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血汐の群れる朝が来る前に  作者: Masa plus


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(第五十二話)繋がれた血

「シン!!」


テパは、倒れ伏したシンの元へ駆け寄った。


「あぁ、酷い……」


膝をつき、シンの抱き起こす。

腹から溢れ出す血は、闇の中でも異様なほど鮮やかだった。


「こんなに……」


そっと触れただけで、手のひらが一瞬で真っ赤に染まる。


怖い。


なのに、目が離せない。


「……」


流れ続ける血。

真っ赤なその中に、微かな光が混じっている。


夜空から零れ落ちた星屑のような、点々とした輝き。


それは――贄子の証。


神に捧げられる運命を背負った者の血だ。



 テパの脳裏に、テスカトリポカから明かされた真実が、止めどなく溢れてくる。



『お前とお前の姉は、予め神に捧げると決められた”贄子”なのだ。どう足搔こうとも、心の臓を抜かれる定めからは逃れられない』


『誰かを守りたいわけじゃない。ただ勝ち続けて、一日でも長く生きたかった。それだけなんだ……姉さんの言葉を、無駄にしないために』


それに対しての自分の返答。


『シンは……生きる為なら、テパを見捨てるの?』


シンはこう答えた。


『いや、そんなことはない』


『絶対に、だ』



(そうだ)


テパの鼓動が、急に強くなる。


(シンに捨てられたくないなら、お願いするだけじゃだめだ)


鼓動が、ドクン、ドクンと、さらに激しくなる。


(テパが……テパが自分で……)


 

次の瞬間、テパの体は魔獣の方へ――

 

 

――行かなかった。



代わりに――


 

「……っ!!」



裂けた腹へ、その口を近づけた。

そして、流れる血をずるずると啜った。



(ウオォォォオォ……)



遠吠えが木々を揺らす。

はっと顔を上げたテパは、魔獣と目が合った。


魔獣は、自分に狙いを定めている。

このままでは間に合わない。



(……!)



次の瞬間、テパは地を蹴っていた。

マクアウィトルを握る手に力を込め、そのまま魔獣へ飛びかかる。



「……」


いつの間にか、シンは意識の底に沈んでいた。


「……」


閉じた目の向こうに広がるのは、光一つない世界。

匂いも、感触も、音さえもなかった。


そんな世界の果てから、微かに何かが聞こえる。



「……ぐぁ……ぁ……」


 

鈍い呻き声だ。

人間のものではない。

でも、何の生き物か思い出せない。



「……ぁ……ぁ……」

 

 

息は掠れている。

そして今にも、途切れようとしている。


一つだけわかった。

 

この生き物は、間もなく死ぬ。


(バタッ)


そして本当に、それは動かなくなった。


 

「……ふぅ」



そよ風に紛れて、誰かの溜息が聞こえる。


(……誰だ?)


聞いたことのある声だ。

それも、何度も。

なのに思い出せない。


それどころか――


今自分は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「おい、お前は……」



「シン……」



「……テパ!?」



「テパ……」


シンは言葉を失った。


彼の目に映るのは、光のない、白く濁った目。

いつもの面影は、そこには全くない。


「お前……本当に、テパか?」

 

「シン……」


「な、何だよ……」



「もう、一人じゃないよ。”家族”だよ……」



「!!」



目に気を取られ、ずっと気づかなかった。

テパの口から、うっすらと赤黒い液体が垂れている。



――血だ。



(まさか!?)


恐ろしい。

本当だとしても、認めたくない。


だが、シンの視線はゆっくりと自分の腹へ移る。



テパの口と同じ色に染まっている。


 

「そ、そんな……あり得ない……」


体に熱を与えていた、最後の灯火が消えた。


目、鼻、耳、口、皮膚。


五感の全てが、果てしない恐怖で塗り潰された。



「何だ……何が起きたんだ……」


絶えず震える唇が、辛うじて言葉を紡ぐ。


「……見て」


テパが退いた先には、何かがいる。

腹を割かれ、仰向けに倒れてもがいている。


「よく見てよ」


テパの指の先に、定まらない視線を何とか合わせたシン。


倒れていたのは――魔獣だった。


「お前……まさか、一人で……?」


「……うん」


テパは虚ろな白い目で、こくりと頷く。


あまりにも空虚な仕草だ。

 

操り人形が勝手に動いているような、不気味極まりない姿だった。



だが、本当に恐ろしい事実は、それではなかった――。



(魔獣はどうなった?)


シンは、テパから目を逸らすように、魔獣の方へ視線を向ける。


その瞬間、何とも奇妙な現象が起きた。


自分が止めを刺していないはずの魔獣の体から、贄子が現れたのだ。


――女の姿をしている。


「あたしは……コヨ……トル……」


贄子がふと顔を上げた。


「うっ……」


シンは息を呑んだ。

その顔は、どことなく姉に似ている。


『私の分まで、しっかり――』


「消えろ!!」


叫びとともに、シンは贄子を封じた。


姉の言葉を思い出す前に。

自分が――壊れる前に。



 戦いの後、シンとテパは辛うじて無事だった家で休んでいた。


(魔獣が現れたということは、どこか近くの村で祭りが行われるはずだ)


シンは、贄子の体に浮かび上がった紋章を思い出す。


(あの波みたいな紋章……もしかして、海水の女神ウィシュトシワトルか)


次の町はおそらく、海の近くにある。

だが、この森には潮の匂いはない。


(明日早めにここを出て、村を探そう)


シンは眠ろうとして体を横たえる。

その隣では、テパが既に深い眠りに就いていた。


「すぅ、すぅ……」


夜風に乗って、テパの寝息が耳に届く。

星明りの中、シンはテパの寝顔をじっと見つめる。


(戦っていないときのこいつの顔は、こんなにも穏やかだ。今までと変わらない)


だが、先程までのテパの顔は、これとはかけ離れていた。

あんなにも生気を欠いた、とても人間とは思えない顔。

そして――


(僕の血を呑んで、僕と同じ力を得た……)


贄子の血を普通の人間が飲むこと自体が異例だが、よりにもよってテパは、その血で魔獣に止めを刺したのだ。

どういう原理かはわからないが、少なくともテパが、ただの人間ではなくなったということは確かだ。


(僕が……僕がやられなければ……)


悔しくて悲しくて、シンははらはらと涙を零した。



 シンとテパの一部始終を、ピルトは見ていた。


(テパ……シン……)


変わり果てたテパは勿論、自分の不甲斐なさを責め続けるシンが、心配でならない。


(……あ)


見上げた空の遠くで、金星が輝いている。

そろそろ、死者の案内に行かなければならない。


(……くぅっ……)


ピルトは拳を握り締める。


いつもなら、自分の本当の使命を思い起こさせる金星。

だが今は、その使命よりも、胸に渦巻く感情の方が強かった。


ピルトの心に、静かに、怒りが燃え上がる。



(あいつが……あいつが約束を破らなければ……)



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