第四十話「全ての交差点・下」
緊迫した空気に耐えかねたのか、イリアがゴホゴホと咳こんだ。
僕は彼女の背中を軽く叩きながら、ウェザロブの問いに答える。
「いや、僕にそんな力はないよ。ただ、一緒にいた方がチャンスは多いと思う」
「……大将には色々と秘密がありそうだな」
この時、僕は何も考えずにウェザロブの心に踏み込もうとしていた。
彼が何者で、何を考えていて、何の為に生きているのか。
それを安易に会話だけで推測し、対処したのだ。
「君に僕の秘密を教える。だから君は僕の仲間になってくれないか?」
「……良いのか? そんな簡単に人を信じて」
「ああ、もちろん信じていない。君は飄々としていて本心を隠すタイプだし、カードが多すぎて駆け引きをするだけ無駄だと思う」
「ふぅん、大事なカードを引けるチャンスかもよ?」
大事なカードを引けるチャンス。
その言葉を聞いた瞬間、僕はあの森での光景を思い出した。
あの謎の男。姿すら確認できなかった静かな口調の男。
あれこそ僕が引くべきとても大切なカードだったのではなかろうか。
北方平原は一般人が軽いノリで入れる場所じゃない。一人でたき火をしているなんて違和感の塊だ。
(あれを引けなかった事を考えると、多少のカードを引けなかったくらいどうってことないよな)
これからも大事なカードを引くべき場面は多々訪れるだろう。歴史を改変し、大切な人達の為に利益を追求しようとしているのだ。命を削ってでも手に入れるべき場面も当然あるに違いない。
だが、逆に考えれば何度でもカードを引くチャンスは訪れるのだ。
今回が駄目なら次回、次回が駄目ならその次、何度でも、何度でも。
もちろん、良いカードを引けなかった場合は大きな痛手を負うかもしれない。
ウェザロブに対して重要な情報を引き出せずに仲間にしてしまったら、とんでもないタイミングで裏切られる可能性だってある。
(だから躊躇するのか? いや、ここは踏み込む場面だろ!)
「君が僕の仲間になれば、その大事なカードごと僕の物になるとは考えられないかい?」
「その考え、いつか後悔するぜ」
「……正直怖いけどね。でも僕には危険を負うだけの理由があるんだ」
「今から教えてくれるのかい?」
「うん、その前に一つお願いを聞いて貰っても良いかな?」
「ん?」
「イリアの呪いを解く方法を教えて?」
「……大将、あんた良いよ。本当にあんたの下に付きたくなってきた」
ずっと不思議だった。
この馬車の中では魔法の効果が切れるはずなのに、イリアは記憶を失い言葉を紡ぐ事が出来なくなっている。衝撃を受けたなどの外的要因による記憶喪失でもない限り普通はこんな状態にはならない。
だが、逆に考えてこんな状態の人間を生かしておく理由があるだろうか。
異世界から来たというだけのただの人間。獣人のように特殊な能力がある訳でもなく、魔法で貢献する様子もない。性を満たすだけの玩具にするには日本人の身体は起伏に富んでいない。まぁイリアは結構スタイル良い方だと思うけど。眼鏡美人というか、クールな顔が似合っている。
「あんたの言う通りだ。こいつは催眠術に似た魔法を何重にも掛けている。ある言葉を掛ければ記憶は戻るはずだ」
「……僕が二人を外に出した理由は分かるね?」
「ああ、ここまで話せばな」
少しだけ間が空いた後、僕とウェザロブは同時に口を発した。
「彼女はまだ何もされていないの?」
「夜の相手にしたいんだろ?」
……こいつ、やっぱりぶっ飛ばそうか。
「はぁ……。ウェザロブ、君と僕を一緒にしないでくれ」
「何言ってんだよ。英雄色を好むって言葉知らないのか?」
「この世界にもあったんだ……その言葉」
「大将の言う通りこいつはあんたの為に急遽用意した初物さ。まだあんたが手を出していないのなら、綺麗な身体ってことさ」
ウェザロブの舐めるような視線にイリアがビクリと怯えた。
「ちなみにウェザは色を好むの?」
「ああ、女は腐るほど抱いてきた。この旅でニッチェルを食べようと思っていたけど、大将にご執心みたいだし、振られるのを待ってるんだ」
急に生き生きとし始めるウェザロブに呆れつつ、僕は彼を解放した。
「その催眠術を解除する言葉を教えて」
「両目を抑えた状態で、“ジークムルト”と言えば解除されるはずだ。俺が掛けた訳じゃないから分からないけどな」
「赤マントの魔術師達が?」
「大将はほんと鋭いな。子供とは思えないな」
「ごめん、順番が狂っちゃったね。先に僕の秘密を教えるよ」
「あいよ」
ウェザロブはイリアにウィンクすると、楽しそうに僕の顔を見た。
僕は頭の中でずっと計算していた。
彼が味方の場合でも敵の場合でも利益になる嘘の内容を。
「……僕は実は転生者なんだ」
