第三十九話「全ての交差点・上」
馬車内の張りつめた空気にイリスが戸惑いの表情を浮かべていた。
僕は彼女に紅茶を淹れて安心するように伝えると、中央に並べられた椅子に座った。目の前にはウェザロブとニッチェルが座っている。僕の隣でクィンクが不機嫌そうにウェザロブを睨んでいた。
「イワルには兵士達の統制に回ってもらっている。いつでも始めてくれ」
ウェザロブは余裕の表情を浮かべていた。
両手足を縄で拘束しているのに全く動じていない。
まるで“自分には一切後ろめたい事がない”と言いたげな表情だ。
ギアレスを倒した後、僕はウェザロブの自由を奪った。興奮した兵士達が暴動を起こさないようにひっそりと剣を背中に突きつけたのだ。
ウェザロブはこうなる事が分かっていたかのように抵抗の意思を見せなかった。集合場所に指定していた東の森へと移動し、すぐさま僕達の馬車へ閉じ込めた。馬車内は魔法が使えないので都合が良かったからだ。
兵士達には待機するように命令し、僕とクィンクは彼らを尋問する事に決めた。
「あの……、私は拘束しなくてもよろしいのですか?」
ニッチェルが不安げに呟く。自分から拘束されたいなんて変な話だが、ウェザロブに誤解されたくないのだろうか。
「リンクル、ウェザを見てて貰っても良いですか?」
「……ええ、もちろん」
クィンクの歯切れが悪い。恐らくウェザロブに対して憤りを感じているのだろう。意外と熱くなるタイプだからな、クィンク=ドラゴン=リンクルは。
「ニーナ、こっちへ」
「は、はいっ」
僕はニッチェルを馬車へと連れ出す。
彼女は戸惑いつつも迷いなく僕の後ろを付いて来た。
もし彼女がウェザロブの自由を取り返す為に僕達を制圧しようと思っているのなら今が絶好のチャンスだ。僕は黒竜刀を鞘に納めているし、一度も振り向くことなく馬車の裏へと移動している。
「あの、本当に……」
「ニーナってさ」
「は、はいっ!?」
「最初の頃と雰囲気が違うけど、どっちが本当のニーナなの?」
「あ、えっ、えっと……」
顔を真っ赤にするニッチェル。
端正な顔つきが崩れる様は支配欲のようなモノが満たされるな、うん。
「あ、あの時は緊張していて、その……、変でした……よね?」
「うん、まぁ凛々しい人だなぁとは思ったかな」
「は、恥ずかしいです! 思い出させないでくださいっ!」
どうやらクリアハルトに対して過度な憧れを見せるニッチェルが本物のようだ。
これが演技だったとしたら僕にもクィンクにも女優ニッチェルの本心を見抜く事はできないだろう。
「ウェザが王族の人間だというのは前に聞いたけど、君はどうなんだ?」
「わ、私はただの貴族の娘です! 兵役を免れないほどの小さな……」
「イワルも?」
「いえ、イワルは一般の正規兵です。新人なので選ばれました」
「なるほど……、でもニーナが貴族の娘だって事は僕達の敵になる可能性があるって事だよね?」
「敵」の単語を聞いた瞬間、ニッチェルの顔が悲しみに満ちた。
「信じて貰えないかもしれませんが、私はあなたを裏切ったりしません」
「何でそこまで……?」
「……私はずっと、あなたのような人に仕えたいと思っていました」
「僕のような人に?」
「ええ、クーリアは非常に閉鎖的で澱んでいます。貴族同士も足の引っ張り合いで、私はずっとこの世界に生まれてきた事をうんざりしていました」
ニッチェルの頬を涙が伝った。言葉に偽りがないと証明する澄んだ涙が。
「言葉では言い表せないほど汚い世界を見て来ました。父は不正を働き、母は他の貴族に身体を許し、兄や姉は積極的に他者を貶める行為を繰り返してきました。私も家族に倣って悪事を働こうとしましたが、足が竦み、心が凍って動けなくなりました。父も母も私を不出来な娘だと罵り、兄達はそんな私を見下し嘲笑してきました。だから私は……、私は……」
「ニーナ、落ちついて。大丈夫。間違った事は言っていないよ」
フレア姉さんなら抱きしめて慰めたのだろうけど、僕はニッチェルの頭を撫でるのが精いっぱいだった。それでも喜んでくれたのか涙を流しながら彼女は笑った。
「私は不出来な娘として兄達の代わりに兵役を受ける事になりました。クーリアの貴族が子供を沢山作るのは、跡継ぎを兵役に出さない為の生贄を用意する為なんです。もうそこから狂ってますよね」
