第十三話「そして僕は」
「あ……とっ、すこ……しっ!」
息切れする暇もなく、黒竜の攻撃を受け続けるクリアハルト。一撃一撃はバルサの剣よりも軽く、捌く事に苦労はしない。
舞い上がる雪の煙を断ち斬り、クリアハルトが前に出る。
黒竜の動きは攻撃する時、された時、何もない時、三つの状況を起点にパターン化されている。クリアハルトから先に動いてしまえば、黒竜の行動パターンは三分の一に減らせるのだ。
「何故私は気付かなかったのだろう……」
戦いを眺めながら、ベルハルトが呟いた。
その顔は悔しさよりも喜びが勝っていて、息子の成長を目の当たりした父親みせる表情だった。
隣で剣を握っていたバルサが長耳に雪を積もらせながら答えた。
「恐らくクリアハルトにとって戦いは命懸けのモノではなく、楽しむ面が強いから気づけた事だと思います」
ベルハルトはなるほどな、と顎ひげを触りながら言った。
――刹那、白銀の世界に一本の黒い線が走った。
「今だっ!」
クリアハルトは全力で触手を薙ぎ払い、一歩前に出た。
黒竜は高速で触手を伸ばすが、一旦身体に戻すまで動けない。
大きく薙ぎ払ったおかげで、数秒、隙ができた。
「たぁああああああああ!」
咆哮と共に繰り出される一撃。
黒竜の胴体――見た目上の胴体に剣が刺さった。
(手ごたえが……ない?)
すぐさま手を離す。
剣は黒竜に突き刺さったままだったが、針鼠のように無数に伸びた触手の棘を見て自分の判断が間違ってなかったと確信した。
クリアハルトは銀光の剣士から見ても、現役の家庭教師から見ても、見事と言う他ないほどに慎重で冷静だった。その根幹にはジェイクハルトとのボードゲームで幾度となく逆転負けを喫し、勝負は最後まで分からないと学んだからであったが、本人すらその事には気付いていない。
「剣をください!」
クリアハルトの叫びにバルサは反応できなかった。
自分の剣を渡せばいざという時に助ける事が出来なくなる。それならいっそ、自分が彼に代わって戦うべきではないのかと。
だが、クリアハルトの求めた剣は別の方向から彼の手に渡った。
「クリアハルト! これを使いなさい!」
クィンクの叫び。迷いなき目。
バルサは瞬時に悟った。
(ああ、私は彼女ほどクリアハルトの事を信じていなかったんだ)
その事がバルサにとって死ぬほど悔しかったが、下唇を噛みしめて耐えた。
今は負けで良い。でも最後にクリアハルトとの絆を深めるのは私だ、と。
バルサの中に芽生えた独占欲。
生まれて一度も持った事のない感覚に、彼女は身を委ねることにした。
「クリアハルト! 手伝ってあげましょうか!?」
クィンクの後ろからジェイクハルトが叫んだ。
白銀に溶け込むような髪と肌、妖精のような服、クリアハルトはつい視線を奪われてしまった。
(何だか前よりも美人になった気が――)
瞬間、黒点が視界の端を過ぎった。
即座に身体を仰け反らせ、黒竜の攻撃を避ける。
「大丈夫! 僕に任せてください!」
クィンクの剣を抜き、構える。
細身の刀身は驚くほど薄く、黒竜の触手で折れてしまわないか心配になるほどだった。
だが、それは杞憂というもので。
――ギィンッ!
触手はベルハルトの剣とぶつかった時よりも甲高い音を響かせ、真っ二つに切断された。
黒竜は今までと違い即座に触手を戻す。
(痛みを感じるのか?)
クリアハルトにとって、黒竜の生物的な発見は不安要素にしかならなかった。
痛みを感じれば当然ながら死に対して恐怖を感じるはずだ。
その場合、パターン化された動きを死の恐怖で変えてくるかもしれない。
(考えろ! 考えろ考えろ!)
