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  作者: San


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10/12

無 10

無は、海を泳ぎ続けていた。


真似を重ねるたび、世界は広がった。


速さを知り。


深さを知り。


群れを知り。


孤独を知った。


だが海には、まだ理解できない場所があった。


水面。


そこだけは違った。


世界の上にある、揺れる境界。


近づくほど光は強くなり、流れは乱れ、向こう側は見えなくなる。


多くの存在は、そこへ近づいても戻っていく。


だがある時、無はそれを見た。


細長い魚。


銀色の身体。


鋭く水を切る形。


その魚は、他の魚とは違った。


速い。


あまりにも速かった。


水そのものを裂くように進み、群れの間を貫き、光の近くへ一直線に向かう。


そして。


突然、水面を突き破った。


無は見失った。


いや、違う。


存在が“海の外”へ出た。


次の瞬間、その魚は再び海へ戻ってくる。


だが、ほんの一瞬。


確かに、水の外を飛んでいた。


無は衝撃を受けた。


海の外にも、世界がある。


今まで考えたこともなかった。


海こそが世界そのものだと思っていた。


だが違う。


境界の向こうに、別の場所がある。


無は、その魚を観測し続けた。


細い身体。


大きく広がる胸びれ。


水を切る角度。


加速の仕方。


すべてが、“飛び出すため”に作られていた。


無は、また真似を始めた。


身体を細くする。


水の抵抗を減らす。


左右のひれを広げる。


速さを得るため、循環を強くする。


長い時間が過ぎた。


何度も失敗した。


勢いが足りない。


飛び出しても、すぐ落ちる。


水面に激突し、崩れかける。


それでも無は繰り返した。


海の外を知りたかった。


あの魚が見ていたものを、見たかった。


そして、ある夜。


海は静かだった。


流れは穏やかで、水面は鏡のように揺れている。


無は深く潜った。


身体をしならせる。


循環を加速させる。


水を押す。


もっと速く。


もっと前へ。


海が後ろへ流れていく。


光が近づく。


水面が迫る。


そして。


無は、海を飛び出した。


その瞬間。


時間が止まった。


音が消えた。


海の流れも。


水の重さも。


すべてが遠くなる。


無は、空中にいた。


初めて、水に触れていない。


身体の周囲には、何もない。


なのに落ちない。


世界が静止していた。


そして無は、見た。


夜空だった。


黒。


どこまでも深い黒。


だが、その黒は空虚ではなかった。


無数の光が浮かんでいる。


小さく。


遠く。


静かに。


無限に。


星だった。


無は、その光景を理解できなかった。


海とは違う。


流れがない。


揺れがない。


なのに、世界が広がっている。


あまりにも遠い。


あまりにも大きい。


海で見た巨大な生き物ですら、小さく思えるほどに。


星々は、ただそこにあった。


何も奪わず。


何も循環せず。


ただ静かに、空に存在している。


無は、震えた。


今まで、自分は世界を知っていると思っていた。


海を知り。


生き物を知り。


巨大な存在を知った。


だが違った。


世界は、こんなにも広かった。


海は、ほんの小さな場所だった。


空の前では。


星々の前では。


自分の知っていたすべてが、一粒の泡のように小さい。


無は、その星を見つめた。


時間が止まっているようだった。


落ちているのか。


浮かんでいるのか。


もう分からない。


ただ、星だけがあった。


遠く。


永遠のような距離に。


届くこともない場所で。


静かに輝いていた。


その美しさに、無は完全に奪われていた。


海の中で見たどんな存在とも違う。


形も分からない。


循環も分からない。


なぜそこにあるのかも分からない。


なのに、圧倒的だった。


知りたい。


その感情だけが、無の中で静かに広がっていく。


だが次の瞬間。


重力が戻る。


身体が落ちる。


夜空が遠ざかる。


そして無は、再び海へ落ちた。


水が身体を包む。


流れが戻る。


循環が戻る。


海の音が戻る。


だが、無はもう知ってしまった。


世界の上には、空がある。


そして空には、星があることを。

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