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アンブレイカーズ  作者: MRプロジェクト(詳しくはプロフィールにて)
第4章「原点回帰の一歩先を」

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26/35

「26」朝日

甘井の右腕を襲う、激痛と言う言葉で言い表せられない痛みの濁流。しかしそれは瞬く間に麻痺し、痛みの広さは肩から背中程度に収まった。


それはつまり、神経が死んだと言う事。


だから甘井はそこに何億本もの強靭かつ超過剰な量の神経を張り巡らせて巨大な腕爪を形成させていく。

形成する中で更に腹筋や脚部を強靭化させていく。


そうして、元より華奢ながら人外強大の域に達していた肉体強度を底上げし、成り上がった2mの体躯。

胸に備え付けていた鎧は接合部から破損。

彼女に残ったのは大怪獣と影怪人の素材で出来た分厚いインナータイツのみ。


しかし規定の大きさから伸びに伸びて、千切れはしないがかなり薄手になっている。内側に向かってやってくるタイツの締め付けを煩わしく思いながら、彼女はそれを押し返すように筋肉を膨張させる。


「ふぅ……」


体脂肪が一切ない、純粋な筋肉繊維と骨と爪で出来た強靭な巨腕。振り下げた拳。ギュッと、更に引き締まった山の様な腹筋。脹脛と太腿の筋肉がハッキリと隆起した。地面が沈み、今彼女の体内温度は100度を超えた。


蒸気が口から噴出した。


「ぬぁ"っ"!!!!」


解き放たれた一撃。

大袈裟な音などない。

ただ純粋な一撃を受けた怪獣は全身を傾かせ、砂埃を上げながら数10m押し出されていた。


「ふすぃー……」


勢いが止まった怪獣は四股を踏み、地鳴りを轟かせて甘井を横に並んだ6つの目で睨んだ。


怪獣は彼女を確かな脅威として見つめていた  刹那  白熱した怪獣の喉、口――同時、放たれる高温白色こうおんはくしょく


極まった熱の流線。


それは膨大な質量を孕み地を抉り吹き飛ばした。

跡形の全てを溶かしていた。

周辺の草木は熱波に焦げていた。


(やっぱりあの攻撃を防ぐにはもっと強度がいる)


溶けて無くなった怪獣の口と顎、喉。

喉から覗く背骨の様。

しかしそれを視界に収めると同じくして喉は存在しており、喉と口からは唸り声と蒸気が放たれていた。


「……」

「………」


両者の口端から零れ出る、触れるだけで肌が溶ける蒸気煙じょうきけむり


両者が有する【再生能力】は奇しくも細胞の再生と回復だけではなく状態の正常化、つまり栄養や水分量の安定が行われている。それ故に栄養不足や水分不足に起因する行動不能が事実上存在していない。

消耗戦は両者の手の中にはない。


あるのは、首を掻くか、頭を圧し潰すか、跡形もなく消し飛ばすか。


体躯の差、技の出力の範囲と強さの差の観点から圧倒的に有利な怪獣は、けれどその優位性の理解をしていながらも甘井を確実に殺す事にのみ脳の回路を染め上げていた。


もう、ただの固定砲台ではない。


「はっや――」


――膠着一転、スピードリミッターを外した車が角から曲がってきた時の様な逃げられない死を予見させた、地表を抉り滑る巨体の突撃。


広範囲が過ぎるそれは掠るだけでただでは済まない。そんな種も仕掛けもない、純粋な肉体の攻撃は【支援能力】の力なしでは回避できなかった、空に残った頭部だけの彼女は今居る全ての人間に感謝をし【高速自己再生】を回す。


筋肉繊維が瞬く間で紡ぎ合い重なり合い、骨、管、肉、皮膚、爪、毛の螺旋が描かれた。

枯渇したはずの夥しい量の血が骨盤を伝い地面に零れていく。


(真っ裸じゃん私)


それを恥ずかしがる余裕なんて涙ほどもない。

それは体の再生中に向けられていた怪獣の白熱している口を見ていたから。


(間に合わせないと――)


