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  作者: San


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9/12

無 9

無は、しばらく動けなかった。


光が満ちていた。


今までの世界にも光はあった。


だが、それは遠く、ぼやけた揺らぎだった。


今、無の周囲にある光は違う。


水そのものが輝いていた。


上から降り注ぎ、流れの輪郭を浮かび上がらせ、存在たちの身体を透かしている。


世界そのものが見えていた。


無は、ゆっくりと進んだ。


広かった。


どこまでも。


今までいた場所とは比較にならない。


流れは複雑で、深く、上下がある。


上へ行くほど光は強く。


下へ行くほど暗くなる。


その途中を、無数の存在たちが泳いでいた。


泳ぐ。


無は、その動きを見ていた。


流されるのではない。


押し返している。


尾を振り。


身体をしならせ。


水を掴み。


進む。


その姿は、あまりにも美しかった。


無は感動していた。


なぜそう感じるのかは分からない。


だが、目の前を通り過ぎる存在たちを見ているだけで、循環が激しく揺れる。


細長い身体を持つもの。


透き通る身体を持つもの。


群れで動くもの。


ひとつだけで静かに泳ぐもの。


それぞれの形には意味があった。


速く進むため。


光へ近づくため。


敵から逃げるため。


流れに乗るため。


海には、理由のない形が存在しなかった。


無は、そのすべてを知りたくなった。


そしていつものように、真似を始めた。


最初に真似したのは、小さな魚だった。


細長い身体。


左右へしなる尾。


水を切る動き。


無は、その動きを観測した。


尾を振る角度。


身体のしなり。


水の逃がし方。


長い時間をかけて、少しずつ真似をする。


最初は進めなかった。


尾を振っても回転するだけ。


身体が硬すぎて、水を押せない。


逆に柔らかすぎて、力が逃げる。


何度も崩れた。


何度も形を修正した。


そしてある時。


無は初めて、“泳いだ”。


流れに運ばれるのではない。


自ら水を押し、前へ進む。


その瞬間。


世界の広さが変わった。


行きたい方向へ進める。


見たいものへ近づける。


海は急に、果てしなくなった。


無は泳ぎ続けた。


そして知っていく。


速く泳ぐ魚ほど、身体は細い。


深く潜るものほど、動きが少ない。


群れで動くものは、一匹では見えない大きな流れを作っている。


真似をするたびに、無はその存在の“理由”を知っていった。


形を真似することは、その存在の世界を知ることだった。


ある存在を真似したとき。


無は初めて、“恐怖”を知った。


その魚は、常に周囲を警戒していた。


わずかな揺れで方向を変え、影から逃げる。


なぜそんな動きをするのか、最初は分からなかった。


だが、巨大な口が突然暗闇から現れた瞬間、無は理解した。


食べられる。


海では、存在はただ循環するだけではない。


他の存在の中へ消える。


その恐怖が、動きを進化させていた。


無は震えた。


だが同時に、その恐怖すら美しいと思った。


逃げるための形。


生き残るための速度。


そのすべてが、海という世界を作っている。


無はさらに多くを真似した。


底を歩くもの。


岩に張り付くもの。


光るもの。


長い触手を持つもの。


身体を膨らませるもの。


そのたびに世界は変わる。


高い場所から見る海。


深い場所から見る光。


群れの中で感じる流れ。


孤独な狩り。


同じ海なのに、存在によって見える世界がまるで違う。


無は、それに圧倒されていた。


世界は一つではない。


生き物の数だけ、見えている海が違う。


そしてそのどれもが、美しい。


無は泳ぎながら、周囲を見つめた。


光の粒。


遠くを横切る巨大な影。


群れのきらめき。


揺れる海草。


流れ。


音のような震え。


海は、生きていた。


かつて無だったものは、その世界の中で、小さく震えながら思っていた。


もっと知りたい。


もっと、この世界を見たい。

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