「うん、そう思うよ」
僕はニッチェルの言葉を肯定した。それは彼女の存在そのものを否定する行為だったけど、中途半端な嘘は余計に傷を深くすると思ったからだ。
「やっぱりクリアハルト様は優しいお方ですね。私はそんな人を騙そうとしていたなんて……それじゃあ、兄達と……」
「違うよ、ニーナ」
「あっ……」
僕の右手は自然とニッチェルの後頭部に触れていた。
そのままグイと顔を肩の上まで引き寄せる。背の高さが同じくらいだったので、彼女の涙に塗れた頬が僕の頬に触れた。
「人を騙せる人間は自分のした事に対して涙なんて流せない。君はまだ罪を償う事ができるんだ」
「クリアハルト……っ」
ニッチェルの痛みや苦しみが身体を通して伝わってくる。
だが僕はそれを受け入れる事はできない。
何故なら、僕は今まさにニッチェルを騙そうとしているからだ。
もちろん彼女を不幸にするつもりはない。あくまで彼女がクーリアの軍人であり、ウェザロブを裏切る事が出来ないというのなら、ウェザロブと一緒に拘束してイワルにクーリアへと連れて帰らせるつもりだった。
しかしながらニッチェルは僕の事を裏切るつもりはないという。クーリアにも不満を持っていると言っている。
(だけどクーリアの、ウェザロブの悪意を見抜いてどうするつもりだ? 獣人達の居場所を用意する事なんて出来ないんだぞ?)
ニッチェルをこちらへ引きこみ、ウェザロブに僕達を騙していた事を認めさせ、千人近くの兵士と共にクーリアに反旗を翻す。それ自体はさほど難しい事ではない。
だが、もし僕とクィンクの予想通り「クーリアがただ隣国を侵略しようとしている」のなら、すでにフレメイラとウィルドの中枢機関を二つも破壊してしまった。
恐らくクリアハルト軍の名はいずれ大陸中に知れ渡るはずだ。その為にわざわざペンキで名前を書き、正規兵とは違う鎧を用意したのだろう。下手をすれば獣人達が勝手に軍隊を作って隣国を攻めたなんて噂を流されるかもしれない。
僕達は崖っぷちに立たされていた。
進めば戦場が待っており、退く事は許されない。
もしかしたら理想への道筋は残されていないかもしれない。
だからこそ、僕は綺麗事を口にしながら沼に足を踏み入れなければならなかった。
例えニッチェルを騙しウェザロブを地獄に叩き落す事になったとしても、だ。
(うん、これは良い機会かもしれない)
僕は未だにどこか日本人としての道徳心に囚われている気がする。平等と慈しみ、他人との協調性を大事にしながら手を繋いで仲良く生きる。それはとても素晴らしい事だと思うし、文明の行きつく終着点と言っても過言じゃない。日本人として生まれた事を誇りに思う。
だけど、ここは日本でもなければ地球でもない。科学よりも魔法が栄え、王族と貴族の文化が基本となった未成熟な世界だ。
そんな世界で綺麗事ばかりが通じる訳がない。同じ国に生まれたブラムスに襲われ、大陸から追いだされたのは僕自身だ。あの時は言葉を交わす暇さえなかったし、そもそもブラムスは僕を人間とさえ思っていなかっただろう。
きっとオルアルク家で次男に甘んじていた頃はここまで至る事は出来なかった。
苦しい事も多いけど、自身を成長させる良い機会だと思うべきだ。そしてその機会はこれから何度も訪れるはず。クリアハルトの生まれ変わりにしてフレアハートの弟して生まれた僕に安寧は必要ないのかもしれない。
「……ニーナ。僕の事を信じてくれるかい?」
「もちろん! 私は貴方の剣となり、例えクーリアに捨てられる事となっても付いて行きます!」
「ありがとう。じゃあ、これから何があっても僕の事を信じてくれ」
「はいっ!!」
僕は笑みを浮かべると、密着したニッチェルを引き離した。
寂しげな表情を見せた彼女に背を見せ、僕は馬車へと戻る。
(僕は勇者じゃないから全ての人に優しくはなれない。でも、英雄にはなれる。僕を信じる人達の光に……)
□ □ □
「よぉ、随分長かったじゃねぇか。よろしくやってたのか?」
馬車に戻るとウェザロブがニヤリと笑った。ニッチェルが顔を真っ赤にし、クィンクが僕を睨みつけた。……二人とも彼に良いように扱われているな。
「ええまぁ、おかげで尋問がスムーズに終わりそうです」
