(第四十九話)鏡に囚われたシン
『お前の母はミクテカシワトル。そして父は……冥界の王ミクトランテクートリだ!』
閉ざされた闇の空間で、テスカトリポカの強烈な台詞がこだまする。
恐怖に慄くシンとテパは、身動きが取れなくなっていた。
「……ふむ」
ずっとシンを見ていたテスカトリポカが、ふとテパに目を合わせる。
(フッ……)
その表情は――明らかに何かを企んでいる。
テパが、何をするつもりかと身構えた時。
(パチン)
指を弾く音がした。
それと共に、散らばっていた黒曜石の欠片が、目にも留まらぬ速さで一点に集まる。
そして――天井から床まで届く巨大な鏡になった。
「!!」
鏡の中から塵が現れ、逞しい腕の形を成す。
それは怯えて硬直していたシンの体をがっちりと掴み、漆黒の鏡面へと引き込んでいった。
「シン! シン!!」
声を張り上げ呼びかけるテパの口を、黒い塵が塞ぐ。
「折角の機会だ。この少年に何があったか、その目でとくと見るがいい」
闇の神は、抵抗など無駄だとでも言いたげに悠然としている。
テパは、鏡の中で俯いたままのシンが、心配でならなかった。
◆
鏡に囚われたシンは、テパがその様子を見ているのにも気づかず、過去を思い出している。
そこは、嘗て姉と住んでいた家だった。
『私の分まで、しっかり生きて』――。
脳の中でその言葉が、何度も、何度も響く。
それでもシンは、姉の死を受け入れられなかった。
「姉さんなしで生きるくらいなら、姉さんのところに行きたい……」
シンはそう呟き、喉元に短剣を突きつける。
だが、その手は震えていた。
刃がなかなか入らなかった。
「んあぁぁぁ!!!」
シンが苛立って短剣を投げ捨てた、その時だった。
「!?」
シンはある異様なものを見る。
青白い光に包まれた何かだ。見覚えがある。
姉が贄にされる前に浮かんでいた紋章だ。
そしてそれが浮かび上がっているのは――
――自分の腕だった。
「うわっ……わぁぁぁ!!!」
シンは恐怖に駆られ、家を、そして村を飛び出してしまった。
◆
村から離れ、誰も追いかけて来なくなったところで、シンは足を止める。
「……」
夜のサクベを照らすのは、月や星の明かりではない。
自分の体から放たれる、青白い光だった。
「これは……」
紋章はいつの間にか体全体に広がっていた。
しかも、その模様は一層複雑になっていた。
『哀れなる贄よ、早まるな』
「……?……」
シンはぼんやりとした意識のままで耳を傾ける。
遠い空から、震えるような声が聞こえたのだ。
『お前とお前の姉は、予め神に捧げると決められた”贄子”なのだ。どう足搔こうとも、心の臓を抜かれる定めからは逃れられない』
「……何……だっ……て……?」
『その紋章が証だ。お前や姉が、生まれた時から神と繋がっていることのな』
「そ、そんな……」
唐突に絶望的なことを言われ、混乱を極めるシン。
ここに来て急に、忘れかけていた姉の遺言が蘇った。
『私の分まで、しっかり生きて』
「姉さんは、僕に死んでほしくなかった。この腕輪だって、姉さんが託したものだ」
腕輪のケツァリツリピョリトリが、鈍く輝いている。
「なのに、その思いが無駄だっていうのか……?」
シンは悲しくて、悔しくて泣いた。涙がとめどなく溢れた。
そんな彼に、天の声は告げる。
『生き延びる方法なら、ある』
◆
「どういうこと……だ」
『この世には”魔獣”と呼ばれる者どもがいる。町を破壊し人間を襲う化け物だ』
「……魔獣……?」
『そいつらの中には紋章が刻まれた人間がいる。そいつを祭りで、神の贄として捧げるのだ。そうすれば、お前はその分生きられる。死を先に延ばせるのだ』
「……」
沈黙の後、シンは言った。
「……嫌だ!」
命を延ばす為に、血の繋がった兄弟を殺す。
そして、その心臓を贄として捧げる――。
(これじゃあ、姉さんを殺した奴らと同じじゃないか……)
『姉の遺言を守りたいのだろう?なら迷う暇などないはずだ』天の声が続ける。
「嫌だ!嫌だ!!」
シンは泣き叫んだ。
「……!!」
夜空を見上げた瞬間、シンの目に、黒い煙に包まれた鏡が現れる。
しかもそれは、シンの体が丸々入るくらい大きかった。
「……っ!」
シンは意識を失い、その中に吸い込まれた。
(僕にとって大切なのは、姉さんの思いを守ることだ。こんな程度で弱音を吐くことじゃない)
『……フッ』
天の声の不敵な笑みが響く。それと同時に、シンは立ち上がる。
その目は冷徹で、あらゆる他者を拒絶しているかのようだった。
「……やるか」
シンは気づいていなかった。
自分の、心の奥底に秘めていたつもりの闇が、みるみる解放されていたことに――。
◆
「そしてこいつは、あの鏡の中で、あらゆる化け物と戦った。どんな魔獣をも、必ず倒せるようにな」
テスカトリポカがテパに見せている鏡の中に、鏡がある。
囚われているのと同じ、真っ黒な鏡。
その中で、シンは必死に戦っていた。
「ふっ! はっ!」
次々に現れる怪異に、シンは小刀を、矢を、そしてマクアウィトルを振るう。
「はぁ……はぁ……」
今まで何かと戦ったことなどない。
武器もただ、振り回しているだけ。
それでも、自身の非力さを嘆く余裕はない。
『姉さんの思いを、絶対に叶えるんだ』
ただその思いだけを胸に、シンは持てる執念の全てを燃やして攻撃を加える。
(グアァッ……)
敵は、弱々しい断末魔と共に息絶えた。
「なんだ。思ったより簡単だったな」
変わり果てた怪異の姿を目にしても、シンの瞳は揺らがない。
(シン……)
テパはそんな彼の姿が、痛々しくて堪らなかった。
◆
「つまりはこういうことだ。わかったか?」
テスカトリポカが、テパに意地悪く詰め寄っている。
「……」
テパの耳には彼が言うことは入っていなかった。
それ程に、衝撃が大きかったのだ。
(ガシャン)
黒い鏡が割れ、囚われていたシンが出てきた。
同時に空間が開け、外の世界が見えてきた。
――もう、夜になっている。
「……フッ」
テスカトリポカは、テパの肩で自分を睨むピルトに目をつける。
「仕事だ。早くここを去れ」
すると彼は、ピルトをテパの肩から引き剥がし、どこかへ飛ばしてしまった。
「わあぁぁぁ!!!」
「ピルト!!」
シンの身を案じる間もなく、テパは大切な仲間と引き離された。