その思考に追随しようと再生が高速化する  が  間に合わない。間に合わなかった。

完全に一手先を行動していた怪獣が上手だった。そして、甘井の視界の全てを白が塗りたくった。


(――こういう時程、仲間の存在をありがたがることないわね)


甘井の目の前に構築されている透明な壁。

亀裂を刻みながらも熱線を四方に分散させるそれに守られながら甘井は進化する――【高速自己再生】実質能力段階「5.5」


猶予を余す事なく活用し、先の肉体以上に巨大かつ強靭なものに組み替える。


(だからなんでその巨体でそんなに早いの!!)


目前で白い光景が続く中突如としてその光の源が彼女の頭上に上る――瞬転、その光が彼女ではなく空を射貫くと同時に覆い尽くした黒くて大きくて広い影。


地上ですら数m後退する威力の光線の推進力を利用し甘井へと墜落しようとしていた。


幾ら強靭強大になっても、今の甘井の肉体に怪獣の全体重を支え切れない事実は退かない。


人が意図してアリを踏まんとするならば、アリはそれを回避できるのか。否だ。

けれど、人間はアリではない。


【能力】を理解して扱える賢い生物だ。


「託しました隊長」


【位置変え】を行使した隊員はそして怪獣と、土砂と、木々とに飲まれ、消えた。


踏みつけた人間が甘井ではない事に瞬時に気が付いた怪獣がやる目先、人の集団が居る場所。6つの目で捉える世界は一転、怪獣は青空を見つめていた。


そして一瞬にして第1拠点に落ちた巨大な黒影。まるで神の降臨の如く様を纏う圧倒的恐怖の体現者を前に慄く人間達。

それらが呆然と見つめる先にあるのは怪獣の影に刺さっている巨大な光の支柱。強烈な地鳴りと重苦しい破壊音が大風に乗って人間らを襲う。


次の瞬間、その光の支柱は地面を抉り飛ばし熔解させながら人間の元へと進撃を開始した。



【能力】は連続行使や継続行使によって出力が低下、ないし発動ができなくなってしまう。


先の甘井を護った【防護壁】は散々酷使した末に使用された物であり、今はもうアリを護る程の物しか生み出せない。その他の【防護能力】保有者もほぼ同様。

この窮地を救える余力を持った人間はここにいない。

だから甘井が全員の目の前に立った。


そして、目を閉じて、次に歯を食いしばる前に、甘井は言った。


「倍速倍加の【能力】を――」

「――任せろ」


そう言ったのは雄介だった。


【10倍加】にかかった【支援能力】の効果で一時的にこの能力は【382倍加】の効果を有し、そして甘井は瞬く間で拠点全域を自身の肉壁で凹型に囲った。


そして、神の雷は肉を穿つ  瞬間  その極太の熱線は凹型の壁の中で屈折する。


「【反射】ぁああ!!!!」


そうして反射した熱線は「【高速化】っ」の効果で指数関数的な速度上昇を生み出して肉壁の中に光の海を浮かべた。「【増幅】っ」これにより増幅した光の太さはあの怪獣を容易く一飲みするそして――「【ベクトル指定】!」その【能力】が示し続けていた光が向かうべき道の先。その終着点に居るのは自壊に耐えれず光線の射出をやめた神を模す怪獣。


怪獣は6つの目を見開いた――潤いがなくボロボロになっている脊髄の修復と、再構築される怪獣の喉と光線を生み出す器官。怪獣はそれの完全再生を待たずして再びと熱線を生み出す。


だが対峙している熱線はもうオリジナルのものとは別物だ。勢いも、威力も、速度も大きさも、何もかもがオリジナルを上回っている。


しかし同時にそれは、疑似質量をオリジナル以上に有しているという事でもある。


怪獣は駆け走る白い彗星に熱線を下から上に振ってぶつけた。


怪獣はその光の流星に顎を吹き飛ばされながらも再生した五体満足の体で目前の煌めきを眺め、態勢を立て直す事を考え――それが地を穿つ様は神の逆鱗の一片が降り立ったかのよう。