「……へぇ、あんたの事を見くびってたよ。ただのガキだと思ってたんだがな」
「どうでしょう。今はまだ、ただのガキかもしれません」
ニッチェルが腰を下ろした事を確認すると、僕はイリアの様子を見た。
うん、怯えている様子はないな。
「それで、もう全部聞いたのなら俺達は処刑されるのか?」
「ウェザロブ!?」
ウェザロブの言葉にニッチェルが叫ぶ。すぐさまクィンクが細剣に手を掛け、二人を威圧した。
「ちょ、ちょっと落ち着いて。ウェザの口車に乗せられてどうするんだよ」
「……申し訳ありません」
「……ごめん」
シュンとなる女性二人。撫でまわしたいくらい可愛いけど、今はそれどころじゃない。
「ウェザ、単刀直入に聞くよ」
「おう」
「僕達を侵略戦争に巻き込んだね?」
「ああ、正確には巻き込んだんじゃなくて現在進行形で侵略してもらってるんだけどな」
「それはつまり、私達を騙したという事ですか?」
「……ああ、そうなるな」
飄々としたウェザロブの顔に少しだけ硬さが現れた。
どうやら彼も騙している事自体は何か思う事があるようだ。
「何故、僕達を担ぎあげる必要があったんだ? フレメイラもウィルドも勝てない相手じゃないだろうに」
「ははっ! ふざけた事を言っちゃいけねぇよ。あんた達がいなけりゃフレメイラすら攻略できなかったぜ。例え正規軍を一万用意してもな」
「えっ?」
意外な返答に僕は戸惑った。
フレメイラもウィルドも短期間で決着が着いた。本来なら何日、何週間もかけて行われる戦争がたった数時間で終わったのだ。それを勝てる可能性すらないなんてとてもじゃないが信じられない。
「フレメイラの蟻の巣は地獄への入り口と呼ばれるほどの迷宮でな、この百年の間に何度か出兵したが、帰ってきた者は一人もいないんだ」
「僕がやったみたいに城の背に穴を開ければ……」
「馬鹿な事を言っちゃいけねぇよ大将。俺達クーリアの人間が魔法を使っても腰まで入れる程度しか穴を開けられねぇに決まってんだろ」
「……なるほど、あの迷宮自体が穴を開けられる事は想定していなかったんですね」
そう言われれば、あの無防備な作りにも納得が行く。そもそもが背後を襲われるなんて想定外だったのか……。
「ギアレスにしてもそうだ。あの化け物に勝てる奴なんてクーリアの兵士には存在しない。正直惚れちまったよ、竜人のお嬢ちゃん」
「……貴方より年上です」
「……そうか、竜人ってのは皆幼児体型なのか……そそるな」
「悠人、殺して良いですか?」
「だ、駄目だって! 落ち着いてよリンクル!」
さっきからクィンクの様子がおかしい。短絡的な発言ばかりするし、殺気だっている。
「まぁ冗談はさておき、俺達もこんなに上手く事が運ぶとは思っていなかったんだ。この遠征の目的はただの威嚇だった訳だしな」
「どうして威嚇をする必要が?」
「大将はフレメイラとウィルドを攻めておかしいと思わなかったか?」
「おかしい?」
そんなのおかしい事だらけだ。建物は存在しないし、道路も整備されていない。あったのは土の中に出来た迷宮と天にも届きそうな大木だけ。
「……人間がいなかった」
「ご明察。ここはな、大将。“獣人に侵略された奪われた土地”なんだよ」
ウェザロブが苦々しく吐き捨てた。侵略された事実を述べるのが苦しかったのだろうか。
「間違ってねぇだろ? 獣人は魔物さ。大陸の八割を統治していたクーリアにいきなり攻め込んできやがって、あっという間に自分達の国を建てやがった」
「いきなりそんな事が可能なんですか?」
「それは東の端にある神聖クライアル王国の所為だ」
「どういう意味だ? クライアルに襲われたという事か?」
「違う。神聖クライアル王国は“浮遊大陸”なんだ。雲の上に住むあいつらはまるでゴミを捨てるかのように武器や魔法道具をウォタルに投げ込み、獣人達にクーリアを侵略させたんだ」
浮遊大陸という単語自体初耳だったが、アニメや漫画などで良く出てくる空中に浮かんだ大陸の事だろう。クライアル王国がウォタルと国交を断絶し、且つ緊張状態にない理由は「そもそも交流自体がなかった」だけの話だったのだ。
「獣人は何とかしてこの大陸から人間を追い出したいと思っている。俺達は何とかして国土を回復したいと思っている。だがフレメイラを攻略しない限りウィルドに大量の軍隊を送り込む事はできねぇんだ」