「転生者? 生まれ変わりって事か?」
「ああ、しかも面白い事に僕の兄も転生者なんだ」
「……へぇ」
僕は嘘と真実を織り交ぜながらクリアハルト物語を紡いだ。
まず、僕は崩壊戦争で死んだレイブランドの兵士の生まれ変わりだと説明した。前世のクリアハルトが使った転生の魔法によって、魂だけがクリアハルトに入ったのだと。
異世界から来たと言ってしまうと舐められてしまうかもしれないと思ったからだ。この世界の事を僕はクリアハルトとしての今までの人生分しか知らない。そう思われると彼が敵だった場合に嘘を吐きやすくなる。知らない大陸や知らない制度に直面した時に騙されるのは出来るだけ避けたい。
次に、崩壊戦争を止めたいと思っている事を説明した。
崩壊戦争はレイブランドとアルティアがぶつかる歴史的な戦争であり、これを止める事で地位や名誉を得る事が出来ると。もちろん国に反旗を翻す訳なのだから地位や名誉の話は嘘なのだがウェザロブの瞳は輝いていた。
それからフレアハートを元の身体に戻したいとも言った。
これはクィンクに聞かれたくなかった僕の本心であり、フレア姉さんはエルフの身体の方が似合っていると思った僕の個人的な願いだ。
僕はクィンク、バルサ、フレアハートに想いを寄せている事も素直に話した。ウェザロブはニヤニヤしながら「こいつやニッチェルも加えてやれよ」とイリアを指差したが、今はまだ考えられないが可能性がない訳ではないと正直に告げた。
実際イリアが本当に日本人で、日本に帰る事が出来ない時は僕が面倒を見るしかないと思っていたから。
「嬉しいぜ大将。あんたがそこまで打ち明けてくれたら俺も正直にならなきゃ駄目だよな」
「そうしてくれると僕も嬉しい」
出会ってすぐも思ったけど、ウェザロブは僕にとって初めて出会う年の近い男性だった。腹を割って喋る事が出来て本当に嬉しい。……実際には腹を割っていない訳だけども。
「クーリアが獣人差別を始めたのはあいつら赤ローブが来てからなんだ」
「一体彼らは何が目的なんだ?」
「赤魔道師ギルドは人間至上主義者の集まりで獣人を下に見てるんだ。だから、クーリアにはこの大陸を完全統治して欲しいってよ」
獣人にクーリアを攻めさせた神聖クライアル王国と、人間に獣人の国を襲わせた赤魔道師ギルド。これじゃあまるで彼らの代理戦争みたいじゃないか。
「今頃正規軍が赤魔道師達と一緒にフレメイラを侵攻中だ。あそこはそれほど広くねぇから三日くらいで統治されるんじゃねぇか? なるべく早く逃げないと追いつかれちまうぜ」
「かといって隣国に進む訳にも行かないしな……」
これ以上獣人を殺してしまっては、兵士達の行き場がなくなってしまう。流石に彼らを連れてレイブランドに戻る訳には行かない。
「だったらよ、一芝居打つってのはどうだ?」
「一芝居……?」
「幸いソイラルは多種多様な獣人が暮らしているんだ。昔のクーリアの首都があるし、建物も多い。人間に追われてきたとなれば、受け入れてくれると思うんだが」
「……僕達はどうすれば?」
「そりゃ、南に降りて海に逃げ出すしかねぇだろ。イワルは縄にでも縛っておけば命まで取られないはずだ」
何だか楽観的過ぎる気もしたけど、悪くない作戦だとも感じる。
獣人達だって差別を受けるクーリアにいるよりも、獣人達が主体の国に住む方が幸せになれる可能性が高いだろう。フレメイラで死ぬはずだったと思えばどんな所だって生きられるはずだし。
「だけど、ウェザはこの大陸を放置していくのか? クーリアは侵攻を続けるだろうし、ウォタルやソイラルだって黙っていないと思うけど」
「むしろ、腐りきったクーリアにとってもクーリアを滅ぼしたい獣人達にとっても良い機会だったんじゃねぇか? 一度ドンパチやって決着を着ければすっきりするだろ」
「……ほんとウェザは軽いなぁ」
「大将が難しく考えすぎなんだよ」
確かに、騙され巻き込まれた戦いの行く末など知った事ではないと思う一面もある。だけど、関わってしまった以上は最後まで責任を取りたいとも思う。
ここで僕達だけ逃げ出しても良いものだろうか……。
「あ、この場合は大剣士としての立場はどうなるんだろう」
魔王という脅威が現れた事による大剣士への緊急要請。
そもそも魔王が現れていない場合はどうすればいいのか。
「馬鹿だなぁ。魔王が現れていないのに受理される訳がないだろうよ」
「え、そうなの!?」
「ああ、あんたはギルドで大剣士である事を告げた瞬間、大きな流れに飲み込まれちまったのさ」
「……あまりにも展開が早すぎると思ったけど、そこから始まっていたのか」
「流石に一日準備の時間が必要だったけどよ、大将が女や酒好きだったらそこから情報を仕入れてたかもな」