巨体の全てを飲み込んだ極光の束々。刹那で弾けたそれは強烈な閃光と爆風、地鳴り、そして風の津波を起こし土砂を巻き上げ遥か遠くに弾き飛ばした。


「ナイス【ベクトル指定】っ」


甘井は極光の沈黙と同時にそう言って駆けだした。


甘井の体は又更に巨大化していく。収斂する筋肉は肥大を繰り返し、ついぞ筋肉繊維は皮膚を突き破りまとわりつき、爪や骨を混ぜ合わせながら赤色の鎧へと変化していく。


そして更に筋肉が覆い被さり圧縮し連ねて肉体を強化していく。水蒸気を常に放つ真っ赤に充血した瞳にもはや何も映らない。だから甘井は設計図を拡張し様々な部位に目と視神経を接合し身体を構築していく。


高体温により赤面している顔を更に赤くグロテスクな赤い肉の鎧が覆い被さった。


そうして生まれた5mの紅蓮の巨人はそれを目撃する。


「…………」


極光の墜落により生まれた数十m先まで抉り窪んだ地面。


その中で横たわる、家よりも大きな硬質体と、それに連なっているボロボロな脊髄の形。

甘井はそれの発見と同時に腕を空に掲げ大きな刃に生まれ返させながら地へ下った。


【能力】は主に命の危機に瀕する事で強化されていく。その成長概要は何も人間だけに当てはまるものではない――そう、それは怪獣にも当てはまる。


上から下へと向かう超加速度的再生の濁流。怪獣の体の再構築は甘井がその大剣を振り下ろす頃には済んでいた。


「っ”…」


そして甘井は思い知る。再生をしていなくともこの刃が頭部を別つ事が出来ないのだという生物的強者の恐ろしさを。


(もっとだ。まだ、まだ足りない!! けど足り得れば、通用する!! 絶対!!!)


【高速自己再生】実質能力段階「5.6」


再生した怪獣の頭部を蹴り上げ首を担ぐと地表へと跳躍し、怪獣を地面に打ち付けた甘井。完全に再生した怪獣の四足が空を蹴る中で見た、再びの喉の煌めき。


「っぁ”!!!」


甘井は怪獣の顎を強く踏み、蹴り飛ばした勢いで大喉から股下までを深く掻っ捌いた――光の奔流が荒れ狂う。

行先のない光の波は暴走し怪獣の中で爆裂した。


だが、そうして生まれた傷は更に加速度的に再生した  同時  怪獣の側面に立ち蹴り上げようとしていた甘井。


その目前にいたはずの怪獣は自身の前足を支点にしてポールダンスをするように華麗に巨体を回転させて瞬く間で甘井を空高く浮かせた――甘井は地面に腕がアンカーになるように連ね伸ばす  瞬間  一周した怪獣は地面を強く蹴り甘井に食い掛った。


甘井を襲う、地上に生まれたブラックホール。その口腔の全ては鋭利な歯しかなく舌がない。


甘井は怪獣の速度を前にして成す術を見つけ出せず死の囁きに歯を食いしばる。


そして――怪獣は進む方向を理不尽的に急転させられ地面を食い破った。


「【ベクトル指定】っ――……」


意識を朦朧とさせながらも最後の最後まで能力を使った隊員と、その【能力】の支援をしていた者達は気絶する。

その者達が焚いた消えかけの灯を大きく再燃させた。


(私だけじゃない。皆がいる。希望を紡げるのは私だけじゃないっ。絶望はまだ来ないっ)


【高速自己再生】実質能力段階「5.7」


天から急降下した甘井が振り、捩じり落とした両腕に宿した大刃のえい。ミキサーにかけられるが如く勢いで怪獣の肉を骨を削り斬り、腕を心臓部に突き刺すと甘井は再生能力を剣先に一点集中させる。


