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血汐の群れる朝が来る前に  作者: Masa plus


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(第五十九話)シンとテパの秘密

「ここを掃除して!」


神の思いもかけない命令に、シン、テパ、チャアクは揃って固まった。

沈黙の後、やがてシンが弾かれたように声を上げる。


「は、はい!」


緊張で喉が張り付いているのが明らかな声だった。

 

「ほら、行くぞ!」


「え、えぇ!?」


シンは困惑するテパの手を引いて奥へ行ってしまった。


「あぁお前たち――」


「待って」


チャアクが後を追おうとした瞬間、ショロトルが止めた。


チャアクの体に再び緊張が走る。


「話があるんだ。あの子たちのこと」



 ショロトルは近くの石段に腰掛ける。その前にはチャアクが恭しく佇んでいた。


「あの二人、どこか変わってると思わない?」


「テパが……ティルマに血をかけて私を召喚したことでしょうか……?」


「それもそうだけどさ、他にもあるでしょ? 変わってること」


チャアクは考える。


(……!!)


先程までの光景が脳裏に蘇り、あることに気づいた。


「まさか、血を捧げていないのにあなたのお姿が見えると……!?」


「あったり〜!」


「はぁ……」


チャアクは神の前で思わず溜息を漏らした。


(本来、人間は神を見ることができない。神像に血をかけるか、己の躯を捧げるかしない限り、神の声はおろか姿も見えない。だがシンとテパは、その法則を正面から打ち破った)

(秩序の維持を望む神々にとって、二人は間違いなく不愉快な存在だろう)


「どうしたの? 難しい顔して」


ショロトルに問われ、チャアクは我に返る。そして真顔で問うた。


「お言葉ですが、ショロトル」


「何?」


「これはそんな悠長に構えていられる事態ではないのでは?」


「そんなのわかってるよ」ショロトルは眉を寄せる。


「これは決して軽く見ていいことじゃない。でもだからって、こっちがいつまでも暗いままじゃあ、あの子たちも暗くなっちゃう」


「そうかもしれません。しかし……」


「お前、あの子たちが僕の家族からどう思われてるか知らないだろ」


空気が変わった。


明るかったショロトルの表情が、急に沈む。

次に出てくるであろう言葉が、何となくわかる。

嫌な予感がする。

 

でも敢えて耳を傾けた。


「矢鱈なことをしたら――殺すつもりでいる」



「そんな……!」チャアクは愕然とした。


主のテスカトリポカが二人を弄ぶ様を、この目で何度も見てきた。


とても辛かった。


せめて他の神々は――と淡い期待をしていた自分が甘かった。


他の神々さえも、救う気がない。


百歩譲って”救う”というなら、それは”贄にする”というのと同義だ。


(これでは……あの二人には、いざとなったらどこにも逃げ場がなくなってしまう……)


「チャアク」


「はっ!」


「二人のことが心配なんでしょ?」


「勿論です」チャアクは頷く。

 

「ですが……血を捧げずにあなた方のお姿を見られる存在は、やはり警戒されるのですね」


「うん」ショロトルは力なく応える。


「それに、もっと懸念してることがあるんだ。見て」


ショロトルは腕を高く上げ、小刀で皮膚を切る。すると血が滲んだ。

その色は――青い。明らかに普通の血ではない。


「これ、何だかわかる?」


「……いえ」


「冥界の色だ。僕たち神の血族は、ミクトランテクートリに監視されてる」


 

 チャアクは驚愕のあまり目を見開いた。


「冥界の呪い……ですか?」


「そう。ここ数年の祭りで捧げられた贄は、みんなミクトランテクートリとミクテカシワトルの子だ。儀式を通して、その血が僕たちの体に流れているんだ」


「他の神々は、このことをご存じなのですか?」


「いいや。多分、知ってるのは僕だけ」


「ミクトランテクートリ……何だってそんなことを……?」


「僕もよくわからない。でも一つ思い当たることがある」


「それは?」


「大昔、兄上ケツァルコアトルがミクトランに下って、奴から人間の骨を取り返したんだ。兄上は奴に散々痛めつけられたみたいで、帰ってきた時の姿ときたら――見てられなかった」


「今の人間が生まれるきっかけとなった出来事ですね」


「もしかしたら……その時の恨みをまだ引き摺ってるんじゃないか、って」


「……」


「ミクトランテクートリといいツィナカンといい、どうして冥界の連中は昔のことをネチネチと根に持つんだか」


「全くですね」


チャアクはやれやれとばかりに頷いた。


「秘密はまだあるよ。その……シンのこと」


「初めて会った時から普通の子ではないと感じておりましたが……彼は何者なのですか?」


少し黙ってから、ショロトルはゆっくりと答えた。


「あの子も贄なんだよ」


 

 チャアクは息を呑んだ。


「シンが……贄……!?」


「あの子も冥界で生まれた。生まれた時から、僕たちの贄になることが決まっている」


「……まさか」


「ん?」


「シンは……血の繋がった兄弟たちを倒し続けていた、ということなのですか?」


「そうだよ」


ショロトルは軽く返す。

だがその声は、今までよりも遥かに重く、そして暗かった。


「冥界で生まれた贄は、地上では魔獣となって人間を襲う。シンも本当はそうなる筈だったんだ」


「……」


「でも実際は違う。シンは魔獣にならないのはおろか、それを狩っている」


「何故、何故シンだけが……」


「さあ。長いことあの子たちについてたけど、未だにわからない」


チャアクは怖くなった。


これ以上シンのことを――そしてテパのことを聞きたくない。


なのに――どこか聞きたいとも思ってしまう。


矛盾で胸が締め付けられる。


「で、でも、テパはそうではありませんよね? 私を召喚できる点を除けば、全くもって普通の子ですよね??」


チャアクは期待を寄せた。


ずっと一緒にいて、我が子のように可愛がっていたテパ。

血で自分を召喚できるのは、その絆が形になったもの。

そう信じていた。


普通の人間と明らかに違う点はあるが、他に疚しい点はない。


疚しい点などないと、信じたい――。



だがショロトルはこう答えた。


「……残念だけど、そうじゃない」



「え?」


チャアクは言葉を失った。

衝撃を覚えたのか、悲しいのか――自分の気持ちがよくわからない。


「テパはたった一度だけシンの血を飲んで、魔獣に止めを刺す力を得たんだ。シンと同じ力をね」


「どう……して……?」


「それもわからない。少なくとも、テパはシンや魔獣とは血が繋がってない」


「それなのに……シンの血を、たった一度飲んだだけで受け入れたのですか? 剰えその力さえ受け継ぐなんて」


「……あまりこう、言いたくないんだけどさ」


ショロトルの沈痛な面持ちに、チャアクは身構える。


「シンもテパも、これから先、もっと大変なことに巻き込まれるかも」


「……」


――何と言えばいいのだろう。


今まで見た範囲でも、二人はかなり過酷な運命に見舞われていると思った。

自分は鏡の向こうからそれを見るだけで、無力感に苛まれたことが何度あったことか。


今では近くにいるが――。


その分、二人がさらなる過酷な道を歩む様子を間近で見ることになるのだ。



(テパ、そっちを頼む)

(はーい)

(ショロトルのご命令だ。念入りにやろう)

(うん!)



シンとテパが掃除に精を入れる声が、遠く聞こえる。


「……」


チャアクは何も言えなかった。

只々、どうしよもなく心が痛い。



 ふと、チャアクはあることを思い出した。


(そういえばあの血の色、我が主テスカトリポカには見られなかった。どういうことだ?)

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