第4話 動かされた境界石
翌朝、私はまだ霜の残るうちに白鹿草原へ出た。
風は強いが視界は開けている。こういう場所の境界は、紙より石の方が雄弁だ。
「これが問題の石だよ」
グレタが指したのは、草原の南端に立つ灰色の境界石だった。一見すると何の変哲もない。だが私はしゃがみ込み、石の北面に触れた。
苔の向きが逆だ。長く北を向いていた石なら、日当たりの悪い面にもっと厚くつくはずなのに、この石は西へ傾いて生え直している。
「最近動かされています」
「見ただけでわかるのか」
ヴィクトルの声が背後から落ちる。
「石そのものより、周りの土です」
私は石の根元を指した。周囲だけ土が新しく、馬車の轍がまだ浅く残っている。しかも本来の据え付け溝が、半歩西に埋まったままだ。
「二スパンは移されています。これで草原南端の放牧帯が丸ごと外へ出る」
グレタが舌打ちした。
「だからエイスフェルトの牛が、毎回『他領の草を食った』って罰金を取られてたのか」
私は測量帖へ距離を書き込み、遠景の丘を見た。さらに先には、古い水車場の跡がある。最新図では隣領へ線が食い込んでいるが、実際の流路はこっちだ。
「境界線だけじゃありません。水車場も動かされています」
「石が歩くわけじゃない」
ヴィクトルが低く言う。
「誰かが動かした」
「ええ。しかも地籍に詳しい人間が」
境界石をずらすだけなら乱暴な盗みで済む。でも、地図も台帳も税の欄も同じ方向へ書き換えるには、手順を知った者の手がいる。
私は石の根元から小さな鉄片を拾い上げた。三つの刻みがある。王国測量部の据え付け槌にしかない傷だ。
「王都の道具です」
グレタの眉が寄る。
「辺境の村争いに、王都がここまで?」
「村争いではないからです」
私は風に揺れる草を見た。
境界石は、自分では動かない。
動かした誰かに、動かすだけの利益がある。




