(第六十一話)露見した隠し事
夜になった。
(ぐー……)
シンとテパが並んで眠っている。
一方、チャアクは起きていた。
目の前に、犬に姿を変えたショロトルがいるのだ。
「ミクトランへ向かわれるのですか?」
「うん。夜明けには戻るから、それまで二人を頼むよ」
「承知致しました。どうかご無事で」
「はは。そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
ショロトルは背を向け、軽やかに跳ねる。
そして一瞬で、闇の中へと姿を消した。
「……」
チャアクはシンとテパの足元に座り、そのまま目を閉じた。
◆
ショロトルは金星が昇るより早く案内を終えた。
(今日は死者が少なかったな)
見上げれば、夜空にはまだ星が瞬いている。
(……ちょっと寄り道するか)
そう言って、ショロトルは来たのと逆方向に足を進めた。
◆
(はぁ~気持ちいい~)
温かい夜風が吹いている。
海と見紛う程広大な湖に、ショロトルはいた。
どこまでも澄んだ水が、逆さまの夜空を映している。
彼は、その星をなぞるように、山椒魚の姿で泳いでいる。
(温泉もいいけど、この姿でここを泳ぐのも最高!)
小さな手足を伸ばしながら悠々と水を進む。
久しぶりの自由な時間に、ショロトルの心は軽くなった。
(下はどうなってるかな?)
ショロトルは身を翻し、水底へ潜る。
桃色の影が静かな闇の中へ沈んでいった。
◆
暫くして、ショロトルは岸辺に顔を出した。
「ふぅ。特に変わりなかったな」
見上げる空は、まだ暗い。
瞬く星と、それを縫うように浮かぶ雲。
何一つ変わったところはない。
「まだ泳ごう」
ショロトルは岸に背を向けて泳ぎだした。
背後に迫る影に気づかずに——。
◆
「わっ!?」
それは泳ぎだした後のほんの一瞬だった。
前に進むと思った体が、何かに掴まれて動かない。
鷲かと思ったが、こんなに更けた夜に鷲が現れる筈がない。
しかも、その質感は——明らかに鷲の足のものではない。
思えば力の入り方も、”掴んでいる”と言われると違和感がある。
寧ろ、力を込めて”握っている”のだ。
「こんなところにいたのね」
背後から声が聞こえる。
ぞっとするほど冷たい。
その奥に、煮えたぎる怒りが感じられる。
「……ウィ、ウィシュトシワトル……?」
「あの時はよくも邪魔してくれたわね」
「あぁあの件? 悪かったよ、でも放して——」
ショロトルがもがくと、ウィシュトシワトルは一層力を込めて握り締めた。
小さな桃色の体が、今にも潰れそうだ。
「来なさい」
ウィシュトシワトルはショロトルを掴んだまま、有無を言わせずその場を後にした。
◆
ショロトルはテオワリ広場に連れてこられた。
(みんな……いつ集まったんだ……?)
