(第五十一話)束の間の安息
「シン、大丈夫?」
「……ぁぁ」
かすれた返事だった。
シンは酷く落ち込んでいて、顔を上げる気力すらない。
テパはそれ以上踏み込んでいいのか分からなかった。慰めたい。でも、触れてはいけない領域がある気もする。
そして何より、テパ自身も落ち着いてはいなかった。
(シンも心配だけど……ピルト、ピルトはどこ?)
シンの肩に手を置いたまま、視線は虚空を彷徨う。
暗闇の中、何も見えない。
それでも――見つけたいという想いだけが、淡く漂い続けていた。
(ピルト……ピルト……)
掌に伝わるシンの体温。
だが同時に、ピルトの不在が胸を締めつける。
温かいのに、寒い。
そんな矛盾した感覚に包まれたまま――テパは結局、一睡もできなかった。
◆
翌朝。
(トントン)
何かがテパの頬を突いている。
(ポンポンポン)
「……ん……?」
煩わしさに眉を顰め、テパはゆっくりと目を開いた。
「きゅう! きゅう!!」
(……!!)
その瞬間、意識が覚醒する。
テパは目をかっと開いて、頬に感じる仄かな重さの正体を見つめる。
「ピルト!!」
テパはぎゅっと抱きしめたい気持ちを抑え、ピルトを優しく手で包む。
「いなくなっちゃったと思ったよ……」
涙を堪えるテパの頬に、ピルトは小さな手を伸ばした。
「……ん、んん……」
そのやり取りに引き寄せられるように、シンが目を覚ます。
「シン! ピルトが戻ってきたよ!」
「ん……あっ!」
あれほど沈んでいた表情が、一瞬で解けた。
「ピルト……」
「きゅう! きゅう!」
ピルトは、飛び跳ねたり尻尾を振ったりしている。
(よかった……二人とも無事で)
心の中で、ピルトはほっと胸を撫で下ろした。
◆
「言うかどうか、ずっと迷ってたんだ……」
シンはぽつりと呟く。
「僕が戦ってた本当の理由は、生き延びる為。ただそれだけだ。神々の為なんかじゃない」
「そうなんだ……」
「……おかしいだろ」
シンの口に自嘲的な笑みが浮かぶ。
「誰かを守りたいわけじゃない。ただ勝ち続けて、一日でも長く生きたかった。それだけなんだ……姉さんの言葉を、無駄にしないために」
「……ねぇシン」
「ん?」
何気なく顔を上げた瞬間、シンの表情が強張る。
テパの身体が、まるで糸で引き絞られたように張り詰めていた。
「シンは……生きる為なら、テパを見捨てるの?」
核心を突かれた。
薄々思ってはいたが、本人を前に、絶対に口にしたくなかった言葉。
それを――他ならぬテパが、先に問うた。
「いや、そんなことはない」
シンは反射的に否定する。
「絶対に、だ」
「そう……」テパは俯く。
「……なら、よかった」
安堵の言葉が漏れる。
だが、その顔は見えない。
声色だけでは、本心がわからない。
シンの胸には不安が残った。
「……ここを離れよう」
「どうして?」
「ここじゃ落ち着かない。違うところに行きたい」
「……わかった」
蟠りを抱えたまま、二人は歩き出した。
◆
「あれは……」
「村のようだな」
南中へ昇った太陽が、森の一角を照らしている。
木々の中とは思えない程、そこは明るい。
強い日差しが薄黄色の土に映え、あるもの全てに影絵を落としている。
だがそこは、時が止まったように静かだった。
「誰もいないみたい」
「ここも廃村か……いつぞやみたいな」
「ここなら落ち着ける?」
足を止めたテパの問いに、シンは僅かに言葉を詰まらせる。
「あぁ……そうだな」
歯切れの悪い返答だった。
だがシンにとって、この人気のない廃村こそが、今は安心できる場所だった。
雨風をしのげる。
誰かを気にする必要もない。
王都での一件以降、シンにとって、心から信じられるのはテパとピルトだけだったのだ。
「シン?」
「!」
物思いに耽っていたが、呼ばれて我に返る。
「とりあえず、あの家に入ろう」
シンとテパは、粗末な造りの廃屋に入った。
◆
廃屋の中で、シンとテパは身を寄せ合った。
「久しぶり、この感じ」
「……ゾノトか?」
「うん。あの時も、テパたちだけだったよね」
「ピルトは後から来たしな」
「だねぇ……」
ふっと力が抜けたのか、テパはそのままシンの肩に頭を預ける。
「くかぁ……」
まだ昼間だというのに、テパはあっさりと眠りに就いた。
(そうか……こいつ、昨日からずっと寝てなかったんだな)
さっきまでの不安げな顔が嘘のように、穏やかになっている。
肩にかかる重みも、不思議と心地いい。
「……ピルト」
シンは反対の肩の上を見たが、ピルトもそこで丸くなって寝ていた。
「……ふっ」
小さな笑みを浮かべ、シンも間もなく眠りに就いた。
◆
夜。
(ドドドドド)
「……ん」
(ガッ! ガッ! ガッ!!)
「……っ、何だ……?」
不穏な音に、シンは目を開く。
辺りは暗い。
まだ、夢から覚めていないのかと錯覚した。
(バキッ!!)
だが、音はすぐ近くで鳴っている。
耳だけでなく、皮膚や骨にまで響いてくる。
「はっ……!」
その姿は、シンの朧気な目でもすぐにわかった。
まるで犬のような、狼のような荒々しい見た目。
毛を逆立て、殺意を剥き出しにしている。
全身から、何度も見たことのある、青白い光を放っている。
皮肉にも、それが今ここでの唯一の明かりだった。
「テパ! 起きろ!!」
「ん……なぁにぃ……?」
「魔獣だ!」
「えぇっ!?」
テパの眠気が、一瞬で吹き飛んだ。
夢の世界から、異様な程早く、現実への感覚が研ぎ澄まされる。
「マクアウィトルは……」
「あっちだ!」
叫びあう間にも、魔獣は二人の気配を感じ取り、恐るべき速さで向かってきていた。
◆
(ガガッ!!)
魔獣は、二人がいた家を一撃で破壊した。
「くっ……」
「シン、こっち!」
テパの声で、シンは家の裏から外に逃げる。
脇目も振らずに全力で走った。
魔獣と距離ができた――と思っていた。
「ウォーーーーーン……」
突然、魔獣が遠吠えした。
「!」
シンは警戒して足を止める。
(何か来る――!)
直後、魔獣の四方に波動が広がった。
視認する間もない速さのそれは、シンの腹を直撃する。
「……ぁ……っ」
波動はただの空気ではなかった。
――刃だった。
「うっ……」
刺されたような痛みが、シンを襲った。
腹を押さえた手の下から、血が静かに、しかし確実に滲んでいる。
(シン!!)
誰かの声が遠くで響く。
だが、意識が追いつかない。
理由も、状況も分からない。
シンの身体は、静かに地面へ崩れ落ちた。




