(第五十九話)シンとテパの秘密
「ここを掃除して!」
神の思いもかけない命令に、シン、テパ、チャアクは揃って固まった。
沈黙の後、やがてシンが弾かれたように声を上げる。
「は、はい!」
緊張で喉が張り付いているのが明らかな声だった。
「ほら、行くぞ!」
「え、えぇ!?」
シンは困惑するテパの手を引いて奥へ行ってしまった。
「あぁお前たち――」
「待って」
チャアクが後を追おうとした瞬間、ショロトルが止めた。
チャアクの体に再び緊張が走る。
「話があるんだ。あの子たちのこと」
◆
ショロトルは近くの石段に腰掛ける。その前にはチャアクが恭しく佇んでいた。
「あの二人、どこか変わってると思わない?」
「テパが……ティルマに血をかけて私を召喚したことでしょうか……?」
「それもそうだけどさ、他にもあるでしょ? 変わってること」
チャアクは考える。
(……!!)
先程までの光景が脳裏に蘇り、あることに気づいた。
「まさか、血を捧げていないのにあなたのお姿が見えると……!?」
「あったり〜!」
「はぁ……」
チャアクは神の前で思わず溜息を漏らした。
(本来、人間は神を見ることができない。神像に血をかけるか、己の躯を捧げるかしない限り、神の声はおろか姿も見えない。だがシンとテパは、その法則を正面から打ち破った)
(秩序の維持を望む神々にとって、二人は間違いなく不愉快な存在だろう)
「どうしたの? 難しい顔して」
ショロトルに問われ、チャアクは我に返る。そして真顔で問うた。
「お言葉ですが、ショロトル」
「何?」
「これはそんな悠長に構えていられる事態ではないのでは?」
「そんなのわかってるよ」ショロトルは眉を寄せる。
「これは決して軽く見ていいことじゃない。でもだからって、こっちがいつまでも暗いままじゃあ、あの子たちも暗くなっちゃう」
「そうかもしれません。しかし……」
「お前、あの子たちが僕の家族からどう思われてるか知らないだろ」
空気が変わった。
明るかったショロトルの表情が、急に沈む。
次に出てくるであろう言葉が、何となくわかる。
嫌な予感がする。
でも敢えて耳を傾けた。
「矢鱈なことをしたら――殺すつもりでいる」
◆
「そんな……!」チャアクは愕然とした。
主のテスカトリポカが二人を弄ぶ様を、この目で何度も見てきた。
とても辛かった。
せめて他の神々は――と淡い期待をしていた自分が甘かった。
他の神々さえも、救う気がない。
百歩譲って”救う”というなら、それは”贄にする”というのと同義だ。
(これでは……あの二人には、いざとなったらどこにも逃げ場がなくなってしまう……)
「チャアク」
「はっ!」
「二人のことが心配なんでしょ?」
「勿論です」チャアクは頷く。
「ですが……血を捧げずにあなた方のお姿を見られる存在は、やはり警戒されるのですね」
「うん」ショロトルは力なく応える。
「それに、もっと懸念してることがあるんだ。見て」
ショロトルは腕を高く上げ、小刀で皮膚を切る。すると血が滲んだ。
その色は――青い。明らかに普通の血ではない。
「これ、何だかわかる?」
「……いえ」
「冥界の色だ。僕たち神の血族は、ミクトランテクートリに監視されてる」
◆
チャアクは驚愕のあまり目を見開いた。
「冥界の呪い……ですか?」
「そう。ここ数年の祭りで捧げられた贄は、みんなミクトランテクートリとミクテカシワトルの子だ。儀式を通して、その血が僕たちの体に流れているんだ」
「他の神々は、このことをご存じなのですか?」
「いいや。多分、知ってるのは僕だけ」
「ミクトランテクートリ……何だってそんなことを……?」
「僕もよくわからない。でも一つ思い当たることがある」
「それは?」
「大昔、兄上ケツァルコアトルがミクトランに下って、奴から人間の骨を取り返したんだ。兄上は奴に散々痛めつけられたみたいで、帰ってきた時の姿ときたら――見てられなかった」
「今の人間が生まれるきっかけとなった出来事ですね」
「もしかしたら……その時の恨みをまだ引き摺ってるんじゃないか、って」
「……」
「ミクトランテクートリといいツィナカンといい、どうして冥界の連中は昔のことをネチネチと根に持つんだか」
「全くですね」
チャアクはやれやれとばかりに頷いた。
「秘密はまだあるよ。その……シンのこと」
「初めて会った時から普通の子ではないと感じておりましたが……彼は何者なのですか?」
少し黙ってから、ショロトルはゆっくりと答えた。
「あの子も贄なんだよ」
◆
チャアクは息を呑んだ。
「シンが……贄……!?」
「あの子も冥界で生まれた。生まれた時から、僕たちの贄になることが決まっている」
「……まさか」
「ん?」
「シンは……血の繋がった兄弟たちを倒し続けていた、ということなのですか?」
「そうだよ」
ショロトルは軽く返す。
だがその声は、今までよりも遥かに重く、そして暗かった。
「冥界で生まれた贄は、地上では魔獣となって人間を襲う。シンも本当はそうなる筈だったんだ」
「……」
「でも実際は違う。シンは魔獣にならないのはおろか、それを狩っている」
「何故、何故シンだけが……」
「さあ。長いことあの子たちについてたけど、未だにわからない」
チャアクは怖くなった。
これ以上シンのことを――そしてテパのことを聞きたくない。
なのに――どこか聞きたいとも思ってしまう。
矛盾で胸が締め付けられる。
「で、でも、テパはそうではありませんよね? 私を召喚できる点を除けば、全くもって普通の子ですよね??」
チャアクは期待を寄せた。
ずっと一緒にいて、我が子のように可愛がっていたテパ。
血で自分を召喚できるのは、その絆が形になったもの。
そう信じていた。
普通の人間と明らかに違う点はあるが、他に疚しい点はない。
疚しい点などないと、信じたい――。
だがショロトルはこう答えた。
「……残念だけど、そうじゃない」
◆
「え?」
チャアクは言葉を失った。
衝撃を覚えたのか、悲しいのか――自分の気持ちがよくわからない。
「テパはたった一度だけシンの血を飲んで、魔獣に止めを刺す力を得たんだ。シンと同じ力をね」
「どう……して……?」
「それもわからない。少なくとも、テパはシンや魔獣とは血が繋がってない」
「それなのに……シンの血を、たった一度飲んだだけで受け入れたのですか? 剰えその力さえ受け継ぐなんて」
「……あまりこう、言いたくないんだけどさ」
ショロトルの沈痛な面持ちに、チャアクは身構える。
「シンもテパも、これから先、もっと大変なことに巻き込まれるかも」
「……」
――何と言えばいいのだろう。
今まで見た範囲でも、二人はかなり過酷な運命に見舞われていると思った。
自分は鏡の向こうからそれを見るだけで、無力感に苛まれたことが何度あったことか。
今では近くにいるが――。
その分、二人がさらなる過酷な道を歩む様子を間近で見ることになるのだ。
(テパ、そっちを頼む)
(はーい)
(ショロトルのご命令だ。念入りにやろう)
(うん!)
シンとテパが掃除に精を入れる声が、遠く聞こえる。
「……」
チャアクは何も言えなかった。
只々、どうしよもなく心が痛い。
◆
ふと、チャアクはあることを思い出した。
(そういえばあの血の色、我が主テスカトリポカには見られなかった。どういうことだ?)




