(第五十六話)忘れられた場所
眩い光に包まれた後、シンとテパは見知らぬ場所へと辿り着いていた。
「ここは……どこだ……?」
「何か、湿った匂いがする……」
足裏に伝わるのは、冷たく硬い感触だった。
長い間、日の光を浴びていないサクベの上に立っている――そんな錯覚を覚える。
実際、辺りは闇に沈んでいた。
だが完全な暗闇ではない。
所々、二人の目線ほどの高さに細い裂け目があり、そこから微かな光が漏れている。
「もしかして……何かの建物か?」
「でも真っ暗だよ?」
「おそらく、放置されて長いこと経ってるんだろう」
シンは周囲を見回しながら低く呟く。
「もしそうだとしたら……何か、テパたちが来るの、人がいないところばかりだよね」
「そういう気配がするんだ。ここも」
一瞬、沈黙が落ちた。
「……そういえば、ピルトは?」
「ずっと肩に乗ってる」
テパが肩を見ると、ピルトが「ここだよ」と言いたげに首を傾げていた。
愛らしい桃色の体が、暗闇の中でよく目立つ。
「ふふっ」
テパは思わず笑みを漏らし、その身体を優しく撫でた。
「そういえば……ピルトが鳴いてから、テパたちはここに来たんだよね?」
「ああ」
「じゃあ、ピルトが助けてくれたってことか!」
「そうかもしれない」
「ピルト」
テパはそっと手を差し出し、ピルトを掌へ乗せる。
「お前は幸運のお守りかもね」
テパが目を細めて言うと、ピルトも頭を摺り寄せた。
「……おいおい」
呆れたように肩を竦めるシン。
だが、その口元もどこか緩んでいた。
(”幸運のお守り”だなんて……何だか照れるなぁ)
ピルトもまた、胸の奥をくすぐられるような気持ちになっていた。
「ははは……」
僅かな光しか差し込まないはずの空間が、ほんの少しだけ温かく見える。
その場にいた誰もが、自分たちが暗闇の中にいることを、一瞬忘れていた。
◆
その頃、暗黒空間にて。
「随分と目障りだな」
テスカトリポカは、漆黒の鏡を見つめていた。
鏡の向こうには、笑い合うシンとテパ、そしてピルトの姿が映っている。
「これでは都合が悪い」
不快げに眉を寄せ、闇の神はゆっくりと手を上げた。
その時――。
(ガッ!!)
「う……っ!!」
テスカトリポカの腕が真っ赤に染まる。
「またテパたちを危険に晒すおつもりですか」
「貴様……主に向かってどういう態度だ」
「僕と言えど、私も人間です! ただ従うだけの存在ではありません!」
「……ほう」
テスカトリポカは、血の滲む腕を見下ろしながら嗤った。
「人間、か。もうその姿ですらないというのに」
「姿がどうであれ、私は人間……そしてテパの父です!」
チャアクは主を前に、気丈でいようと必死だった。
だが、その胸の奥には嫌な予感が広がっていく。
自分を見下ろす主の目が、この空間よりもどす黒い、軽蔑の色に染まっているのだ。
――そして、その予感は当たった。
「ならばこうしよう」
テスカトリポカは陰湿な笑みを浮かべ、指を鳴らす。
立ち昇る煙が蠢いて、ゆっくりと形を成していく。
「……!!」
チャアクは息を呑んだ。
自分の目の前に鏡が現れたのかと。
それほどまでに、“それ”は自分に酷似していた。
主が召喚したのは、自分に瓜二つの姿をした獣だった。
「こいつに一仕事して貰おう」
「お、おやめください! そんなこと――」
「吠え面はやめろ」
テスカトリポカは、鬱陶しそうに言葉を遮る。
「お前がそういう態度をとるから思いついたんだ」
「な……何てことを!」
「大人しくしていろ。我が僕よ」
チャアクの叫びも虚しく、獣は闇の鏡へと溶けるように消えていった。
◆
シンとテパは、僅かな光を頼りに出口を探している。
「こうも暗くてはな……」
「ピルトなら光出せるんじゃない?」
「また得体のしれない場所に行きたいのか?」
「……あ」
テパは返答に困り、気まずそうにピルトの顔を見る。
「ピルト……どっかに行く時しかあの光出ないの?」
ピルトは申し訳なさそうに口角を下げ、小さく首を振った。
「……そっか」
「ほら、行くぞ」
シンに促され、テパは再び歩き出す。
コッ、コッと、二人が石畳を踏む音だけが木霊していた。
◆
二人が歩く間、ピルトはテパの肩の上で、ずっとそわそわしていた。
(どうしよう……)
天井、壁、床。
その全てが溶けあい、漆黒の空間を成している。
どこに何があるかも判然としない中、ピルトは忙しなく辺りを見ている。
(さっきので気づかれたかもしれない)
ポチテカの攻撃から二人を守り、ここへ導いた。
二人は今、自分を”幸運のお守り”と呼んでいる。
きっと、もう薄々感じ始めているのだろう。
自分が、ただの山椒魚ではないことを。
(テパ……シン……実は……)
鳴き声にすらならない声が、喉の奥で震えた。
◆
どれ程歩いただろうか。
時間の感覚も、自分たちがどこにいるのかも曖昧になり始めた頃――。
(ピカッ!)
突然、二人の前に閃光が走った。
「うわっ!」
「何!?」
あまりの眩しさに目を覆う。
だが光は次第に弱まり、ゆっくりと“何か”の輪郭を形作っていった。
「……??」
光が消える。
そこに立っていたのは、黒い影のような存在だった。
全身を漆黒の皮膚に覆われ、暗闇と同化して輪郭すら曖昧だ。
「お前は――」
シンが言いかけた時、”それ”は言った。
「テ……パ……」
「……っ!?」
その声に、誰よりも強く反応したのはテパだった。
長い間、聞きたくても聞けなかった懐かしい声。
この旅を始める前の、平穏だったあの頃に戻れるかのような声――。
「お父様!!」
「チャアク……!?」
シンも目を見開く。
二人は目を疑った。
驚くべきか、喜ぶべきかもわからない。
ティルマを奪われ、もう会えないと諦めていた存在が、今ここにいる。
「お父様ー!!」
テパは喜んで近づき、手を伸ばした。
(ガブッ)
「……えっ?」