肉を重ね、圧縮し、積み重ね、圧し潰す。

そうして生み出され続けるエネルギーの躍動とそれを抑え込むエネルギーの鍔競り合い。


それはついぞ、解放される。


――大爆発。


怪獣の肉体の半身がはじけ飛び、その余波で甘井の肉体もまた半ば弾け飛ぶ。


(鎧に刃が全然通るっ。だからっ、もうこんなのっ、伸びしろしかないっ)


【高速自己再生】実質能力段階「5.8」


――その時、一瞬で再生した怪獣がグンッと勢い強く起立すると甘井に向かって倒れ始めた。


(ほんともう! でっかいなぁああああ!!!)


6つの脚の内真ん中の2脚が落とした豪速の一振りを一瞬ばかり受け止めた甘井はしかし次の瞬間には頭部以外を切り落とされていた。

そして間髪入れずと甘井の側面から迫った大きな2つの脚の影。


………だがこれをどうにかしても、この後の怪獣のプレスには敵わない。


(違う!!! 敵わせるんだ!!!!)


【高速自己再生】実質能力段階「5.9」


甘井の肉体の再生に0.01秒もいらない。そして、紅蓮の鎧の構築に0.1秒もいらない。


肥大化し巨大となる甘井の10mもの体。


受け止める怪獣の両脚の圧殺攻撃。割れ千切れ弾け砕け圧し潰されていく両の腕は、けれど継続的な再生によってなくなる事はなく、寧ろ怪獣の攻撃と違い減衰しない為に受け止めきれる。しかしと甘井は見上げた。


もう、その黒い壁は顔面に触れようとしていて――そして、肉体が爆散し、絶命した。


「ぅ”ぉ”ぁああああああぁぁあぁあああ!!!!!!」


その命は甘井の物ではなく【防護壁】を有していた隊員の物であり、彼は甘井の命を紡ぐ為に【能力】を暴走させ、甘井を護った。その代償とし、甘井が受けた衝撃を全てその隊員が生身で受け、そうして隊員が一瞬にしてジュースとなっていた。


甘井は巡回警備中に向けてくれていた顔を思いだし、そして再び決意する。


(私は!!! ヒーローだ!!!!!!)



能力段階「6」



この時彼女の能力は真に【超高速自己再生】という新たな領域の【能力】へと至った。


構築されていく15mもの体。

それが生み出す力を前に怪獣は地面から少しずつ離れていく――怪獣はそれを感じすぐさま立ち上がるようにして後方に飛ぶと同時、腕で拳大程度の大きさになる距離まで甘井を跳ね飛ばし、口腔に強烈な光の束を充足させた  瞬刻  甘井を貫かんと空に描く光の一筆。その上を駆ける、更に巨大化する甘井の姿。


彼女は怪獣まで後2歩の所で飛び上がると両脚を軽く腹の方に折り畳み、怪獣の頭部に至ると同時に槍を刺すように勢いよく脚を射出させた。


巨大な地鳴りと砂埃、突風が舞い上がるが、彼女が求めていた感触はそこにはない。


(重量で硬質体を潰すつもりだったけど、この感じ怪獣の硬質体を潰せるほどに重くなってる頃には地面が先に崩れて結局潰せずじまいになるな)


怪人・怪獣が有する硬質体の強度は個体によるが往々にして個体の体表の何十倍もの強度を誇っている。


しかしここを突破しないと倒せない怪人・怪獣はごまんとおり、こうした絶望を誘発する瞬間はパンドラポイントと呼ばれている。そしてそれはこの怪獣も例外ではなく、尚且つこの怪獣の脊髄は硬質体と同じもの。


通常個体とはわけが違う。


それでも、ここを乗り越えない限り、未来はない。


(やるしかないな)