「だからと言って、何もしないでいると攻め込まれるんです」
クーリアの人間が獣人に対して厳しい対応をしていた理由。それは獣人に侵略された過去があるからだった。例え種族が違うとしても人間は獣人をひと括りで考える傾向がある。遺恨が残ったまま時間だけが過ぎた結果がクーリアの差別意識だったのだ。
「痺れたよ。俺達が何百年掛けてビクともしなかったフレメイラをあんたは一瞬で攻略したんだ。そして嬢ちゃんは化物ギアレスに勝った。あんた達はクーリアの英雄だと確信したよ。まぁ、威嚇するだけに作ったハリボテの軍隊だからボロは出ると思ってたが、こんな形で終わるとは思ってなかったよ」
「元々は獣人達の処遇はどうするつもりだったんだ?」
問いに対してウェザロブは苦々しい表情を浮かべた。ニッチェルの話も合わせて考えると、恐らくフレメイラで全滅する予定だったのだろう。自分達は入り口まで連れて行って逃げるつもりだったのだろうか。
「いや、起きなかった話は良いや。現状、彼らは生きている。フレメイラで死ぬ予定だった兵士達が、だ」
「……何が言いたいんだ、大将」
「分かってるだろ、ウェザ。“彼らを帰国”させる事は出来るのかって聞いているんだ」
シィンと馬車内が静まり返った。
返答次第では剣を振るうと言わんばかりにクィンクが殺気を放っている。その殺気にニッチェルが完全に気圧されてしまっていた。
「…………悪いようにはしねぇ、……と言いたい所だが無理だ」
「つまり、帰国する事は出来ないと?」
「ああ、既にあいつらの家は人間の土地になっている。持ち物も含めて、な」
「それでも帰国したいと言ったら?」
「……任務はウォタルまでの遠征なんだ。放棄したと言われて処刑されるだろう」
ウェザロブもニッチェルも後ろめたい様子で、クィンクは怒りに満ちていたが、僕はさほど不思議に思わなかった。ここまで獣人を無下に扱うクーリアの上層部が、今更両手を広げて出迎えてくれるはずがない。
むしろ獣人達に国を捨てる覚悟が出来るだろう。
「リンクル、ニーナ、少しだけ外にいてもらって良いかな?」
「……分かりました」
「はい」
クィンクは少し納得いかない様子だったが、ニッチェルと共に馬車を後にする。
「二人きり……ではねぇが、あんたとこうして話せるのは光栄だよ大将」
「ああ、僕も君と二人で話したいと思っていたんだ」
「それは嬉しいね。で、どんな話をするんだ? まさか女の話って訳じゃないよな」
「……君はクーリアの王族らしいね」
「…………ニッチェルか」
ウェザロブの表情に陰りが見えた。何故ここまで隠したがるのだろうか。
「次期国王なのか?」
「まさか。国王候補が八人くらい死なないと俺の番は回ってこねぇよ」
「……君は――」
「よしてくれ、俺は国を裏切ってまで獣人の世話をする気はねぇよ」
僕の言葉を遮るウェザロブの顔に迷いはない。実際、獣人達の味方をするメリットは見当たらなかった。
だからこそ、分かる事がある。
「……利点があれば、こっち側に付くという事だね?」
「……ちっ、大将は意地がわりぃな」
「お互い様だろ」
少しだけ間が空いて、ウェザロブがニヤリと口角を上げた。
「それで、あんたは俺に何を求めるんだ?」
「その前に一つだけ聞いておきたい事がある」
「ん?」
「君が一番大切にしている事はなんだ? ウェザロブがウェザロブである為の要因は」
「……難しい事を」
「ちなみに僕には特技があってね。嘘はバレるから覚悟しておいてね」
「……それは嘘だろ」
「うん、嘘だけどね」
「くっ……ははっ!」
ウェザロブは楽しそうに笑みをこぼすと、力強く問いに答えた。
「俺はクーリアに収まる器じゃねぇ。もっとでかい仕事がしてぇのよ」
「……でかい仕事?」
「何でもいいさ。ギルドの上を目指すとか、世界征服の協力をするとか何でも良い。とにかくこんな小さな大陸で終わりたくねぇのよ」
「だったらなおさら、僕と一緒に来た方が良い」
「ほう? あんたなら俺にでかい仕事を与えてくれるのか?」
ウェザロブの瞳がきらりと光った。僕に期待しているのだろうか、それとも別の意図があるのか……。
僕は戦場にいた。
永く、とても永く続く戦いの一場面に――。




