63 その感情の名前 (1)
「『思考の枷』があっても、自由な思考そのものは止められない」
衣緖菜の言葉は、意外な方向からはじまった。
「『思考の枷』は、国へ反する行動を思いついた時に、その思考を抑制する。でも、思いつくことは防げない。だから国や軍は、悪感情を持つような知識そのものを持たないよう、任務終了ごとに記憶を消去していたのだと思う」
今の衣緖菜の言葉は、理解出来る。
でも、それがどう俺と関係するのかが、まだ見えない。
「だから『思考の枷』の対象、拠りどころにしても、それだけで尊重したり、絶対的な対象になったりすることはない。その対象をどう思うか、どう位置付けるかを決めるのは私自身。だから陽翔を拠りどころにしたことで、私の陽翔に対する位置づけは変わらない」
理屈は理解できる。
だから俺は、寝たまま頷く。
「そして私の希望は、陽翔と一緒にいること。理由は一緒にいるのが、うれしいから。うれしいと感じるから。
この世界に来た目的は、部下5人がこの世界で平穏に暮らしているのを確認することだった。私自身がどうしたいという目的はなかった。おそらく、そういう感情を知らなかった。任務に関すること以外は、消去を受けていたから。任務以外に、余計なことを考えないように」
確かに学校で会ってすぐ、衣緖菜は目的をこう説明した。
『私が送り出した5人が、この世界で平穏に暮らしているのを確認すること。確認できるまでの間、この世界で平穏に暮らすこと。そのための拠り所を見つけること』
この言葉には、確認できた後の自分についてが含まれていない。
あの時は他に考えることが多くて、この意味を深くは考えなかった。
でも今は、その理由と意味と重さがわかる。
あの頃の衣緖菜には、自分という存在を、任務を遂行する道具程度にしか捉えていなかった。
だから部下を逃がす作戦の実行と、成功の確認に必要な部分しか、目的になかったのだろう。
衣緖菜の言葉は続いている。
「陽翔から知識や記憶をもらって、知識や考え方が増えた。そして、私の知らない感情の、呼称と定義も知った。ただそれは、最初はただの言葉の名称と定義に過ぎなかった。これは、わずか74時間前のこと。なのに、随分遠くに感じる」