だから甘井は切り札を速攻で切った。


甘井は怪獣の脚部を切り落とすとそれを掴み怪獣を遠くへ蹴り飛ばしながら飛びのいた。


肉体を造作もなく瞬時に再生させた怪獣。

変わらないその殺意の瞳を貫き返す、自身の腕を切り落として怪獣の腕を添えた甘井の眼。


「……やめろ。それは、お前が一番嫌いな自己犠牲になる奴だろ。絶対ダメな奴だろそれは。っ楓!!! それはやめろ!!!! 帰って俺と結婚するんだろ!!!」


甘井にその言葉は聞こえていない。

けれど甘井には雄介がそう言っているのだろうなと分かっていた。


(いっつも察しが良いんだから…ほんと、私には勿体ない良い人だよ。……ごめんね。命の危険ばかりの仕事だから付き合えないって君の意見を曲げさせてまで付き合ってもらったのに。絶対後悔させないって、悲しい思いをおばあちゃんになるまでさせないって約束したのに)


【超高速自己再生】能力段階「6」の真価は超高速の自己再生だけではない。


それは他の細胞を取り入れ、適合させ、正常に増幅させる所にある。


(まぁ、今の私の体じゃ美人好きな君の嗜好にあってないから合わせる顔もないけど)


甘井の体に浮かび上がるビスマス鉱石のような淡く赤みがかった銀白色の鎧。それが高速で積み重ねられ、圧縮され、巨大化していく。

そうして生み出された刃は裕に怪獣の頭部を横断する大きさとなっている。


(ごめんね、雄介)


力に疼き、ピクリと動く刃の切っ先。


それを見て明らかに狼狽えている怪獣の歩み――一転、怪獣は決死の覚悟で全身を白に染め上げた。それは今までの熱線の威力を遥かに上回るもの。溜める時間も大きく増加している。


(約束を守れない彼女で、ごめんね)


――そしてついに放たれた、耳が破裂してしまいそうな金切り音を放つ熱線。


避ける暇もなく直撃し甘井を飲み込んだ光の束。


一帯が焦土ではなく無に帰していく中、渦中の甘井は歩みを進めていた。


(お前の細胞が手に入った時点で体の設計図はこっちのもんなのよ。それにその熱線って、どうせ硬質体と脊髄が熔解するギリギリの所までしか強くしてないんでしょ。じゃあ私がそれになればいいだけの話。もう、お前は私に勝てない)


そうして100数十m先で硬質体と背骨だけとなった怪獣の姿を見下ろし、刹那で絶った。


怪獣の脳核は2つに割れ、脳みそが硬質体の余熱によって溶け落ちる。


骨は発泡スチロールのようにボロボロになって風に乗っていった。



最後の怪獣が完全に絶命した。



それを報せるように上げられた甘井の右腕と咆哮。



青さを覚え始めた空。



その意味を瞬時に汲み取った隊員たちによる、甘井に呼応した歓喜の嵐。



「は、はは。無茶が過ぎるぞ、ほんとに」



安堵する雄介。



甘井は淡く赤みがかった銀白色の鎧以外の全てを脱ぎ捨てて陽介の元へと向かった。


千鳥足で、朦朧とした意識で、でも最期に褒めてもらう為に、彼の前に立った。


「楓!! 本当にお疲れ様――」

「――はいそこでストップ!!!!」


涙を零して走り寄った雄介にかけられた、甘井の停止の音色。


「すぅー……はぁ。えっとですね。雄介さん。私はですね、とってもね、幸せでした」


その言葉選びに雄介は心を体を青く染め上げる。


「無理を言って、それでも付き合ってくれた事。あなたのタイプの女であれた事、失敗したご飯も成功したご飯も美味しいって言ってくれた事。一緒に遊んだ事、祝った事、私があなたを愛する以上にずっとずっと愛してくれていた事。私の幸せは、ほんとにこの手に収まりきらない程いっぱいで大きくって、これからもそれを享受していくつもりでした。約束したから」

「楓……早まるな。まだ、なにかしら策は、ある……はずだ」


甘井の揺るがない瞳を前に消え入る声。


「私は、本当に、幸せでした。だからあなたにも、幸せでいてほしいって思っていっぱい頑張ってきました。お陰でデートでは寝坊ばかりでって言い訳か! ……はは。本当にいつも約束守らなくてごめんね」


