第1話:鉛色の海
海は、死んでいた。
かつて『蒼穹の鏡』と呼ばれたこの海も、今は鉛色に濁っている。
波打ち際には、灰が打ち寄せられ、砂浜を灰色に染めている。
空からは、絶え間なく灰が降り注ぐ。
海面に落ちた灰は、ゆっくりと沈んでいく。
魚の姿はない。海鳥の声もない。
ただ、波の音だけが——世界の終わりを告げるように、静かに響いていた。
『現在位置:東海沿岸「灰の岬」』
『外気温:8℃』
『海水温:4℃(生態系維持限界以下)』
『海底遺跡まで:水深約800m』
『世界滅亡まで:00年461日 14:23:07』
俺は、灰色の海を見つめていた。
懐には、師匠の結晶がある。
52,000MPの、命の結晶。
レオン・グラナートが、俺を逃がすために——自らを変換した、最後の贈り物。
「カイさん……」
エルが、俺の隣に立った。
「本当に、あの海の底に……?」
「ああ。第四の欠片は、海底遺跡にある」
「水深800m……どうやって……」
「方法はある」
俺は、ベルを見た。
「ベル。お前の力を借りる」
「うん。任せて」
ベルが、小さな手を海に向けた。
「《アビス・ゲート》」
『検出:空間魔法発動』
『効果:海水を分断し、海底への通路を開く』
『消費MP:測定不能(世界樹級)』
『効率:99.99%』
『灰排出:0kg』
海が——割れた。
鉛色の海水が、左右に分かれていく。
その間に、深淵への道が開かれた。
800mの垂直な壁。
その底に、青白い光が見える。
「……すごい」
エルが、息を呑んだ。
「これが、魔王の力……」
「行くぞ」
俺たちは、海底への道を降り始めた。
*
海底遺跡は、巨大だった。
古代の都市が、そのまま沈んでいる。
崩れかけた塔。苔むした神殿。砕けた彫像。
そして——その中心に、ドーム状の建物がある。
『検出:海底遺跡「アビサル・アーカイブ」』
『建造年代:推定900年前』
『用途:世界樹のログ保存庫』
『内部マナ反応:極めて強力——世界樹の欠片の可能性』
『警告:強力な防衛機構あり』
「ログ保存庫……」
俺は、ドームを見上げた。
「ここに、世界樹の記録が眠っている」
「記録……?」
「そうだ。世界樹は、すべてを記録している。過去900年間の、すべてのマナの流れを」
俺たちは、ドームの入り口に近づいた。
扉は、すでに開いていた。
誰かが——先に入ったのだ。
「カイさん、これ……」
エルが、扉の横を指差した。
そこには、聖騎士団の紋章が刻まれていた。
新しい。
つい数時間前のものだ。
「……オズワルド」
俺は、呟いた。
「先回りされたか」
「どうしますか……?」
「進む。他に選択肢はない」
俺たちは、ドームの中に入った。
*
ドームの内部は、青白い光に満ちていた。
壁一面に、魔法文字が刻まれている。
それは——データだ。
900年分の、世界のマナ収支。
生まれた命。消えた命。使われたマナ。生み出された灰。
すべてが、ここに記録されている。
『アビサル・アーカイブ:データ量 推定800兆レコード』
『記録期間:912年前〜現在』
『最終更新:0.3秒前(リアルタイム同期中)』
「すごい……」
エルが、壁の文字を見つめた。
「世界中のマナの流れが、全部ここに……」
「世界樹は、すべてを見ている。すべてを記録している」
俺は、中央の祭壇に向かった。
そこに——
淡い金色の結晶が、浮かんでいた。
『検出:世界樹の欠片(第四片)「記録の欠片」』
『マナ含有量:80,000,000MP』
『特殊能力:過去の記録を「体験」として閲覧可能』
『状態:活性化中』
「第四の欠片……」
俺は、手を伸ばした。
「待て」
声がした。
俺は、振り返った。
*
ドームの奥から、一人の男が現れた。
白銀の鎧。黒い髪。冷たい、死んだような目。
オズワルド・グラナート。
聖騎士団長。
俺の師匠——レオンの、兄。
「久しぶりだな、カイ・ヴェルナー」
オズワルドの声が、ドームに響いた。
「また会えて嬉しいぞ」
「オズワルド……」
「レオンが死んだそうだな」
オズワルドの目が、わずかに細くなった。
「愚かな弟だ。お前を逃がすために、自分を犠牲にするとは」
「師匠は——」
「師匠?」
オズワルドが、嘲笑った。
「奴は、お前に何も教えていない。真実を、何一つ」
「真実……?」
「お前は何も知らない。自分が何者かも、この世界が何故滅びかけているかも」
オズワルドが、一歩前に出た。
「教えてやろう。お前が見るべき『真実』を」
「何を——」
オズワルドが、手を振った。
次の瞬間——
俺の体が、動かなくなった。
『検出:拘束魔法』
『効果:対象の動きを完全に封じる』
『消費MP:推定50,000』
『解除難易度:SSS』
「カイさん……!」
エルが、俺に駆け寄ろうとした。
だが、彼女も——同じように動きを封じられた。
「ベル……!」
「ごめんね、カイ」
ベルが、悲しそうな顔で言った。
「この魔法、私でも解けない」
「ベルフェゴール」
オズワルドが、ベルを見た。
「久しぶりだな。900年ぶりか」
「……オズワルド」
ベルの目が、怒りに燃えた。
「あなた、まだ生きてたんだ」
「お前と同じだ。俺も、『待っていた』のだよ」
「待っていた……?」
「この瞬間を。カイが、真実を知る瞬間を」
オズワルドが、祭壇に向かった。
「見せてやろう。900年前に、何があったのか」
彼が、「記録の欠片」に触れた。
世界が——反転した。




