(第五十話)冥界の最悪な真実
テスカトリポカに弾き飛ばされたその後も、ショロトルは変わらず犬の姿で死者を導いていた。
「はぁ……」
吐き出した息は、やけに重い。
テパには正体を隠し続けてきた。
だが、あの場でのテスカトリポカの言葉――あれで、勘づかれていてもおかしくはない。
碌に話もできぬまま離れてしまったことが、胸の奥に鈍く引っかかっていた。
「ワンちゃん、どうしたの?」
幼い声に呼び止められ、とぼとぼ歩いていたショロトルは足を止める。
「……いや、何でもない」
慌てて取り繕う声は、驚くほど空虚だった。
勿論、それで胸の靄が晴れるはずもない。
◆
ミクトランの門の前にて。
「さ、帰るか」
悶々とした思いは、ここに来るまで遂に晴れることはなかった。
(もし聞かれたら……その時は、正直に言うしかない)
そう覚悟を決め、一歩踏み出した時だった。
「――っ!?」
視界が揺れる。
気がついた時には、ショロトルは口を塞がれ、四肢を拘束されていた。
(ん……っ! ん……っ!!)
藻掻く間に、ショロトルは変身を解いてしまった。
「次はお前だ」
「……!!」
聞き覚えのある声がする。
「見せたいものがある」
「お、おま――」
言い切る前に、ショロトルの身体は門の向こうへと引きずり込まれた。
◆
「くっ……」
ショロトルは後ろ手に縛られ、奇妙な部屋へ連れて来られる。
(ホーゥ……)
あちこちに青白い炎が揺らめき、梟の声が寂しく、そして不気味に響いている。
ミクトランへの道中にも梟はいるので、この声には慣れている筈だった。
だが――ここでは何故か異様に耳障りで、肌を逆立てる。
「フフフ……」
振り返るまでもない。
背後には――闇の神テスカトリポカが立っている。
煙で編まれた枷が、容赦なく腕を締め上げている。
(こいつ……意地でも僕を逃がさないつもりだな)
ショロトルは歯噛みするも、どうにもならなかった。
◆
「止まれ」
テスカトリポカに命じられ、ショロトルは急に足を止める。
そこには――帳がただ一枚だけある。
「もうすぐだ」
その言葉と共に、帳の向こうに影が現れる。
朧げな輪郭でもはっきりとわかる。
――男と女が、一人ずついる。
(ミクトランテクートリと、ミクテカシワトル……?)
違和感がある。
二人は服を着崩している。
とてもミクトランの主夫妻に相応しくない。
(あっ……)
ショロトルは、この後何が起こるのかを薄々察した。
背筋を虫が這いあがるような、嫌な予感がする。
◆
その後の二人の行動は、ショロトルが予想した通りだった。
「もういいやめ――」
堪りかねてそう叫びかけたところ、テスカトリポカが口を塞いだ。
「聞こえるぞ。元が犬だからって騒ぐんじゃない」
(……っ)
癪に障る言い方だが、今の状態では歯を食いしばるしかない。
「ここにはもう用はない。出よう。もっと重要なことが、この先でわかる」
テスカトリポカはショロトルの首に煙の縄を巻いて歩き出す。
その様は正に犬を連れているようだった。
(こいつ、僕のこと舐めやがって……)
怒りだけが、辛うじて意識を繋ぎ止めていた。
◆
続いて向かった先は、円形に広がる異様な空間だった。
「うわ……」
中央に巨大な穴が開いていて、その中に青白く光る繭のようなものが幾つも張り付いている。
「中をよーく見て見ろ」
「……ん……?」
ショロトルが目を凝らすと、中に小さな影が浮かんでいた。
小柄なそれは、手を握り、解き、ゆっくりと動いている。
「……こど、も?」
そう呟いた直後のことだった。
その”子ども”の皮膚に、一瞬だけ、体を駆け巡るかのように光が走った。
この空間と同じ色。
――紋章だ。
(まさか、これって……)
嫌な確信が脳を震わせる。
間違いない。
あれは確かに贄となる運命の者だ。
(ふぁ……)
何も知らずにただ動くその姿が、ひどく脆く、哀れに見えた。
◆
「あのシンカヨトルとかいう少年の正体が、これでわかっただろう?」
テスカトリポカの嘲るような言い方に、ショロトルは何も言い返せなかった。
自分たちの命を延ばす為、身を粉にして戦っているあの少年が、いつかは自分たちに捧げられる運命にある。
「……」
現実が重すぎて、受け止めきれない。
ショロトルの思考は、完全に止まった。
◆
(とりあえず……シンの正体はわかった。でも、テパは?)
その疑問を読んだかのように、テスカトリポカが口を開く。
「あいつの片割れ――テパティリストリといったか、あいつの正体はまだ掴めていない」
「……」
「だが、あいつにも“何か”ある。そうとしか思えない」
「違う!」ショロトルは即座に言い切る。
「あの子は普通の人間だ! こんなところと何の関係もない!」
「……どうかな」
軽くいなして否定するテスカトリポカは、懐から見事な刺繍が施されたティルマを出した。
「あいつがこれに血をかけ、俺の僕・チャアクを呼び寄せた。これは明らかに、普通の人間にできる芸当ではない」
「……っ」
言葉が詰まる。
否定しきれない現実が、喉を塞いだ。
◆
二柱の神は、ミクトランの門に戻ってきた。
「フッ!」
テスカトリポカは、ショロトルの拘束を解いた後、思い切り蹴飛ばした。
「精々役に立ってくれ、哀れな犬よ」
その言葉に、ショロトルは地に転がりながら睨み上げた。
(くっ……こいつ、僕のことを犬としか呼ばない……)
怒りがふつふつと湧き上がるが、ショロトルは感じた。
――地上では間もなく夜が明ける。
「覚えてろよ……『原初の四柱』だからって好き勝手やっていいと思うな……」
屈辱に耐えられず放った捨て台詞。
それさえも、端々に体の痛みを滲ませていた。
◆
地上へ戻る道すがら、ふと、ある約束がショロトルの脳裏をよぎる。
(はっ、まさか……)
先程まで燃えていた、闇の神への怒りの炎。
その矛先は、今や別の存在へと傾いている。
(ミクテカシワトル……!!)
低くくぐもった声が、闇の中に沈んだ。