クリアハルトの中にある知識と記憶。
勝利を得る為に必要な材料。
『白銀竜の一つ下、実質現時点で最強の剣士に与えられる称号が黒竜よ。ドラゴンの中でも最強と言っても過言じゃない種族で、一切魔法を使えない代わりに魔法で傷を負う事がないの』
『黒竜には意思という意思は見られないの。形がドラゴンに見えるだけで、ご飯も食べないし群れで行動もしない。眠りもしなければ巣に帰って休む事もない。ただ、近くに生き物がいれば攻撃してくるの』
クィンクから聞いた言葉だが、内容は彼女の体験談ではない。
例えば、“本当に魔法は効かない”のだろうか。
「雷の神よ。我の意思に応じて罪深き敵を打ち滅ぼさん事を!」
レイブランド式の呪文が紡がれる。
クリアハルトの身体から魔力が失われ、脳内に描いた事象が現実と化す。
「雷撃!」
雷の中級魔法。クィンクから教わった最も攻撃力の高い魔法だ。
ジッジッジッ、と舞い落ちる雪を溶かしながら、黄色い閃光が黒竜に走っていく。
ぶぅん。
間抜けな音が響き、雷撃が黒竜に触れる前に軌道を歪めて地面へと落ちた。
雪が一気に水蒸気となり黒竜の身体を隠す。
やはり魔法は効かなかった。クリアハルトは心の中で頷く。
(だけど、水蒸気は黒竜の身体に触れている……)
クリアハルトの中で絡まっていた情報の糸が解かれていく。
黒竜に魔法は効かない。が、魔法を使った事によって起きた事象。
例えば衝撃によって弾き飛ばされた石や、今のような水蒸気を防ぐ事は出来ない。
それはつまり、“魔法に関連する攻撃が絶対的に効かない”事の否定。
「土の神よ。我の意思に応じて大地を作り変えん事を!」
クリアハルトの身体から再び魔力が消失する。
「土壁!」
土の中級魔法。地面の土を操作して足元を崩したり、壁を作ったりする魔法だ。
「だから魔法は効かな――」
ベルハルトは最後まで忠告する事無く閉口した。
何故なら、クリアハルトは土で攻撃を仕掛けた訳ではなかったから。
盛り上がった大地は、黒竜の身体にぴったりと寄り添っていた。
まるで『黒竜のいた場所に大地ができた』かのような光景だった。
「この量なら身動きも取れないはず!!」
一歩、踏み出した。
冗談の構えから斜めに振り下ろされる剣。
誰しもが勝利を確信し、拳を握った。
その瞬間――、
ぶぅん。
黒い稲光がクリアハルトに向かって伸びあがった。
今までとは明らかに違う攻撃。
(そうか、この選択肢は……っ)
攻撃するでもなく、されるでもなく、動かないでもない。
クリアハルトは選んでしまった。
“魔法を使って身動きを取れなくする”という第四の選択肢を。
黒竜が行動パターンを変えたのは必然で、それが今までとは明らかに違う凶刃の一撃であったとしても、なんら不思議はない。
(――あ、やば、死ぬ……)
クリアハルトの脳裏に焼きつく死のイメージ。
内臓を焼き尽くすような黒き刃が身体を貫き、刹那を感じさせない内に生を奪い取る。
そして――、
「あ……、あぁ……」
土が混じって薄汚れた雪の上に、赤い血が滴り落ちる。
ずるり――。
内臓を引き出すような音が庭を駆け抜け、黒い影が地面に突っ伏した。
「あ……、アネスタぁあああああああああ!!」
突き飛ばされたクリアハルトが泣き叫ぶ。
目の前には監禁されていたアネスタの姿。
血に塗れ、意識を失いかけている。
(――駆け寄る!? いや、あいつがまだ残っている! やらなきゃ二人とも死――)
クリアハルトの思考がスゥと冷める。
呼吸を整えようと、黒竜を正面に構えた。
ぶぅんと音を立てて土の塊から飛び出した黒竜は、以前と同じ様子で剣士の様子を伺っていた。
「……ふぅっ! ふぅっ!」
いくら心を落ちつかせても、怒りに滾る身体を抑える事はできない。
このまま呼吸の乱れた状態で動けば、黒竜の触手を捉えきれないかもしれない。
――叫び声が轟いた。
「アルティアに眠る光の精霊、雷の精霊よ。フレアハートの名の下に消えゆく灯に新しい世界を!」
アネスタの身体を包み込む優しい光。
アルティア式の詠唱魔法。ジェイクハルト以外の人間が耳にした事のない呪文。
大きな魔力の光がアネスタの身体を一瞬で癒す。
「……クリアハルト、後は……おねが…い」
どさり。ジェイクハルトの意識が途絶えた。子供一人では全ての魔力を使わなければならないレベルの高等魔法だったのだ。
「分かりました!」
呼吸の乱れは自然と収まっていた。
憂いもなく、身体から溢れる高揚感。
兄に託された。
兄に任された。
兄に頼られた。
生まれてからずっとずっと望んできた言葉。
兄弟として、求め続けてきた答え。
この命を削る場面になって、ようやくクリアハルトは心の底から転生した喜びに浸る事ができたのだ。
(行動パターンを読むだけではだめだ。予想するだけではだめだ。相手の動きを想像し、予測するんだ)
大きく、踏み出す。
自信を乗せた一歩に黒竜は即座に反応した。
ぶぅん。触手が伸びる。
クリアハルトは最小限の動きで避け、叩き落し、さらに一歩踏み出す。
さらに一歩。もう一歩。
そして――、
「終わりだぁあああああああ!」
――ザンッ!!
再び上段の構えから放たれた一撃は、黒竜の無機質な身体を分断した。
即座にもう一撃加えようと、クリアハルトが一歩踏み出す。
「……え?」
カキュカキュカキュと、金属音のような、肉の潰れるような音が響き、黒竜の身体が潰れていく。いや、“圧縮されていく”。
――トスッ。
雪が解け、左右に土の壁を残した大地に刺さる一本の棒。
刀身のように平たいそれは、光を一切反射していなかった。
何故黒竜が棒のような姿になったのか、クリアハルトはもちろんの事、その場にいる誰にも分からない。
ただ一つ、
「……………勝った」
これ以上剣を握る必要はない、それだけは言えた。