確かに、情報の飛び交う酒場なら魔王が現れていない事くらいすぐに分かっただろう。女性を買うような場所でどうやって情報を仕入れるのか分からないけど、次からは積極的に情報を取り入れるようにしよう。
「じゃあ、明日の早朝、イワルには西のフレメイラに俺達が裏切ったと伝えに行ってもらう。その間に俺達は獣人をソイラルに連れていく。……で、良いか?」
「うん、予定外の事故がない限りそれで」
ウェザロブは大きく両手を挙げて息を吐くと、眠たそうな顔で右拳を突き出した。
「あんたと出会えて良かったよ。これからよろしくな」
「ああ、よろしく」
僕は彼の拳を右拳で突いた。
お互いの腹は隠れたまま、これからの作戦が決まった瞬間だった。
□ □ □
ウェザロブと入れ替わりに入ってきたクィンクの顔を見て僕は飛び上がった。
「りりり、リンクル!? どうしたのその顔!?」
「……ふぇ? なん……に?」
瞼ほとんど開いていない。
首はカクカクと縦に揺れていて、口は半開き。
端からは涎が零れている。
――とても眠たそうだ。
「ね、眠たいんですか!?」
「……う、ん……まほ…連発……疲れ…」
クィンクはフラフラと体を揺らしながら、僕の胸元へと収まった。
とても幸せそうな笑顔を浮かべて、
「にゃあ……悠人…匂い……好き」
と、寝言のように大胆発言を僕の耳にぶち込んだ。
僕は今すぐ抱きしめて一緒に寝たい気持ちでいっぱいだったが、イリアの件で思い留まった。ウェザロブを信頼すると言いながら催眠術を解いていなかったら説得力がないからだ。
「……とりあえず、先に寝よっか」
「ふぁ……い」
今まで見た中で最も無防備なクィンク。
体中から良い匂いを発しているし、何だか離れるのが勿体なかった。
ベッドに転ばせると、布団を抱き枕にして気持ち良さそうに唸った。新事実だが、竜人も「にゃんにゃん」と鳴くらしい。正直可愛すぎて鼻血が出そうだ。
「……悠人ぉ、どこ……?」
「はいはい、ここにいるよ」
目を閉じたままブラブラとさせるクィンクの両手を掴む。とても小さな手だ。
「え、へへ……今日の……かっこよか…た?」
「ええ、とても。流石は僕の先生です」
「だった……らぁ、おぼえ……てる?」
「覚えてる?」
「………んっ」
クィンクは最後の力と言わんばかりに瞼を開き、口をきゅっと閉じた。
そして僕の後頭部を掴み、グイと――、
「んっ……」
戦場では一瞬過ぎて何も分からなかった事が、全て伝わってくる。
クィンクの唇は柔らかく、先だけ少し硬い。唾液は甘く、積極的に舌を僕の口内で躍らせる。ザラザラとした感触が僕の舌を刺激する。
「……んっ……あ…ふぅ…ん」
「りんっ……くっ…」
頭がボーっとする。彼女の瞳がとろりと僕を見つめていた。
目じりから涙が零れ、唇を放すと小さな声で、
――好き。
と呟いた。
「僕もリンクルが……っ」
大好きです。
と、言おうとした時にはもう、クィンクはすでに夢の中へと旅立っていた。
(癖になりそうだ……)
前世を含めれば魔法使いになれる年月を経て、ようやく僕は異性とキスをする事が出来た。しかもその相手が大好きなクィンクだなんて最高すぎて踊りたくなってきた。
「……………寝てるけど、良いかな、良いよね」
両想いなんだし。
僕はそっとクィンクの頬を撫で、顔を近づけて――、
――ガシャン!!
「ひうっ!?」
「……あ、……あ」
イリアが恨めしそうに僕を睨んでいた。
どうやら位置的にクィンクが眠っているのが見える様子だ。
「じょ、冗談ですから」
「……あ」
光の加減で茶色にも黒にも見える瞳が僕をまっすぐ突き刺していた。
記憶を失っているにしては、寝ている女性を襲ってはダメと知っているなんて良識ある女子ですね。性善説を裏付ける生きた証拠になりそうだ。
(……って、早く記憶を取り戻してあげなきゃ)
この時、僕はもう少し思慮深くなるべきだった。
何故僕の元へ異世界人の女性が送られてきたのか。
何故大陸同盟の管轄である剣士ギルドに大剣士だと告げた瞬間から作戦が始まったのか。
何故ウェザロブはこんなにあっさりとイリアの催眠術を解く方法を教えてくれたのか。
そして何故、催眠術を解く暗号がジークムルト、
この世界で「覇王」という意味が込められていたのか。
もう少し、ほんの少しだけ考えられなかったのだろうか。
「今から催眠術を解くからじっとしててね」
「……あ」
「……行くよ。〝ジークムルト”」
運命の交差点は多くの思惑を絡ませて、そして再び動き出した。
「……うちの名前は――」
蓮見京子、彼女はそう言った。
僕がこの世界で出会う〝二人目”の日本人だった。
次は第三章の登場人物をおさらいします。