甘井はそこまで言って堪えていた喉の震えを止められなくなってしまった。


「ごめ…んね。雄介」


疼く。

そしてピクリと、勝手に動いた甘井の右手。


「次は約束事を……まもっ…守ってくれる美人をっ、みっ、見つけっ、んだよ」

「何言ってんだよ。俺にはお前しかいない。お前が良いんだ楓。お前じゃないとダメなんだ」

「は、はい! 雄介くん静かに!! このままだと私はダメになっちゃう! だから! さぁ雄介! 私はここに帰ってきた。だから褒めろ!!」

「楓!!」

「早くして!!! お願い!!!」


甘井の意識はもう離れていっている。すりガラスの窓から外を眺めている位、遠い所にいる。


だから懇願する。

最後だからと。


「よ……よく! が、頑張ったな楓! 今日は執事デーだ! 家に帰ったら至れり尽くせりだ! 飯も風呂もマッサージも全部やるんだ! だから、頑張ったんだから……もっと、褒めさせてくれよ…帰ってきてくれよ……」


甘井は尾を引く雄介の言葉に顔を顰めたが、でも笑みが隠せていなかった。

最後まで愛されている事を実感できて、甘井は満足だった。


「ごめん!! やっぱり私雄介の事が心底――」


甘井は心のうちの全てを吐き出したくて仕方なくて呪いになってしまう言葉を吐きかけた。


でも、彼女はなんとか言葉を止める。

その代わりに、甘井は雄介に向かってこう言った。



「オレオ隊長! 後は頼みました!!!」



本来であるならばこのような事態は起き得なかった。


普通、怪人・怪獣の肉体が脳核から離れた時それは素材化し完全に独立物質となる。

しかし対峙していた相手が有する【高速自己再生】には奇しくも細胞の正常化の性質が備わっていた。


その効果は脳核に付随する肉体のみならず、再生させた事がある肉体に限り、体が分離しようとも本体が生きている間は分離体から血が流れ続け、筋肉が独立して躍動し、汗が流れる。


これはつまり、本体の生存=非素材化であり、この要素が甘井の体にバグを発生させた。


共存してしまう2つの細胞の設計図。


それが行きつく先は融合でも主導権の奪い合いでもなく人格の淘汰。そして、甘井の元の肉体の設計図と怪獣の設計図の規格は見るまでもなく違うわけで、その生物的強者の力を前に甘井は抵抗虚しく人格を駆逐されていっていた。


そして今、人格が完全奪取されてしまう寸前、甘井は刃に変質させた手を首に沿えた。


その手は首から逃げようとした。それは彼女の中で主導権を握ろうとする怪獣の意思と、彼女の生きたいという願望に由来するものだった。


けれど、ここで自身が生きてしまえば、それこそ人類の滅亡に繋がる存在になりかねない。


それだけはダメだと、躊躇いを踏みしめて目を瞑る。


(自己犠牲、しちゃったな)


朝日が、昇る。


赤と白の光が草原を照らしていく。


(でも、みんなを……雄介を守れたから、いいか)


夜の様に照っていた彼女の信念は、朝日を前に屈折し、けれどその色に染まっていった。


(大好きだよ。雄介)




朝日が、昇った。




雄介は、その朝日を見て、背中の夜を見て、また、日に瞳を焼かせた。


無感情に湧き上がる激情の波。


声にならない声。


震える口に喉。


酷く不安定な呼吸。


過ぎていく思い出と、好きという感情と、愛しているという事実と、その全てを失った現在。


「っ”……っ…」


雄介は大きく息を吸うと、一瞬だけ目を瞑り、改めて目を開けて、言った。


「全隊員!!! 甘井隊長に!!!! 敬礼!!!!!!」


額にあてがう平たい手の側面。強張った手の動き。止まらない、涙の形。


その彼のすべてと星を抱きしめるように、白い光が世界を覆いかぶさった。

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