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血汐の群れる朝が来る前に  作者: Masa plus


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(第四十八話)黒曜石の欠片

 シンとテパが兵に追われていた頃。

 光の届かぬ闇の空間で、ひとつの影が音もなく立ち上がった。


「どちらへ行かれるのですか!?」


「……」


縋るような声を上げたのはチャアクだった。

だが、その問いに応じる気配はない。


「あの、どうか……どうかテパは……!」


懇願の言葉が形を成す前に、彼の身体は見えない力に縛り上げられた。

抗う間もなく、四肢は闇に封じられる。


「安心しろ」


低く、しかし確信に満ちた声が響く。

 

「大事なことを伝えに行くだけだ」



――パチン。


 

指が鳴った瞬間、空間に浮かんでいた黒曜石の鏡が砕け散った。

鋭い破片が無数に飛び、闇へと溶けていく。


その先に繋がるのは――。

シンとテパが逃げ込んだ、あの森だ。



 茂みの奥に、二つの影が息を潜めている。


「ここなら大――」


言い終える前に、声が割り込んだ。


(おい、出てこい!)

(くそ、どこ行ったんだ)

(逃げられると思うなよ!)


怒号は近い。あまりにも、近すぎる。


先程まで遠くにあったはずの気配が、瞬く間に迫ってくる。


「やっぱりだめだ。逃げよう」


シンとテパは、足音を立てないよう注意しながらその場を離れた。



 どれほど走っただろうか。

 やがて、追手の声は消え、足音も途絶えた。


「もう……大丈夫、かな」


テパが恐る恐る茂みから出ると――。


 

(ドガッ、ドガッ)


  

「ひゃっ!!」


すぐ背後から叩きつけるような音。

反射的に身体が震える。


「違う」 

 

シンの手が、そっと背中に触れた。


「あれは兵士じゃない」


「えっ?」


「この森にいる獣だ」


言われて目を凝らすと、確かに見える。

木々の間に揺れる影は、人間よりもはるかに大きい。


「あ、ほんとだ。何だ……」


安堵しかけたテパを、シンの声が引き戻す。

 

「安心してる場合じゃない。ここも危険だ。出よう」


二人は再び歩き出した。



 辿り着いた先は、命の気配に乏しい岩地だった。


「ここ、本当に安全なの……?」


無理もない。

人の気配はないが、それは同時に“何もない”ということでもあった。

食べ物は見当たらず、足元には細く頼りない水の流れがあるだけである。


「魔獣と必死で戦った結果がこれか……皮肉だな」


シンが乾いた声で呟く。


「酷いよ、こんなの……」


テパはその場に崩れるように膝をついた。

シンはただ隣に座り、寄り添うことしかできない。

 

「王都でここまで警戒された。噂はもう広まるだろうな……」


重い現実を噛みしめるように、彼は言う。


「暫くは、ここにいるしかない」


二人は僅かな水をすくい、喉を潤す。

それだけで、空腹を誤魔化すしかなかった。


(あぁ……)


遠くから見守るピルトは、歯噛みした。

だが、できることは何もない。


(どうか……二人とも死なないで……)


その願いだけが、胸の奥で燃えていた。



 昼過ぎになり、空が少し曇ってきた。そして涼しい風が吹いてきた。


「……あのさ」


隣で俯いていたテパが、ぽつりと口を開いた。


「ザワリが言ってたけど……シンも前に言ってたよね? ”自分は初めからここにいたんじゃない”、って」


「……覚えてたのか」


返事はかすれていた。

視線はどこか遠くを彷徨っている。


「ずっと気になってたんだ。ザワリが出してたの。骸骨の顔した男の人と女の人、他にもいっぱい、人の形の……」


「……」


シンは視線を逸らしたまま、沈黙している。


(ん……)


テパは横目でシンを見る。

だが、すぐに視線を逸らしてしまった。

 

(……あ)


伸ばしかけた手も、触れる前に引っ込めた。



 時間が流れ、雲は厚みを増し、風は唸り始めた。

 二人は大きな岩陰へ身を寄せる。


「実は、だな……」


シンは岩陰で、やっと口を開く。


「魔獣は――」



(ピキン――)



その音に、シンは気づかなかった。

そして、足元に落ちていた、黒曜石の欠片にも――。



(フワッ……)


 

ひとりでに欠片が割れ、粉塵が舞う。

指先ほどの大きさしかない欠片から、あり得ない程の量の黒い粉塵が、空間に広がっていく。


視界が、闇に侵される。



「ハハハハハ……!」



渦巻く塵の向こうに、突如黒い影が現れた。


徐々に近づくそれは、黒い体をしている。

右脚はなく、煙がそれらしい形を成している。


胸元には、紅白の縁がある大きな鏡。


そして顔は、黒と黄色の縞模様。


シンは悟った。


「……テスカトリポカ!?」



 腕を組んで悠然とした姿で、テスカトリポカが現れた。


「おいおい、この俺の前でその態度か。頭が高いぞ」


恐れ戦いて闇の神の顔を見つめていた二人の耳に、雷にも似た闇の神の声が轟く。


「はっ! も、申し訳ございません……」


シンは慌てて頭を下げる。それを見てテパも続いた。


だが、ピルトだけは違った。

自分の存在に気づいていない彼を、ただまっすぐに見据えている。


「お前……何しに来た」


「おう」


その一言で、ようやく神は彼に気づいた。

 

「成程、尾けていたということか」


その言葉に、テパがはっと動揺する。


「ピルト……どういうこと?」


そっとピルトに顔を向けて問うたが、ピルトはテスカトリポカをじっと見つめたまま答えない。


「お前、そいつが気になるか?」


テスカトリポカの声が、いつの間にか耳元にある。

テパは息を呑み、かろうじて踏み留まる。


「……いや、まだいい。それより……」


神の視線が、ゆっくりとシンへ向けられる。


「俺が用があるのは、こいつだ」


一歩、近づく。 


「顔を上げろ」


「……」


シンは動かない。

その沈黙を嘲るように、神は告げた。

 


「お前が倒してきた魔獣とやらは、全てお前の兄弟なんだろう? ()()()()()()



 

「――ッ!!」



『魔獣の正体は、シンの兄弟である』――。


その言葉は、凍てつく刃のように思考を断ち切った。

シンだけでなく、その隣のテパも。



(そんな……う、嘘、でしょ……?)



以前シンから聞いたのは二つ。

自分が初めからこの世界にいたのではないということ。

唯一の家族である姉を、生贄という悲しい形で失ったこと――。



(魔獣が……今まで戦ってきた奴らが兄弟だなんて……)



理解が追いつかない。

その隙間に、テスカトリポカの声が滑り込んだ。


「お前の母はミクテカシワトル」


冷ややかな、そして愉しむような声。


「そして父は……冥界の王ミクトランテクートリだ!」

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