女はそして【能力】を使えなくなり、アンブレイカーズを退職した。
暫くは家で塞ぎ込み、筋肉トレーニング以外の運動をせず食事を口にしない事もあり栄養失調。加えて日常的な幻覚による精神的疲労で病院に救急搬送された事もあった。
そうした彼女を元気づける為妹である三月はあれやこれや尽力し、彼女の、あの日、一般人だった時に救ってくれた外周ヒーローの存在を頼りに奔走。
そして三月は【無敵】による命の担保を元手に怪人侵入の度に付近で張り付き外周ヒーローを出待ち、追いかけた。そして見つけたのがアンブレイクだ。
三月の申し出に初めは返答をしなかった静流だが、三月の入社後の活躍や交友関係の良さに惹かれ、そして自身が一番したかった一般人を正しく守る事をする為に静流も入社。
その後、陽介と一成と一悶着ありつつ今の関係に落ち着いたのが入社から1年経った5年前。
優しくないフリは三月や女性陣以外には健在だが、それでも昔の気は取り戻していた。
(皆を守りたい……恩返しをしたい。その為にも、目の前のそれがあると困るのっ)
【長距離転移】能力段階「4」
「効果」認識できるものに限り選択して転移を可能にする。
そして、[怪獣ノア]の眼前で蓄積された光の球が今、吐き出された。
その速度はあまりにも遅く、けれど間違いのない力を孕んだ光の塊。
(【長距離転移】っ)
そうして飛ばされたものは、[怪獣ノア]が放った光の球のみ。
それが行きついた先は、【空間領域拡張】外、雲が塗れる上空付近――瞬き輝いたもう1つの燦々たる太陽の天明。
その目下で薄い黒煙を放つ[怪獣ノア]は雀に向かって加速した。
「ふぅ……」
一切の油断なく構え続けていた雀は1秒ばかりの歯音で[怪獣ノア]を拘束し、切り刻み、心臓に刀身を抉り刺して、言った。
「私は!! お前を許さない!!!」
突然の雀の咆哮に全員が動きを止める。
「だが!! お前に贖罪は上げてやる!!! お前が怪獣としてじゃなく怪獣と人間として生きていく覚悟があるのならな!!!」
[怪獣ノア]の目に宿っていた赤い光。
それが、薄く、途絶えていく。