ショロトルは息を呑んだ。
そこにいるのは、ウィシュトシワトルだけではない。
家族全員が集まっている。
「まさか、私を消そうとしたの?」
「そ、そんなわけない!!」
ショロトルは慌てて否定する。
だが、その瞳はウィシュトシワトルを見ていない。
家族たちが、自分をとても冷たい目で見ているのだ。
「ショロトル……」シペが深い溜息を漏らす。
「わかっているだろう? 面倒事は起こさないでくれ」
「……っ」
覚えている。
今は亡き家族の像を前に、シペが嘆き悲しんでいたのを。
故意に今の事態を引き起こそうとしたのではないが、項垂れる彼を見ると罪悪感が募る。
「僕たちの血は……青い」
視線を遠くに向けたまま、ショロトルはそっと口を開く。
風に溶けそうな、とても微かな声だった。
だが、シペはそれを聞き逃さなかった。
「お前……何言ってるんだ??」
問われたショロトルは、懐から小刀を出す。
そしてチャアクに見せた時同様に、自分の腕に刃を入れた。
切り口から流れる筋は——。
「……青い」
「僕だけじゃないよ。みんなもやってみて」
ショロトルは家族を見渡す。
その瞳に偽りがないと感じた彼らは、次々に腕に刃を入れた。
「そんな……」
「嘘……でしょ……?」
「何なのこれ……?」
取り乱す家族を前に、ショロトルは淡々と語った。
「これは冥界の血。僕たちは、血を通してミクトランテクートリに監視されてるんだ」
◆
「……」
暫くの間、神々の間には沈黙が流れた。
ミクトランテクートリ。
大昔にケツァルコアトルが骨を取りに行った、冥界ミクトランの主だ。
だが、その件以降特に因縁はない。
何の目的で、こんなことをしているのかわからない。
温かな夜風が、氷のように冷たく感じられる。
「……!」シペが何かに気づいた。
「何故これが、あいつの監視の証だとわかった?」
「冥界に……行ってたから」ショロトルは気まずそうに声を絞り出す。
「だがお前は冥界の門に入らず引き返している。あいつには会っていない筈だ。なのに、何故これがあいつと関わっていると断言できるんだ?」
「……」
ショロトルの喉が詰まる。
その間にも、神々の疑念は膨らんでいく。
ただ一柱、ケツァルコアトルを除いて。
「ショロトル……」
冷たい視線を向ける家族に紛れ、心配そうに見つめていた。
その時——。
「……ん?」
ケツァルコアトルの前に、黒い煙が漂い始めた。
「ん?」
「んん??」
ケツァルコアトルだけではない。
他の神々の間にも、みるみる広がっていく。
誰もが察した。
「テスカトリポカ……!」
◆
神々の視線の先に、煙の元はあった。
「ハハハハハ……」
その声に呼応し、煙が四方へと散る。
中から現れた者こそ、闇の神テスカトリポカだった。
「哀れな我が血族よ、教えてやろう」
家族全員から睨まれているのを歯牙にもかけず、闇の神は愉快そうに口角を吊り上げる。
「そこの犬はな、ミクトランの門を抜けて中に入った!」
「!?」
「それで知ったんだ! お前らがここ数年の祭りで得た贄は、ミクトランテクートリとミクテカシワトルの子であるとな! お前らの生命線は、ずっと呪われていたんだ!」
ええっ、という騒めきが、神々の間を駆け巡る。
ただ一柱、ショロトルは唇を噛み締めている。
(それは、お前が中に引き込んだから……!)
言いたかったその言葉は、遂に口から出なかった。
「それだけじゃない。お前らはいつか集まって、こう決めていたそうじゃないか。”ケツァリツリピョリトリの腕輪を持つ少年と、マクアウィトルを持った少年が、妙な動きを見せたら贄にしてよい”、とな」
あの集まりにいなかったテスカトリポカが何故知っているのか——。
神々が疑問に思う間もなく、彼は家族を弄ぶかのように続けた。
「そこの犬は、ずっと奴らに同行していた。全てを知っていながら、お前らにずっと隠していたんだ!」
困惑の目が、一様にショロトルに向けられる。
しかし、ウィツィロポチトリは違った。
「貴様……!」
掲げたシウコアトルが燃え始めた時、闇の神は煙と共に姿を消した。
◆
テスカトリポカが去った後。
「どういうことだ……本当なのか?」
「……」
シペの問いに、ショロトルは俯いたまま口を閉ざしている。
「何故何も言わない!?」
「で……でもお前、言ってただろ!? ”妙な動きをしたら贄にしろ”って……。あの子たちは妙なことなんかしてない! 僕たちの為に贄を捧げていただけだ!」
「だがあいつらの後ろで、テスカトリポカが糸を引いていた!」そこへウィツィロポチトリが怒鳴り込む。
「それを知っても尚、お前はただ見ていただけだったのか!?」
「違う、そんなことは……」
ウィツィロポチトリの剣幕にたじろいだショロトルは、思わず視線を逸らす。
だが、彼の向こう側にいる家族も、皆怒りを露わにして自分を見つめていた。
「うわぁぁん!!」
堪りかねたショロトルは犬の姿に変身し、振り返ることもなくその場を去ってしまった。




