52 脱出
『衣緖菜を問題ないところに送り出す。それ以外に俺が出来ることはないと思うけれど』
『その結果で、衣緖菜さんが納得すると思っている?』
どういう意味だろう。
『納得もなにも、それ以外の解決は無いだろう。俺の家に今のまま置いておくわけにはいかないし』
キー打鍵音が聞こえない。
メイは何か考えているようだ。
でもその考えが、俺にはわからない。
少なくとも衣緖菜に関する件は、それ以外に解決方法はありえないだろうし。
30秒くらいした後、再び打鍵音が聞こえてきた。
ほどなく次のメッセージが飛んでくる。
『実現可能性の高い未来しか見ていないのか、見ないようにしているのか。まあそれでも衣緖菜さんの方針は変わらないだろうし、この場での津久井の意見も変わらないんだろうね。
なら最後に、ひとつだけ忠告。文芸部の機関誌は、例年10月の文化祭にあわせて作る。それには活動終了している3年も寄稿するのが慣わし。だから津久井は出来るだけ早く、私の勘では今週中に短編でもいいから1本、仕上げておいた方がいいと思うよ。ノルマは二千字』
えっ!?
いきなり全く別の話が出てきた。
今までの衣緖菜の話と、どこがどうつながるのだろう。
わからないけれど、とりあえずこう返答はしておく。
『10月の文化祭に出すのなら、9月半ばに完成していれば何とかなるだろ』
『多分津久井は、それどころじゃなくなるから。あくまでこれは私の勘だけれど。前も言ったよね』
ちょっと考えて思い出す。
『津久井がまたすぐ別の場所、おそらく東京方面に行ってしまうだろうって。さっき言った通りだよ』
昨日、図書館で別れる少し前に言われた言葉だ。
つまりメイは、俺がまた引っ越すと思っているらしい。
しかしその根拠が、俺にはわからない。
『俺がどうこうする、って可能性は無いと思うけれどな。うちの親の気が変わって、更に補助金が貰えそうなところへ引っ越すとかしない限りは』
『今は津久井は、そう思ってるのかもしれないけれどね。まあこの件に関しては、私は基本的に部外者だから、これ以上口を挟まない。ただ原稿はちゃんと提出して。最悪の場合、メール送信でいいけど』
『はいはい』
別にメールで送らなければならない事態なんて、起こらないだろうけれど。
そう思いつつ、俺は一応そう返答しておく。
『さて、素直に原稿提出を約束してくれたお礼に、ちょっとだけアドバイス。今の津久井の位置なら、誰にも見えないようにスマホを出せるよね。それでSNSを確認してみて』
何故だろうと思うが、わからない。
それでもメイが言うからには、何か意味があるのだろう。
面白くもなければ意味も無いような冗談を言う奴ではないし。
スマホは鞄の中、キーボード入れの内ポケットに入れている。
鞄の蓋を開いて、鞄から取り出さずにボタンを長押しし、電源を入れる。
『音とバイブをどっちもオフにして、電源は入れたまま画面を消しておくのが、個人的にはお勧め。いちいち起動すると時間がかかるから。学校の無線LANに繋がるように設定しておけば、余分なパケット代使わないで済む。その辺は放課後あたりにトイレの個室に籠もってささっとやっておけば楽だよ。今日はもう間に合わないけれど』
今日はもう間に合わないとは、どういう意味だ。
そう思ったところで、スマホが起動する。
待ち受け画面が表示された。
その画面にSNSの名称で『1件のメッセージがあります』なんて書いてある。
SNSで連絡をくれるような相手は、2人しかいない。
そして1人は、俺の斜め後ろ方向の席にいる。
ただメイはそういういたずらや冗談をやるタイプではない。
なら残るは1人。
電源ボタンに人差し指をあて、指紋認証で画面を開き、SNSの画面を開く。
メッセージは間違いなく衣緖菜からだった。
『これを見たら、出来るだけ早く学校を出て、連絡して欲しい』
更に続きでこんなことも書いてある。
『本日脱出可能なルート。昇降口の靴箱に入っている靴は、明日回収することにして諦める。午後4時20分~25分の間なら廊下に出て音楽室側の階段を降りて、生徒会室に入り、午後4時22分~27分の間に窓から外へ出る。目の前の電柱脇から塀を越えて、三叉路を北。あとはそのまま歩きながら連絡して欲しい。SNSで私宛てに、何かスタンプを送る程度で構わない。ただし午後4時25分を過ぎていたら、次のメッセージを待ってから行動して』
スマホの時刻表示は、午後4時20分。
今なら間に合うと思ったその時、メイの声が聞こえた。
「そういえば津久井、今日は家の用事で早く帰るって言っていなかったっけ。何なら職員室に寄って加賀谷先生に報告して、先に帰れば」
助かった、そう思うと共に疑念も生じる。
明らかにメイ、今のメッセージの内容を知っている気がする。
しかし時間が惜しい。
「そうだった。悪い、あとは頼む」
「はいはい。それじゃ途中に職員室に寄って、加賀谷先生に言ってきてね」
実際には俺が職員室に行かないと、メイはわかっているだろう。
加賀谷先生は一度見回った後は、部活終了時を含めてここに来ることはない。
少なくとも今までは、そうだった。
部員の麻木も小田野も、先生に告げ口するようなタイプじゃない。
だから俺が面倒なのに見つからずに学校を脱出出来れば、問題ないわけだ。
メイに、衣緖菜から連絡が行っていたのだろうか。
ならどうやってメイは、そのことを知ったのだろう。
この中学校はスマホ持ち込み禁止だから、表だって確認することは出来ない筈なのに。




