表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
血汐の群れる朝が来る前に  作者: Masa plus


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

54/55

(第五十四話)忌まわしき色の血

 森を抜けて歩いていくうち、木々の青臭さに混じって、微かに潮の香りが漂い始めた。


「目的の町が近いな」


シンは前方へ目を凝らす。

まだ町の姿そのものは見えない。

だが、鼻を掠める塩気と、空気に混じる湿り気が、確かに海辺の集落の存在を告げていた。


「サクベも伸びてる」

 

柔らかい土の感触が、白亜の道の硬い感触へと変わっている。

鼻から、足から、人の営みが近づいていることを感じ取れる。


「ピルト、もうすぐだって」


テパは、肩の上のピルトに優しく声をかける。


「きゅう」


ピルトは小さく頷く。

だが、テパが前を向いた直後、すぐ俯いてしまった。


「……」


視線の先には、サクベの上に伸びるシンとテパの影が見える。


(ウィシュトシワトル……気づいてくれればいいけど……)


 

 やがて、町の入り口が見えてきた。


「うわぁ……」


町はそれ程大きな規模ではないが、道路がしっかりと整備されていて、疎らではあるが市場も形成されている。


「あれ、美味しそう……」


「テパ、食事は後だ」


海辺の町よろしく、市場には数え切れない程多くの魚が並んでいる。

小型の魚、大型の魚、鮮やかな色の魚、地味な色の魚。

蛸や烏賊、貝類まで所狭しと並べられている。


「……はぁ」


シンが溜息をつくほど、テパは海産物に釘付けになっていた。



 そんなテパも、神殿の前に着くや否や、表情が引き締まった。


「……」


胸の奥に沈めていた“本当の使命”を、静かに思い出す。

市場に胸を躍らせていた時間など、ほんの束の間の夢だったかのように。


「こちらです」


シンはいつの間にか腕輪からコヨトルを出して、神官に渡していた。

神官は紋章ですぐに素性を見抜き、頂へと導く。

コヨトルは、何一つ抵抗せずに階段を昇っていった。


「……」


視界からコヨトルの背中が遠ざかっていく。

二人はそれを、ただ黙って見ている。



 そして儀式が執り行われた。


「……心臓、取られたね」


「ああ」


シンは勿論テパも、感覚が麻痺していた。

町を満たしていた磯の香りが、神殿の頂から流れ落ちる血の臭いに塗り潰されても、違和感を覚えない。


寧ろ、”いつも通りになった”という奇妙な安堵すらあった。


やがて、神官がコヨトルの心臓を高く掲げる。


「あの人、最期まで抵抗しなかったね」


「ある意味楽な話だ。儀式が滞りなく終わったからな」


シンが言う通り、儀式には何の問題も起きなかった。

他に思うことはない。


(……)


ピルトも押し黙っている。

だが、彼の目は神殿の頂を見ていない。


雲が疎らに浮かぶ晴れた空――その彼方を見ている。


そして――

太陽がほんの少し西へ傾いた時。


(……!)


ピルトは突然、テパの肩から飛び降りた。


「……ピルト?」


テパが呼び止めた時には、もう姿は消えていた。



 町の上空にはウィシュトシワトルがいた。


「あら。随分素直ね、あの贄」


未練がましい様子もなく心臓を捧げたコヨトルを、女神は冷たい目で見降ろしている。


「まあいいわ。心臓はもらうわよ」

 

ウィシュトシワトルが手を伸ばした時だった。



「!?」



下界から、小さな影が凄まじい勢いで駆けてくる。


短い脚を必死に動かし、跳ね、走り、また跳ねる。


そうして一直線にウィシュトシワトルの元へ辿り着くと、その生き物は本来の姿へ戻った。


「待て! その心臓を取るな!」



「なっ、何よ急に!?」ウィシュトシワトルは顔を顰める。


「その心臓の血には、ミクトランテクートリの息がかかってる! 取ったら危ない!」


「どういうことよ!」


困惑するウィシュトシワトルの前で、ショロトルは懐から小刀を出す。


「嘘だと思うなら腕を切ってみて」


「いきなり何――」


言い返しかけたウィシュトシワトルは、ふと口を噤む。

ショロトルの表情は、冗談を言っている顔ではない。


「……貸して」


渋々腕を切る。すると――。



「!!」



腕を伝う血を見て、ウィシュトシワトルは愕然とした。


「何これ……本当に私の血なの?」


「そうだよ」


ショロトルは小刀を返して貰い、自分の腕を切った。

流れたのはウィシュトシワトルと同じ、青白く淡く光る液体だった。


「……あんたも……?」


「もしかしたら……僕たちはずっと、あいつに監視されていたかもしれない。今更遅いけど、これ以上心臓を取ったら――」

 


「……っ!」



ウィシュトシワトルは、未だ血が滴る腕を下ろした。

そして、拳をぎりぎりと握りしめる。


俯いていて表情は見えない。

だが、小刻みに震えるその手が、彼女の感情を物語っている。


「!!」


ショロトルは察した。

ウィシュトシワトルを――海水の女神として畏れられる彼女を、このままただ見るだけだったら――。


「ウィシュトシ――」


その時にはもう、彼女の姿はなかった。


否――


(まさか、あいつ……!)


彼女は――”いた”。


コヨトルの亡骸の中に――。



 その頃、地上では異様な空気が張り詰めていた。


「こ、これは……」


神官の表情は戦慄に染まっていた。

高く掲げた心臓に、夥しい量の塩が纏わりつき始めたのだ。


「どういうことだ……このような現象は見たことがない……」

 

神官が狼狽える間に、塩はその腕までも侵食し始める。


「まさか……ウィシュトシワトルが……」


その悪い予感は当たった。


(ガバッ)


横たわっていたコヨトルが、突如として体を起こした。

その体には、皮膚が見えなくなる程に、びっしりと紋章が張り巡らされている。


そして――


紋章が塩にも似た白い輝きを放った時、コヨトルは心臓を奪い返した。


(ズブッ)


華奢な腕からは想像できない力で、心臓を握り潰す。

そしてゆっくり宙へ浮かび、神官を見下ろした。


『……』


言葉はない。

ただ、凍えるほど冷たい視線だけが、神官の瞳に映っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